
「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。
おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)
空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。
空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。
過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。
地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。
魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。
主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。
その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。
そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。
なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。
「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。
のぶ子は毎日、崇の家へ行き、勉強を教えてもらっています。しかし、今日は崇がいない。
崇は線路を歩いていた。彼は横たわって冷たいレールに頭をのせる。追い詰められた自殺志願者なのか?この男にとって、死は、逃げ道なのか、安らぎなのか・・・。
事の発端は、崇の居場所を作るために、医者志望の千尋が法律家になろうとしていて、そのことを崇が知ったからです。
崇は、病院を継ぐことになるのですが、医者になれるほどの学力がないのです。勉強に氣が入りません。
崇は漫画を描きたかった。それは、自分にかかるストレスを浄化する唯一の手段でもあった。・・・で、それが出来ないのなら、彼は死んでもいいや、と無意識に感じていた、、、のでしょう。
死んでもいいというよりは、生きていることが自分の中で邪魔になった、そういう感じだろうね?幼いときに崇は、母親の登美子に邪魔者扱いをされたから、『僕は邪魔なんだ』と、崇の中での究極の結論を出してしまった。そうなってしまうのです。仕方がないやな。これはね、親子間での思考波が汚れたまま共鳴したのでしょう。
たぶん、これまでの人生で、崇も千尋も自分を捨て、無我になることが多かったのだろうね。二人は、産みの母親と離れていても、その母の思考波の影響を無意識に受けてしまうのでしょうね。彼らは、テレパシー的なもので少しでも産みの母親を感じていたかったのかも。
産みの母の登美子に、子供を邪魔者扱いにしたつもりはなくても、誰のせいでもないこの現状自体が、崇を邪魔者使いにしている。
仮に、登美子が崇を邪魔扱いしないで、そのストレスによって登美子自身が苦しんでいると、崇はその状態が嫌なので、やっぱり、自分はいらないと感じてしまうだろう。
これはねー、世の中に蔓延っている否定性の問題だけではなくて、生きる氣力の問題になると思う。つまり、崇は生きる氣力が少なくなっているのだろうね。
この生きる氣力が少ないと言うのは、実は、神経系と生命エネルギーにおいての相対的な関係があり、崇のような漫画を描ける繊細な感性、または、精妙な神経系がある場合、他の人より多くの生命エネルギーが必要になるのです。
生命エネルギーは、金色のプラナエネルギーや無条件の愛のエネルギーなどで、生きるためのエネルギーです。
崇の場合は、登美子が崇を置いて出て行ったので、無条件の愛への入り口とそのエネルギー波動が分からなくなってしまいました。子供にとって、父母の行動は、無条件の愛のエネルギー波動を知る、チャンスなのです。
しかし、そのチャンスがなくなったので、崇も千尋も、自分の中に、無条件の愛とそのエネルギーへの入り口を見つけなければなりませんでした。
それらの入り口が、崇の場合は漫画で、千尋の場合は文武両道です。
なのに、出戻り登美子は、強靭な母性力を使って、崇の漫画も千尋の文武両道もひっかきまわしました。そりゃー、母親の無条件の愛の方が強力でしょう。
だけど、登美子は、子供たちのために、無条件の愛の入り口になったというよりは、自分が生きるために、自分の生きる力をフルに活用し、なんとか自分が幸せになろうとしています。
なお、母親の幸せは、子供たちの望むところでもありますので、崇も千尋も心の深いところでは、母親の幸せを望んでいます。
よって、「幸せになれない母親という女」が知らないうちに出来てしまったわけです。
しかし、彼女たちは、その原因を、必然的に、亭主や、社会や社会制度にあると思うようになります。これは、意図したわけではありませんが、彼女たちなりの思考回路ではそうなってしまうのです。実際に、亭主も欠陥だらけだし、社会も欠陥だらけです。母性愛が豊かなのに、母親は、そういう人とそういう社会で暮らしているんです。もちろん、本気の反省はしません。自分は正しいと思っています。
全くの完璧な理論構成ですが、今、いろいろあって、崇は線路のレールの上に頭を乗せて、遠くから蒸気機関車が迫って来る音を聞いています。大変です。理論構成とはそのようなものです。
機関車の蒸気を吐き出す音は、とても力強い生命力の音ように感じます。一度、間近で聞けば解ると思います。
そうです、崇は、生きる氣力を必要としているのです。彼は、線路に横たわり、レールに頭を乗せ「こうしていると、心が落ち着く」と呟いています。幸せそうです。
そこへ、フーテンのパン屋・草吉が通りかかった。ついでに、蒸気機関車も迫って来た。このままだと崇は蒸気の発する生命力の音を聞きながら、機関車に轢かれて死んでしまします。
そうです、生きる氣力や生命力(=金色のプラナエネルギー)は、死と隣り合わせのところにあるのです。
草吉は、汽車が通過するギリギリのところで、崇を線路から引きずり出した。崇は死ぬことも出来ずに、というよりは、死と生命力は、まるで性質が違うのに、隣り合わせであるという根本的な矛盾?のような仕組みを解決できないまま、引きずり出され、生きています。彼は、
「こんな情けない、自分は嫌だーー、もう、いやだーーよーー、わぁーーーあーーっ」と叫んだ。
そうなんです、崇よ。君の感覚は良くも悪くもそれでいいのです。
