おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いがあるかも知れません。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、真っ透明な空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルと器次第です。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいていて、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化して行くというのが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマ、その善悪の基準です。なので、空性を増やしましょう。自他の進化と、貢献に繋がります。

 

 ニッポンぶらり鉄道、見ていますか?

 まず、新宿だ。世界各国の料理があるレストランだ。海外の気分が味わえるんだね。でも、なんか、インチキだね。新宿がそう思わせるんだろうね。みんな、淀んだ新宿を出たいんだろうね。流れ着いたんだから、淀んでないと生きて行けないんだろうけど、文化の違う外国人が入って来て、自由と言いながら、人間としてのタガが外れている感じだね。新宿は海だね。流れて来た水が、流れ込むだけだ。新宿の人々は、ヘドロになるんじゃなくて、蒸発して雲になりたいんだろうね。悲しいね。

 今日は、新宿を皮切りに、都営地下鉄大江戸線に乗って、「この町ドラマチックだ」を探す旅だ。・・・あーぁ~、・・・ドラマチックて、その根底に、夜空に光る星々を羨望しているような悲しみが、否応なく内在しているんだね。

 次、麻布十番だ。おかきや豆菓子の店だ。落花生にモッツァレラチーズを被せている。美味しそうだ。代々続いている店だね。

 英語の話せる床屋さんだ。七代目、蔦屋吉五郎だ。江戸時代に、アメリカのハリスという外交官が、この床屋に来て散髪をしてもらっていたんだね。暖簾を守るドラマがあるんだね。ハリスに、丁髷(ちょんまげ)を結ってやればよかったのにね。あははは。

 次、門前仲町だ。桜祭りだ。川下りの船があるんだね。木で作った和船もあるんだね。区が管理していて、ボランティアで、大工さんとかが「友の会」を作って、運営をしているんだね。メンバーを募集しているんだね。

 小さな伝統文化をボランティアで支えているって、文化庁も何か方法を考えた方がいいよね。文化庁は、GHQのせいで無意識のうちに、日本文化を潰すことしか考えてない方向へ頭が行っているんだろうね。エセ日本人が入っているんだろうね。文化庁の意識改革をして欲しいよね。日本には、ヒストグラムという文字や、縄文時代から江戸時代までのいい文化があるわけだから、見直して欲しいよね。頑張れ、純正日本人のお役人さん。

 次、上野御徒町だ。インド人が店主の宝石店だ。インド人は、よく宝石を売っているね。ジャイナ教の人が多いいんだね。嘘をつかない、与えられないものは取らない、そういう感じの教えなんだね。その上、「生き物を傷つけない」という事で、信者の多くがベジタリアンなんだね。そして、カルマ(業)として、いい種を蒔けば、善き実が成るという教えらしいね。

 という事は、ジャイナ教のインド人は信用してもいいという事かな?でも、ジャイナ教の開祖は、お釈迦様から言わせると、進化の道を外した者なんだよね。

 しかはあれども、ジャイナ教の開祖は、ウェーダーの仙人の中の一人が、元らしいね。

 そう考えると、まー、ジャイナ教の教えは、現世的な戒の教えなんだろうね。その教えは、正しい悟りとは少し違うものかもね。

 どちらかというと、「肉体と生命」、その中にある欲望との戦いという感じだね。だから、目的は苦行になっちゃかもね。ひたすら我慢と苦行だね。スポーツ根性物語ならぬ、修行根性物語だね。

 言ってしまえば、スポーツだけでも、バリバリに鍛えるだけで、肉体の生死を超えてゾーンに入るようになるから、ジャイナ教でも、熱心に修行(苦行)をすれば、肉体の生死を超えてゾーンに入れることになるだろうね。あとは、そのゾーンに空や空性(くうやくうせい)の性質が多いいか、どうかだよね。

 それで、空や空性は、命の元だから、ジャイナ教では、結局、「命を傷つけるな」という戒が必要になって、ベジタリアンになるんだね。その上で、嘘を言うな、与えられないものを取るな(盗むな)、善きカルマの種を撒け(徳を積め)と教えて、いわゆる、この世で生きて行く為の、信用をなんとか確保しようとする教えなんだろうね。つまりは、「自分の命との生き方」を言っているんだろうね。

