今日は、天気がいいのに体調不良なのであらすじだけです。圧がきつくて眠いです。

 

 昭和二十三年(1948)十二月一日、東京少年少女保護連盟でボランティア活動をしている学生たちが、家庭裁判所設立準備室を訪問した。これは寅ちゃんが、弟の直明に依頼したことでっす。

 今日も家庭裁判所設立準備室には、家事裁判所と少年裁判所の所長達が集まって話し合いをしている。いつも答えが出ない。答えを出すと夜の飲み会をする必要がなくなって、酒代が出ないのでっす。非常に難しいところでっす。しかし、設立までの時間がない。

 桂場に言われて、寅ちゃんは理想論の純度を上げることを考えていた。しかし考えてどうにかなる問題ではない。そもそも周りの人々は、小さな損得しか考えていない。純度などは、ないに等しい。

 そういうタイミングで、東京少年少女保護連盟のボランティアをしている直明が存在したのだ。この連盟の元を作ったのは焼きスルメ多岐川だ。運命と人生は、嫌になるぐらいに複雑に絡む。いい縁だと言えばいいのかなぁ?

 寅ちゃんは、この縁と直明の純度にかけてみようと思った。

 保護連盟のボランティアをしていれば、街の現状が詳しく分かる。そして、戦争孤児達はボランティアのお兄さんたちに心を開いていると推測される。ならば、少年たちの本当の深い心理が分かるだろう。深い心理が分かれば、更生の可能性が分かる。更生の可能性があれば、愛の家庭裁判所が必要になる。という一筋の道だ。

 でもやっぱり、焼きスルメ多岐川の世界感だな。

 親父達が事務所のお金で、酒を飲んでワイワイ言っていたらこうなるわけだ。和至はなんか納得がいかない。でも、しょうがない。ドラマだけど流れは実話だ。これが現実。

 ほんと、馬鹿野郎ーだよ。全部が狂ってるんだよ。悪のはびこるカリユガの時代、五千年間だね。もうすぐ終わる。楽しみだ。

 直明は、「今の混乱の中で自分のことを考えても、旨い汁を吸うために醜くなるだで、しょうがないと思いました。だから、自分の人生を考えるより、子供たちの将来について行動しました。花岡裁判官の件で衝撃を受けたのも、その一因です。庶民が生きて行くために闇市に頼るしか方法がないのなら、僕が闇市の品物で生きた分、闇の中に居る子供たちを救いたいと思ったのです。

 戦争は国、政府、役人の(汚れた)大人の事情であって、子供の事情ではないと考えます。今は、それしか言えません」と、笑顔で悔し涙を流した。

 そこにいたみんなが、直明の純粋な情に絆された。

 所長達はオジサンだけど、オジサンも好きで汚れているわけではない。だから、オジサンはオジサンとして汚れた分だけ、清浄なものが好きだ。良い仕事をしたいのも現実でっす。

 所長たちの話しは纏まった。これ以上飲み会を開いて酒を飲んでも意味がない。無駄だ。誰かに経費の乱用だと攻められたら、危ない。

 しかし、寅ちゃんは、このオジサンたちの世界観が、どうも腑に落ちない。「いったい何なの?」・・・志村けんが「なんでもねーよ」。ドリフターズの新井注が「なんだバカ野郎ー」。以上です。

 この後、オジサン達は演歌で自分を一人じゃないと正当化するのでっす。あはは。昭和でっす。

 宇宙自然の道理の氣が、正しく、流れてくれ流れてくれ、だね、寅ちゃん。

 所長たちの意見がまとまって、1週間後には、各地方の所長が東京に集められた。時間がないので、とりあえずの体裁を整える、と決定した。後は、運営しながら「愛の家庭裁判所」に向けて修正するしかないのだ。

 と言うことで、今夜は地方の所長達と、事務所のお金で忘年会を兼ねた懇親会です。楽しいね。昭和です。

 しかし、この件も、GHQの思惑通りだ。そうなると、日本の子供達と未亡人達が人身売買されるのをいかに防ぐかが課題になる。まー、朝ドラではやらないだろうな。直明が騒げば面白いんだけど、まぁいいや。

 寅ちゃんは「愛の家庭裁判所」のための事務所スペースを見つけるべく奮闘していた。十二月三十一日までにとりあえずの体裁をつけないといけない。焼きスルメのくせに、多岐川はストレスでぎっくり腰になった。ここで動けなくなるということは、器ではないな。

 世間の忘年会も終えて、やっとのことで民間の宴会場を借り、家庭裁判所の事務所にした。大晦日に、机などの事務用品を搬入した。ボランティアの学生たちと猪爪家の人達も手伝った。

