庭木の伐採のことで、姑が怒っていたらしい。小姑も現場を見て気を悪くしたようだ。


切らざるを得なかった。何といわれようとあの時伐採したことに後悔していない。


文句を言われるだろうと予想はしていた。


現場を見る前は、二人とも了解してくれていた。それで私は安心していたけど、現実は甘くなかった。嫌なことを言われた。


何をしても腹の中では嫁の私が気に入らないのだなとホントにそう思った。

亡くなった夫も、小姑も、姑も、同じ気持ちなんだと思った。


小姑の言いなりになっていたら、振り回されてしまう。


嫌われても気にしないようにしよう。


頑張ったことを認めてもらいたいとずっと思っていたけどそれは無理な話なんだとやっとわかった。


嫌なことを言われてホントにイラッとしたけど我慢した。言い返せば10倍ほどに返ってくるから。


少し冷静になって考えてみた。


姑は仕方ないとしても、小姑は現実を受け入れたくないかわいそうな人。執着する人。自分に余裕がないから私に嫌なことを言うのだと思う。


私の友人や妹や知り合いは、優しい人が多い。だから小姑みたいなきついことをいわれることがないから、打たれ弱いんだわ。


世の中には、こんなきついことを言う人もいるのだと、小姑を通じて神様が教えてくれたのだろうな。


小姑は実家が変わっていくのが嫌だったんだろう。


嫌なことを私に言えば、その瞬間はすっきりするだろうけど、その後なんか嫌な気持ちは胸に残るものだ。怒りは自分自身も傷つける。


小姑が気持ちを害したことと、私は関係ない。


どう思おうと私は私。


気持ちはわかるけど、私は間違っていない。切る時期が早すぎたと言われてもじゃあいつ?って思う。


伐採するお金を出す気もないんだから。


伐採業者もいつまで仕事するかわからないし。


ま、世の中、甘いものじゃないとよくわかった。


口先でうまいことを言ってもホントはそうじゃない人達なのだとはっきりわかった。

それは人生の学習なんだ。


何を言われても我慢。

でも、我慢するのは辛いな。


優しい人間が我慢する。

主張しても通らない。


小姑も姑も、人を憎むことが生きるエネルギーになっているんじゃないかと思う。

そうするしか生きる手段がなかったほど過酷な人生だったのも現実。


私の廻りの人、妹も友達も知り合いも優しい。苦手なのは小姑と姑だけ。


優しい人の方が多いのだから。


困った時は、誰かが話を聞いてくれる。



私も未熟ものだから、心はまだモヤモヤしてる。


嫌いな人のことは無理して好きにならなくていい。


育った環境が違うし、価値観も違うのだから。


嫌なことを言われて嫌な気持ちになってもいい。落ち込んでもいい。


それによって学習できたから。


世の中には、憎しみや怒りが生きるエネルギーになるひとと、


優しさがエネルギーになるひとがいる。


私は後者の部類。


そう言う部類の人間で良かった。