生と死は正反対の感覚であるのに、いつも隣り合わせにある。例えば、機関車の蒸気の音が近づくほどに、その生命力の音とレールの上いる崇の死が近づいて来る。この世の現象は、そういうものなので、そこに矛盾感があればあるほど、辛く苦しい。このことは、母親が無条件の愛や生命力への入り口だったはずなのに、その母親から邪魔者扱いされた子供の矛盾感と似ている感覚なのです。そして、それらの事が、崇の中で同根になっているのです。崇は矛盾を解決できませんでした。自分は情けない奴だと思い、叫びました。
まーね、ザックリ言うと、これがインナーチャイルドの大元の根源です。また、成長するにつれ、あらゆる矛盾になってしまう「未消化の現実」の根源なのです。
すなわち、3次元宇宙では、生と死は、まるで違う感覚なのに、隣同士にあり、しかも、生命力(=金色のプラナエネルギー)の発するところでもあるという、有難い矛盾なのです。解ります?ありがたいんです。
あのね、究極になると、死にたくなければ生が隣にあるんです。生きたくなければ死が隣にあるんです。ついでに生命力もあるのです。あと、肉体の死が、全部じゃないからね。ゆえに、ありがたいじゃないですか。でしょっ。
だから、スピリチャル系は、「ありがとう」と言い、全てに感謝しなさいと勧めるのです。考え方次第で、死の隣の生を観ることが出来ると言うのです。つまり、矛盾に感謝しなさいと言っているのです。しかし、これが気持ち的に難しい。建前の感謝なら、それなりにだけど、簡単にできる。
さて、ここの状況を、もう一つ深めると、生と死は空(くう)のところにあります。空は透明です。だから生も死も透明になり、同じところにあるものなのです。これで、生死の二元論は終わりになります。簡単でしょ。
つまり、さっきまで、生と死が隣り合わせの矛盾だと思っていたのに、同じ空だったと感じるようになり、感覚的に、矛盾が解決するのです。
この現象を体感するために、仏教(特に禅宗)では、透明な空に入るコツとして、生や死などへの「こだわり」やあらゆるものへの執着を捨てなさい、と説いているのです。 もちろん、空に入れば、もっと深くて高い?世界も仕組みもあります。
ちなみに、空のところに、生命力(=金色のプラナエネルギー)や永遠の命などもあり、隣り合わせの生と死の矛盾を解決したときから、宇宙自然の道理であるダルマ法則の氣が流れ出し始めます。このダルマ法則の氣は、浄化、昇華、進化を促し、至福意識、不退転の意識などなどに導いてくれます。気づかせてくれます。それは善き事であり愛でたいことなので、それらの出来事に対して喜びが自然に湧き、心から普通に感謝が出来るようになります。これは建前の感謝では有りません。本心からの感謝です。魂や生命からの感謝です。
だからよー、空氣体瞑想をして、空に触れておきましょう。
まーね、崇みたいにレールの上に寝ていたいのら、それもいいですけど、今は、蒸気機関車がほとんど走ってないから、レールの上に寝る方が難しいかな。合掌。あはははははっ。
あっ、付け加えると、正義とは、この宇宙自然のダルマ法則を守護すること、そして、善性を守護することです。純正日本人は性善説です。善性のバランスについては、初文に書いています。悪党の屁理屈などはイケません。矛盾を作るだけです。無駄です。純正日本人の善性を悪用する大陸型人は、始末しましょう。これからの宇宙時代にそぐいません。
崇が死ぬか生きるかをしている時、崇の部屋いるのぶ子は、待ちぼうけをくらい、不貞腐れています。
そこへ、千尋が来た。
千尋はのぶ子へ、俺は柳井家に置き去りにされた時、一人ぼっちになった。登美子が高知へ行ったとき、崇がいなくなったら、また、一人ぼっちになると感じ、怖かったと怯えて話す。
そのころ、崇はレールの上に頭を乗せていた。兄弟で、主観性の強いテレパシーを感じています。兄は安らぐと言い、弟は一人ぼっちになると言う。洗練度の低い以心伝心です。
さて、無事に、崇の命を救ったフーテンのパン屋・草吉は、大川で崇と並び、魚釣りをしている。その話の中で、
「登美子が高知に行って、迎えに来ないと知ったとき、・・それは、崇と千尋が邪魔者だと自覚したときであった。しかし、だからこそ、ある時、二人は大川を泳いで渡ることにした。それが成功すれば、生きていてもいいと考えた・・のだろう。
兄弟は助け合って、大川を渡った。運命は二人が生きていることを支持した。だから、自分に嘘をつかず、無理をせず、二人は生きて来た。それだけだ。」と、そんな話をした。
崇が家に帰ると、千尋が「どこ行っとったがや。のぶさん帰ってしもたが」と、約束を破ったことを責めた。死にぞこない、情けない気持ちになっている崇は、「それがなんがかっ。優等生ぶりゃがって」と、千尋の胸倉を掴んだ。それで、二人は庭に出て取っ組み合いの喧嘩になった。
女中のシンが、急いでのぶ子を呼びに行く。
崇は千尋に「俺が医者に成れないことぐらい知っているだろっ。なんで自分に嘘をついてまで病院を譲る。自分に正直になれっ」と迫る。
千尋は崇に「兄貴こそ、わしらを捨てた、おふくろの言いなりになんか、なんで、なるがやーっ。本心を言うてみんがかぁっ」と返した。
崇は「本心?お前こそ、ここに貰われてきて、本心を言う前に、伯父さんと叔母さんの氣を読んで、優等生になり続けたがやろっ」と正面から突いた。
千尋は、「兄貴は一回捨てられただけだ。わしは2回も捨てられた。だから、わしは、あの時、兄貴と大川を渡った。それ以外に、わしの本心はないっ」と、突かれても逃げなかった。
崇は「逃げないお前は立派だよ。かあさんの傘の下に入りたかった俺は、惨めだよ。お前も、この家の人みたいに、胸の中では、俺がいなくなればいいと思っているんだろっ」と情けなさを吐いた。
シンの知らせで、のぶ子は現場に駆けつけ、二人の喧嘩のやり取りを聞いていた。
そして、のぶ子は崇にハチキンびんたくらわせた。のぶ子は崇にいなくなって欲しくないのです。彼女は、
「このたっすいがーのスッポン男がーっ」と、涙ぐんで、奥歯を噛みしめた。
その様子は、育ての親の千代子とたまたま帰って来た生みの親の登美子も見ていた。
後から駆け付けたフーテンのパン屋・草吉が、みんなの間に入ったので、全部をシラケさせてしまい、その場がお流れになりました。
この世にどうしようもないことがあっても、フーテンに解決策はありません。そんなことぐらいみんな知っています。草吉、曰く「フーテンの存在を許すか、子供の存在を許すか・・・そりゃー、子供だろう。それでいいだよっ。。。現実ってもんさっ。フーテンは、風に吹かれる雲水になって消えるだけ」。。。
今日は、まーねー、フーテンの草吉が、フーテンの寅さんのように、登美子を慰められるようだったら「見上げたもんだよ、屋根やのフンドシ」です、の一席でした。
空氣体瞑想については、本文の中に書いたので、省略します。
今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。
可能なら、静かに座って空氣
まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。
そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。
それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。
瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。
参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。
1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。
人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。
2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。
重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)
3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。
4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)
5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。
6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。
7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?
8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。
9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。
例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。
証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。
さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。
パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。
∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。
10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。
空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。
なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。
11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。
さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。
宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。
これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。
そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?
12,時間について。
時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。
時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。
無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。
永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。
そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。
そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。
感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。
この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。
例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。
13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。
(ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。
今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)
13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。
集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。
今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。
13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。
和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。
そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。
地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。
以上、あくまでも、参考です。