 引っ越しの最終段階で、花岡さんの奥さんが描いた絵が飾られた。奥さんの生活費を支援するために、有志の方々が資金を出し合い、その絵を購入したのです。

 絵の前で焼きスルメ多岐川は、

「国も法律も人間が定めたものだから、すぐにひっくり返る。ひっくり返るもののために死んではいかん。法律は人を規制するものでもあるが、そもそも人が幸せになるためにあるものなんだ。だから人は幸せになることを諦めたらいかん。幸せを諦めたら法律の中に矛盾が生じる。その戒めのためにこの絵を飾る」と語った。

 あのね、ちょび髭多岐川君、日本は戦争に負けても、ひっくり返っても無くなってもいません。天皇陛下がいたからです。憲法は変えられました。

 やい、ちょび髭多岐川、上面を撫でて解ったようなことを言ってくれましたねー。仮に幸せを追いかけても、人それぞれに幸せ感が違うから、結局、矛盾にぶつかるでしょ。だから、法律があって裁判があるんでしょ。それでも法律自体が世間一般と乖離して、その矛盾に耐えようとして、花岡は餓死したんだよね。その生きざまが彼の夢と幸せだったんだよ。

 焼きスルメ多岐川も、空腹を感じなくなるまで断食をしてみろ、少しは分かるかも知れないから。一食抜いたらすぐに出来ることだ。ここが解らないのなら、焼きスルメ多岐川は偉そうにしてないで、「嘆きの壁」の前で火に炙られて丸まっていりゃーいいんだよ、馬鹿野郎。

 焼きスルメ多岐川の言ってる「愛」は、意識の精妙なところで言うと、正確には個人個人が別々に感じている「愛感」ことなんだよね。「純正の愛」ではないな。当たり前である純正の愛は、「無」の上にあるから感じない。初めは透明です。過ぎれば、「愛だ」と感じるより、至福意識になります。

 大陸型人や多くの人は愛と愛感の区別がつかない。だから、いつもややこしいことになる。信仰や宗教がややこしくなるのも、うさん臭くなるのも、この点だと和至は思う。

 ドラマは、この愛感を複雑に表現することで、人気が出たりする。少し前に「お母さんは小学生」?、お母さんが死んで子供に乗り移ったというドラマがあったけど、愛感はあの感じです。

 今回の朝ドラでは、その愛感を寅ちゃんが冷ややかな目で見ている。・・ドラマも進化しているね。

 汐見補佐によれば、多岐川は自らが下した死刑判決の執行を見学した後、裁判を恐れるようになったと言う。それ以降、彼は凶悪犯罪の案件を避けるようになった。自身で逃げたと言っている。もしかすると、自信のない判決を下してしまったのかもしれない。愛感で考えるとそうなってしまう。安いヒューマニティーです。

 焼きスルメ多岐川は悪い奴ではない。が、純度の問題で裁判官には向いてないな。彼の理論でいうのなら、死刑囚は誰かの幸せを全滅させたから死刑なんでしょ。

 だからよー、愛感が愛に昇華する時に、エネルギーが不足になっていたんだよ。そのせいで恐怖が出るんだって。それだけの話だ。ちょび髭多岐川はまだガラクタだな。

 そういうことがあって、焼きスルメ多岐川は、子供たちの幸せを願う裁判官になりたくなった。それで、愛の家庭裁判所を設立する気持ちになった、ということです。GHQもいいカモを見つけたね。

 でも、五黄の寅の寅ちゃんの正義と母性が有れば、とりあえず、家庭裁判所は上手く運営できるかも。

 少し前、少年法が凶悪少年に甘い、と世間から批判されていたが、今日のドラマの成り行きを見ると、甘くなるかもね。愛感につけ込む悪ガキが出て来て「どんなに悪いことをしても、十八歳以下は死刑にならないんだろ」とほざいているね。たぶん?なりますよ。

 まーねー、立派なことを言っても、新しいことを始めても、事務所の金で酒を飲んでいるくせに、餓死した花岡を悪く言うようでは、所詮、多岐川はなまくらだ。焼きスルメから怒られるよ。それでは、生き残りたいだけの半島人や大陸型人と同じだ。

 だいたい、先の大戦で生き残った奴らにロクなのはいないね。エセ左翼やエセリベラルもロクなもんじゃない。家族を不幸にする。だから、政治家が靖国神社にお参りすると、文句を言うのだろうね。

 つまり、家族や国を思うときの本物の「愛」が靖国神社で理解できるようになるからでしょうね。そうなったら悟王子様のように日本人が強くなるから、大陸型人は困るのだ。これもGHQの思惑だ。バレました。

 昭和24年1月1日、焼きスルメ多岐川の夢、「愛の家庭裁判所」が誕生した。多岐川は胸を張っていたが、寅ちゃん達は多岐川の言う「愛」の胡散臭さに、駄洒落よりも寒い思いをしていた。

 

 今日は、ここまでです。どういうわけか、昨日の朝も今朝も圧力が強くて、キツイのです。これから寝ます。世の中のどこかで、何かが起こっているのかな?以上です。