おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルと器次第です。

 天の川銀河の中心へと、太陽系惑星の地球が近づいているように、肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化します。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマ、その善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化への貢献に繋がります。

 

 ちむどんどん、見ていますか?

 ノブコは、東京の遠い親戚へ養子として行くことになった。「僕が守るから、頼れ」とノボルが言った。えっ、ノボルはもうすぐ留学をするんじゃないのかな?まっ、いいや。

 ノブコの東京へ旅立つ日が来た。前の晩は、貧しい夕食をかこみ、家族で、なんとか心を温めている。翌朝には豆腐屋の息子が、油脂豆腐をただでノブコに食べさせている。

 そして、田舎のバス停での別れだ。ノボル親子と一緒に、ノブコは東京へ出発だ。バスは発車した。が、兄弟たちはバスを走って追いかけている。ノブコは、バスの一番後ろの席で、それを見ている。仕方のない別れだ。。。

「止めてください。バスを止めてください。開けて下さい、ドアを開けて下さい」とバスの運転手へ向けて、ノブコは叫んでいた。

 バスは止まった。ノブコがバスから飛び出すと、兄弟たちは、抱き合って「みんなで幸せに成ろう」と言い合った。母親は、私が間違っていたと、安堵している。

 それから7年が過ぎて、現在は1971年(昭和64年)だ。海の見える丘に木が生えていて、その木に取りつけた心の声を書くポストには、小鳥が住み着いていた。幸せの青い鳥かなぁ?えーと、あのポストでは入り口が大きすぎて、鳥は住みつかないんじゃないかな?まっ、いいや。

 さて、もしかすると、母親の優子は、いいパトロンでも見つけたのかな?まー、立場は独身だからね。死に別れだしね。相手の男の家族を壊さなければ、まー、まー、ご自由に、・・・かもしれないけどね。ケンシュウは、荒れそうだね。

 それか、優子は、後家の突っ張りで頑張ったんだね。あっ、ケンシュウが中学3年だから、卒業をすれば働きに出られそうだね。ギリギリなんとかなりそうだな。

 家があってさぁー、住むところが有ってさぁー、畑も有るわけだしさぁー。別にトウモロコシを作らなくても、食べられるものを作れば、何とかなるよねぇー。海の幸もあるし、気持ち次第では、やっていけないことはないやな。

 まー、世間は貧乏を馬鹿にするかも知れないけど、言っておきますが、貧乏を馬鹿にしても、1円にもならないんだよね。貧しい者同士の自己顕示欲においての、一時的な満足というのはあるだろうけどね。ただ、金持あっても無くても、ダメな奴と関わると、足を引っ張られることはあるよね。そのダメさ加減が、それなりに役に立つ時もあるにはあるけど、関わるという事は、治しながら関わるという事だから、難しいところだよね。

 あからさまに言ってしまえば、一人で意地になって頑張る必要はないかも知れないけど、「ひとり」だと思っていれば、精神の自立成長はあるよね。

 そこで肝心になって来るのは、その「ひとり」と神様・佛様との関係や、天然のダルマエネルギーの関係だからね。この関係をより良く治すことは重要だよね。その辺の所に、同じ仲間がいれば、親友以上の「法類(ほうるい)」成れるんだね。

 法類は、離れて居ようが近くに居ようが、エネルギー的につながっていて、正しいプラスの影響を及ぼす関係の両者だね。

 だけど、今の世の中では、イスラム教やキリスト教の一神教ですら争う時代だから、法類の関係なんて皆無だろうね。一神教なんだから法類になれば、助け合えるのにね。自分と神様や仏様や天然のダルマエネルギーの関係を治さずに、お互いに壊す方向に行っているよね。あははは。

 余談だけど、聖書の創世記の一番初めの数行に書いてある部分で、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。・・・うんぬん・・」と説明されているところがあって、この世の根本の部分なんだよね。そして、お釈迦様のお経でも、起源経(人間社会の成り立ち)というのがあって、これにも、創世記の一番初めの部分と同じようなことが説かれているんだよね。ある程度悟った人が読めば、分かる感じだけど、聖書とそのまんまの、同じ説明の所もあるね。

