歩は、詩を引き取ろうとしたが、その自信をなくしている。それで結を呼んだ。結は話を聞いて「児童相談所の人の言いよること、全部、仮定のはなしやん。ギャル魂は、ギャルの掟を守って、今を楽しむ。だけん、お姉ちゃんが心配せんでええと。それに、翔也も言うとったけど、詩ちゃんは、うちらやギャル、みんなで育てるんや。世間から見れば、ギャルは初めから不良やん。不良がぐれたら、まともになってしまうけん。でしょっ。ギャルに困ることは、なんにもありましぇん」と言いましたとさっ。
ということで、歩は詩を引き取ることにしました。
夜は、詩が家族になったお祝いです。結と翔也、歩と詩、そして花で、素麺ちりを食べます。素麺ちりは、糸島地方のお祝いの時に頂くもので、お赤飯のような意味があります。
詩は、「美味しい」と言って食べてます。
結たちは、詩と寄り添って生きるようです。
まず、大震災があって、翔也の故障による夢破壊があり、聖人の癌、インチキコロナの大流行、詩の拒食と天涯孤独などなど、病院勤めなら苦しんでいる人を見るのは、毎日のことなので書くと切りがないのですが、結は「詩ちゃん、みんなで寄り添って生きて行くけん。人生の悲しみを解って、それでも、超ー上げ、上げーで、今を楽しもう」と語っています。
まっいいけどさー、もの悲しい人生を表現するのなら、「魂の美しさによる強靭さ」の裏付けがないと、ドラマが気持ち悪くなると思うな。この台本は、そこのところを「道徳感的な人助けという善」に位置付けたのだが、屈折したお安さでまとめている感じです。だから、ドラマの本体は、何も解決していない。愛感(幻の愛)を匂わせているだけだ。観る人はそこが面白くない。そういうタイプの台本だね。
ただ、もしドラマにモデルがいるとしたら、その人たちの現実は、とても質の良い人生であり、現実がいろいろと解決していると思う。だから、朝ドラにまでなった。
まーね、NHK大阪の朝ドラは、いつも普通を表現しようとしているのだけど、セリフを深くすると普通の生活にならないから、言葉の表現が足らなくなる。(和至は深いセリにしてもいいと思う)その足らないところを役者に押し付けているのだけど、しかし、この台本のセリフでは芝居のしようがない。NHK大阪は、そもそもが、だいたい、そういう傾向ではある。けど、今回は初めから終わりまで、そんな感じだったな。あーぁ~、だね。
俯瞰してみると、芝居のしようがないものを、ドラマにするのは無理だよね。例えて言うなら、たこ焼きにチョコレート味のクリームが付いている感じだ。かかっている物がソース色には見えるけど、食べる前から、なんか違う。
環奈ちゃんと役者さんたちが可哀そうでしょうがなかった。
シナリオ作家協会の先生たちが、間違った指導をしている可能性もある。。。あっち系かなぁ?
結は、「美味しいものを食べて悲しいことを忘れる、というのもあるけど、みんなで美味しいものを食べれば、忘れられない楽しい思い出になるけん」と詩に語った。
だからよー、シナリオが変だと思うのはこういうところなのよ。詩のレベルにこのレベル話は通じないと思う。そもそも、ギャルに結論はない。彼女たちに(人生の)結論があったら、長ーい爪なんか付けないから。それは不便。だろっ。でも、ギャルは付けるんです。ゆえに、ギャルに結論ない。
だからさぁー、製作者側は分かっているようで、分かっていないオジサンたちなんだよ。それか、半島系か、中国系。雑っ。そして、あとは役者のせいっ。食い散らかして、終わりだよ。それだから気持ちが悪い。
お祝いの素麺ちりを食べて、歩の提案で、家族一緒にプリクラを撮りましたとさっ。
それから一年、糸島では、愛子がイチゴ観光農園を開き、お客さんがたくさん訪れている。コメ麹?・・甘酒とイチゴジュースをミックスしたシェイクも販売している。
聖人は、依頼者の家まで行き、散髪の出前をしている。
陽太と恵美は結婚して海鮮焼きの店を始めた。店は牡蠣焼きや魚の直火焼き、ビールなどを提供している。じゃがいも陽太は、美恵のお陰で垢抜けました。相変わらず、いい奴です。
そして、一番衝撃だったのは、ひみこさんが農業をしていたぁー、ことです。あっ、そこじゃなくて、ひみこ役のピーターさんです。調べたら73歳だった。見てくれが若いね。
今日は、じゃぁ、ピーターさんが生きているうちに、朝ドラ「ピーター物語(芸能界の裏側)」を作ったらいいね。観る人はいると思う、の一席でした。
平成7年1月17日・・って、今年だ。
歩の「KINGofGAL]は、好調です。詩も元気です。
結は、毎年、阪神淡路大震災の犠牲者の追悼に出かけています。彼女は、そこで、震災当日の夜に命がけでおにぎりの炊き出しをしてくれた、あの雅美お婆さんに会います。
結と雅美お婆さんは海の見える公園のベンチに座り、二人でおむすびを食べるのです。 完
正直、疲れました。。。環奈ちゃんがいなかったら書く気にならなかった。あははは。
これが、大阪なんだね。ドラマにモデルはいると思う。だけど、そういう現実をドラマ仕立てにするには、諸事情を鑑みて、そうだなぁー、片方の半分ほど綺麗なところと、もう一方の半分ほど綺麗なところを、ぶつける?しかないと思う。そのバランスの問題はあるけど、そこが調和しないと、見てくれがバラバラのドラマになってしまうと思う。
モデルになった方は、このドラマに関係なく、良い人生を過ごしていらっしゃるのでしょうね。
それを観るから、制作側は、この家族はいいドラマになると思ってしまうのでしょうね。愛でたし、目出度し。
今日は瞑想まで、持って行けませんでした。終わり。あははは。悲しい。