 そして、とどのつまりは、「生き物の命を傷つけずに、善き徳を積む生き方をしないさい」、的な教えを説いているんだろうね。

 そのようなことが身に付いた上で、肉体の生死を超えるぐらいの苦行をして、ゾーンに入れる人は入りなさい、霊能力も得られますよ、という感じでしょうかね。

 そういう風に見ると、透明な空や空性からの自然に流れ出るエネルギーの流れが、ジャイナ教では、説明されてないんだね。

 ゆえに、天然のダルマエネルギーの流れ、これを道理(=自然法理)と言うのだけど、そこの話が飛んじゃっているから、教えと戒が、現世的になってしまうんだろうね。現世的だから進化しにくい面があって、だからお釈迦様は、ジャイナ教の教祖は外道だと言った可能性が高いね。この話に付け加えることはいろいろあるけど、書くときりがないや。

 次、牛込神楽坂だ。神社?で、本のイベントだ。夏目漱石の「吾輩は猫である」にちなんで、化けの猫メイクなどをして、パレードとかをしているんだね。ゲゲゲの鬼太郎に出て来る猫娘だね。商店街の活性化なんだね。毎年、化け猫フェスティバルを開催しているんだね。本物の猫も参加させればいいのにね。猫にとっては迷惑か。あっ、神楽坂は、芸者さんの街だよね。今は違うのかなぁ。芸者さんと猫は合いそうだから、コラボしたらいいね。

 次、新宿西口だ。思い出横丁だ。もう、横丁もなんか疲れそうだね。俺は、そんな気がした。

 居酒屋カメラマンだ。朝から居酒屋で一杯だ。新宿にしては安いね。しかも、どのつまみも美味しそうだ。そりゃー、朝から飲みたいね。そして、早死にだね。「そして、神戸」という曲があるのなら、「そして、新宿、早死にブルース」という曲を書いたら、面白いと思うな。毎日、死ぬほど飲めたら幸せだろうね。幸せ=死合わせ、だね。あはははは。あっ、「そして、新宿・死合わせブルース」か。イケるかも。売れないやな。

 うなぎのひれ焼きの店だ。先代よりも焼き方が上手いんだね。店主はまだ若いね。スポーツトレーナーになりたかったんだね。

 この若者の根幹は、特定だけど誰かの役に立ちたいんだね。じゃぁ、自己流で、ウナギのかば焼きとか、サンマのかば焼きとか、鯖のかば焼きなどを開発したらいいかもね。ひたすら、甘辛く焼いてみるというのは、原点の美味しさだから、不特定多数だけど、誰かの役に立つだろうから面白いかもね。

 ぱっと観ただけだけど、この若い店主は、心が決まればひたすらにやる人みたいだから、彼が、人間を丸ごとまともに相手にしたら、彼自身が、ちょっとしんどいかもね。自分が潰れる可能性が有るかも知れないから、あれだね、目の前の人間とはワンクッションを置いて、技で勝負したらいいね。

 つまり、鰻とか、サンマとか、鯖とか、イカなどなどを、甘辛くて美味しく焼く技術を開発して、それで目の前の人間に貢献したらいいね。これも技と感覚の勝負だからね。醤油と塩と甘味と、焼きと・・・やり始めると奥がいろいろと深いだろうね。ひたすらやるんなら、面白いと思うけどね。

 いずれにしても、この店主は、人間に深入りしないで、技に深入りをした方が、いいね。自分が病気とかで潰れないやり方を身につけた方がいいね。新宿だから、客によっては業が深くて危ないからね。

 今日のテーマは、「この町、ドラマチックだ、を探して」だけど、ドラマチックて、その根底には、夜空に光る星を羨望しているような悲しみが内在している感じがあって、ドラマチック全体は、深い業(カルマ)の果てにたどり着くところなんだろうね。善いことしたカルマでドラマチックに浮いても、悪いことしたカルマでドラマチックに沈んでもね。

 新宿は、海だね。けっこう、深くて、闇だね。ドラマチックは、闇だったんだね。

 俺が、ふと思いつく、ドラマチックの最大は、「アメリカンドリーム」だけど、「アメリカンドリーム」の本質は、闇だったという事でございましょうね。お金も人種もあの国へ流れ込んでいる感じですからね。アメリカは、新宿なんですね。

 そんな海から蒸発して雲になりたければ、空気体瞑想をして、空性のエネルギーを上げたらいいですね。さて、修法だよ。

 

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。