努力とは知ることである

極端にも、そうおもいたいくらい

私たちは知らないあまりに失敗をしたりすることが多い


しかしながら、知っていてもやってしまうことがある

これはなるべく一番に、避けたいところです


失敗から、私たちは何かを失ったり痛い目を感じることで

もうそれをしまいと決めその選択をしないようになります

それはある意味で、よかったということになる


でも私たちは結局失敗をしているわけで、

できたら失敗をしないようにしたいな、とシンプルにおもえます


努力はかってでもしろといいますが、

その努力とはなにか


私たちは気づかぬうちに、

これだけその努力をしているのだと人の知ってもらいたいのかもしれない

知ってもらおうとそのための努力しているという感覚があるかもしれない


それは愛されていないという過去からの不足感から

見てもらいたい愛されたいという無意識で自然としている行動の1つ


しかし努力してもなかなかな結果がでないというよりは

なんだかそんな自分に疲れてくる

努力しなければと目の前のことを頑張るのですが、

いつまでたっても進まない、結果がでないというのはやっぱり疲れたなと感じる


そのうち、結果だけが全てはないと言う自分がいる

そうすると結果にこだわる人、主張する人までもが嫌いになってくる。。

まあ、これは極端な例ではあるのですが


やはり私たちは結果がでないと疲れてくるとおもいますし

自分が望んでいるようにならなければストレスだってたまる


たとえ疲れやストレスを癒す方法を手にしたとしても

一瞬楽になりますがまたたまり、それを癒す

これではなかなか前向きには生きていけない自分がいる


自分が望んでいるようになるにはどうしたらいいか

極端には望まないようにすれば楽になる

しかし、それでもなんだか人生つまらない


望む未来に行けるようになればどんなにいいだろうか

それはやはり結果がつきもの

結果に向き合うのは自分に直面する勇気


知識というのはいつも新鮮なもので

すでに知っている、ものではない


そういう知識が目の前にいろいろあるのに、

もしそれに気づけていない自分がいるとしたら

自分はこうなんだ自分の考えはこうだと決めつけているかもしれない

そうなると知識はそこにあってもなかなか自分に入ってはこない


知っているのについやってしまう、というは

人間がもともともっている欲求であって

それが失敗へと導かれるもの

その下には情、があってそれは自分の弱いところ


ドタバタと望んでもいない失敗をもう選択しないためには

いらぬ情を選択しなければよい


情は人や環境のせいにしてそこに留まっていなさいというイメージで

先に進むのは自分を生きなさいということ


はたして私たちは自分の人生を生きているだろうか

成果は努力しなければならないとつらいもだと思っていないだろうか

そのための知識や知恵が何年も先にでないとないと決めつけて生きたりせず、

自分さえ準備ができたら目の前にあると知っているだろうか