おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いがあるかも知れません。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。(プロフェール参照)
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、真っ透明な空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルと器次第です。
地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいていて、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化して行くというのが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマ、その善悪の基準です。なので、空性を増やしましょう。自他の進化と、貢献に繋がります。
ちむどんどん、見ていますか?。
ノブコは、レストランの採用試験で、10分以内に、美味しいサラダを作るテストを受けている。そしてなんと、サラダの味は、合格だ。
と、喜んだのもつかの間、次の料理のテストが始まった。制限時間は1時間だ。ノブコは、イタリア料理としてナポリタンを作った。日本のナポリタンは、イタリア料理ではないやな。b級グルメだよね。という事で、不合格になった。
しかし、料理長がオーナーに掛け合ってくれて、まかないの時間にもう一度だけ、チャンスを貰えることになった。ノブコは、大騒ぎをして母親に電話したあげくに、父親の建造に教えてもらった沖縄そばを作ることにした。ノブコの一番の得意料理だ。
しかし、ノブコは大した知識のないままに、綱渡りで進んで行くんだね。あとのことは考えないんだね。というか、ノブコには、あとがないんだからしょうがないよね。責任感とか、自分に出来るかな?という不安などは、考えている暇もないんだね。明るく倒れるまで行くしかないんだね。誰かの為に、料理が作りたいということだけが重要な感じだよね。料理長は、それを少し勘どっているのかもね。
あれ?もしかして、このレストランの女性オーナーは、かつて、建造と知り合いだったのかな?
一方、沖縄では、喜納キンゴが、自分の親父を連れて比嘉家に来て、
「良子さん、僕と結婚してください」とプロポーズしている。
その時、母親と良子は、ケンシュウがした借金の為に、銀行から借金をしようとしていて、その保証人を伯父さんに頼んでいるところだった。
伯父さんは、「こんないい話はない。比嘉家は、どうしよう思ない貧乏のサイクルから抜け出せる」と舞い上がっている。さっさと話しを進めるつもりだ。良子は、このまま貧乏を取るか、家族を借金地獄から開放させるか、その道を決めなければならないようだ。
まー、自分の恋心の愛感?好き感(寂しさからではないところで、遺伝子意識が、この男の子供を産みたいという意識)を取るか、・・・自分が借金の犠牲になってでも、家族への思い、その縁を取るか、・・・いずれにしても根底のところでは、長女としての家族への思いやりと、喜納家においての肩身の狭さについて、将来において耐えてやって行けるかどうかを考えるしかないやな。キンゴは良子に対して、「幸せにします」とは、言っているね。
これねぇー、朝ドラが15分だから、いろいろセリフに出で来ないところが有って、アホな視聴者が見ている分には、その全部が伝わるかどうかは分からないけど、なかなか深いね。男が知らないところの女の結婚というものが、何か?そういうところまで行っている感じだね。
そう考えると、ノブコが就職試験を受けているレストランのオーナーと、ノブコの父親の建造が知り合いだったとして、その二人の関係から、男と女の結婚についての一言があったら、ドラマがかなり締まるかもね。
あれれ?、比嘉家の女子たちとその周りの男たちの恋模様を推察して、しかも、これからの展開を想像すると、このドラマは1990年代のトレンディードラマ(恋愛ごっこ)を、超える可能性が有るかもね。全体、どうなんだろうね。??。作者の意見が知りたいな。
この作者は男性だけど、男が恋愛ドラマを描いたとき、女の抱えているもので、男には絶対に分からないところの苦悩の問題について、作者は、書いている感じだよね。
それについて、良子の件を例にとると、俗にいう、マレッジブルーの一つ手前だけど、その迷いを自分で決断して、振り切るところまで行っている感じかもね。どうなんだろうね。
長い一言で言ってしまえば、「沖縄のお婆ぁのように、創造性だけではどうにもならないところを受けて立ってしまう、そんな女のあえての罪」になるかもね。それをどうするのか?だよね。←、世間のアホはこの意味すら分からないからね。うーん、もしそうなら、この作者は、チャレンジャーだね。やろうとしていることは、いい事だけどね。
つらつらと考えるのに、良子にしても、ノブコにしても、歌子にしても、人生がどこに落ち着くかだけだよね。彼女たちは、女の忍耐(期せずして、つらさに耐られていること)と創造性が通じない世界に入ってしまっているからね。それは、巷の安い人生模様が通じない世界でもあるからね。でも、やっているのは、朝ドラなんだよね。ドラマだよね。うーーーん。制作は、命がけだな。死なないけどね。
でも、でも、沖縄の「二十四の瞳」(俺は読んだことはないけど)のことを考えると、沖縄はあのレベルだよ。正真正銘がないと、ダメなんだよ。この作者は、正真正銘を書きたいのかもね。このドラマを、そのように観ると、全部のつじつまが合うよね。(セリフも含めてね)。。そこかぁー。
だけど、あれーー?そもそも、それに耐えられる役者が居るかなぁ?わあーーーーっ。
でも、そんなことはいいから、どこまでも制作すれば、面白いよね。15分だけどね。うーーん。
それをするか、しないかと言われたら、たとへ苦しんでも1年間か6か月間だもんね。・・・『チャレンジするかぁーー』・・するな。脚本書きに本気なら、するな。自分の技術を磨いてみたいやな。進化だからね。そういう事かぁ。・・・俺はそう思うね。
・・・あーぁー、つまり、それが全体として、沖縄なんだね。
これーー、今の世の中の、大陸型人が言うとことの二元論とは違うんだね。「白か黒か」、「するかしないか」、などというよな二元論ではないんだね。
二元論を越えた沖縄の海の色は、見た目には透明な奇麗さで、実は深遠だけど、その真実が世間に通じるとことはほとんどなくて、繰り返す波の中で、我が道をのしのしと進むしかないんだね。
そう言えば、歌子が風呂にはっていて、「にぃーにぃー、には、ボクシングは似合わない」と言っていたな。・・・にぃーにぃー、の進む道は、何なんだろうね。
これって、女には解決できないかもね。どうやったら、解決するのかなぁ。
沖縄のお婆ぁーのように、耐え続けた上で背骨が曲がったとしても、痛みが無ければ、自分の罪ではなさそうなので、人間お婆ぁーを生きて行くしかないやな。
ケンシュウは、良子の実質的犠牲、ノブコの(料理)創造性、歌子の身を削る思いやり、母親の許し、それらに対して、男として、どう答えるつもりなのかな。遠洋漁業のマグロ船にでも乗って、稼いで来るのかなぁ。
いずれにしても、沖縄県人は、これからの新しい世界へ向けて生き残だろうという、成り行きが、本能的に解っている感じだから、沖縄の海と共にその成り行きを見続けるしかないやな。まだ答えは出ないな。
今日は、忍耐も創造性も通じないような現状(貧乏)からの再生は、沖縄の海だけが知っている、の一席でした。
ちなみに、現状を超えて、自分と物事の成り行きを思う時、空気体瞑想は役に立つかも知れません。その成り行きが良くても悪くてもね。覚悟だけですね。さて、午後の行だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。