 ゆえに、空や空性(くうやくうせい)の中で見えてくる事象は、表現方法は違っていても、見えてくるものはだいたい同じ傾向なんだろうと思うな。観えて来る現象のその向こう側の意味を知ったら、幅広い理解が出来て、余裕が持てていいのかもね。ただ、観てて来るそれらの意図は、浄化と進化であって、決まっているから、変えられないね。

 付け加えれば、魂は、エネルギー価が上がる方向に進みたいものなんだよね。例えば、誰だって、地獄より天国に方へ、行けるものなら行きたいでしょ。その感覚自体が、実は、「魂の性質として、魂自体がエネルギー価の増加することを求めている」、その証拠なんだね。

 ゆえに、空気体瞑想をして、空性からの天然のダルマエネルギーを深層意識や魂に増やしていくことは、人間の本来的なところからの、自然な行動なんですね。ただ、これの分からない人は多いいけどね。

 まっ、一神教ですら、意味は同じことを言っているのに、自分の神様だけが正しいとかと言って争うんだから、しょうがないやな。取りあえず、どちらも、天国に行きたいんでしょう。意味は同じじゃん。あははは。そんな現状だから、法類なんて、夢のまた夢だよね。とほほ。

 一神教の人たちも、空気体瞑想をしたらいいね。彼らもたいした出来はないような人たちだから、どうせいつかは死ぬんでしょ。空気体瞑想を、考えてみたらいいですね。

 唯一絶対なる神様を信仰しなさいと言うのは、その唯一絶対なる神様のエネルギー価が、一番高いからであって、そのことが、魂にとって効率的にエネルギー価を上げる方法として一番いいんだね。そのような当たり前の道理に基づいて説法をしていると、俺は思うな。

 でも、アホは、それがなかなか分からなくて、親切のつもりで、いろいろと禁止条項を増やしてしまうのだろうね。真面目な奴の真面目な分だけ、なんだか、哀れな話だよね。しかも、真面目で哀れな奴も甘えてふざけた奴も、実際には、進化の足手まといだしね。まっ、それが人間の世界だけどね。中庸の意図すらくみ取れていないのが現状かもね。うるさく言いたくなるのも分かるよね。あははは。

 ケンシュウだって、次の春になれば、中学を卒業して、死んだ父親の仲間の大工さんの所に行って、大工見習いにでもなれば、なんとか稼げるわけだし、ブタを増やして、飼育する手もあるかも知れないしね。特に、やりたいことがなければ、生き方や稼ぎ方については色々とパターンがあるだろうと思うけどね。

 ついでに言うなら、やりたいことがなくても、どの魂も天然のダルマエネルギーを増やしたいわけだから、空気体瞑想をして、まず、自分の魂が天国に行く方向について、魂を満足をさせていれば、まー、その個人にとっての人生の価値は、有ることになるだろうね。そういう理解がない周囲の人は、いろいろと言うだろうけどね。

 魂のエネルギー的なことについての満足は、この世でその魂がやりたいことや出来ることを見つけるきっかけへと、繋がる可能性が有るんだよね。心や魂の傷の癒えた人間だけが、本当にやりたいことが出来て、実るのかも知れないしね。

 いずれにしても、木の葉は、木の葉だからね。幹や花とは違うからね。それでも、木の葉にも幹にも花にも実にも、樹液は流れているわけで、樹液が流れることで木なども成長しているんだよね。

 つまり、この樹液に当たるものが、人間で言うと、空性からの天然のダルマエネルギーなんだね。押しなべて、いい仕組みでしょ。だから、空気体瞑想をしたらいいのでございますね。まー、実の成るまでには、成長をしないといけませんわな。

 今日は、その人に応じた人生で、実の成る人生にする為に、空気体瞑想をして、深層意識の一番深い所(魂の所)に空性からの天然のダルマエネルギーを増やして、アホからは卒業しましょう、の一席でした。さて、修法だよ。

 

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。