おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。天の川銀河の中心へと、太陽系惑星の地球が近づいているように、肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化します。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマ、その善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化に繋がります。

 

 ちむどんどん、見ていますか?。

 ノブコの家族は、全員で高級レストランに来ている。大学の先生の招待だ。ノブコは、出されてきた料理の名前を、いちいちメモして、一生の思い出にすると言っている。そして、シェフが挨拶に来て、ノブコはその白いコックコートに憧れた。

 ノブコは、いつか東京に行って、美味しいものをたくさん食べたいと思っている。

 レストランでの食事会が終わって、家に帰った子供たちは、安心して良く寝ている。両親は、借金は有るし、子供には金がかかるし、悩みは尽きない。あーぁ~、だね。父親は、サンシンを弾いて、親の教えの歌を歌っている。そして、出稼ぎに出ようと思っているみたいだ。家を建てたのも、きび畑を買ったのも借金なんだね。

 そんな時、父親の賢三は、トウモロコシ畑で刈り取り作業中に倒れた。心臓に来たようだ。ノブコたち兄弟は、学校から急いで家に駆け付けた。賢三は座敷で横になって苦しんでいる。死ぬんだね。こりゃー、大変だ。生命保険は入っているのかな。

 しかし、沖縄ロケだよね。トウモロコシの一本一本を刈っているもんね。CGじゃないよね。なんか、空の色も海の色も、絵に書いたような奇麗さだよね。ストーリーより、その風景の方へ気が行ってしまうね。

 まーなー、いつも住んでいれば、別にどうという事は無いんだろうけど、なんか他所では感じられないような、色の美しさの波動があるよね。沖縄民謡の詩で、その教訓の例えも、なかなか清浄で正常だよね。「沖縄は、どうして、今みたいなことになっているの?」という感じがするね。

 沖縄大陸があったとして、それが沈んでからもう長いだろう。数万年は経っているはずだよね。ただ単に、近代において、西洋文明に乗りおくれたという事かな?。島が良すぎて、島から人が出なかったか?。それは、あるな。一旦は、島を出て、知識や情報を島に持ち帰るという事をしなかったのかもね。

 そう言えば、ボクシングの具志堅洋行も13連勝をかけていた時に、沖縄に帰って戦ったんだよね。試合前のアイスクリームが食べれなくて、負けたけどね。いつものルーティーンとギリギリの栄養は、凄く重要なんだけど、会長が、大切な試合だから、アイスクリームを食べないようにと止めたんだよね。そこが、違ったんだよなぁ。

 仲間由紀恵も沖縄出身なのに、沖縄ロケをしていても、沖縄に帰っていない感じだよね。東京の人だよね。どういうことかな?。

 沖縄県人は、外に出たら、沖縄風に戻れないみたいなことがあるのかなぁ。それじゃー、沖縄は取り残されるよね。まー、あの景色を見て、どうにか食っていければ、人間はいつか死ぬわけだし、文明も文化もお金も「まっ、いいやぁー。アァイィヤァー」とかと、無意識に思っちゃうのかもね。早い話が、この景色のひと時があれば十分で、いつ死んでもいいやと深層意識的に思えるには、思えるわな。沖縄大陸って、アマゾンをとてもとても美しくした感じの大陸だったのかなぁ?。知りたいなぁ。

 たぶん、いにしえの沖縄大陸は、生きているリズムが他所とは違っていたんだろうね。だから、そこを一度出ると、なかなか戻れないような深層意識になってしまうのかもね。そのリズムも本物に近いから、数万年経っても、身体の中から消えないのかもね。まっ、あの景色の色を見ていれば、数万年経っても身体から消えないやな。しかも、そのリズムは、一旦、島の外に出ると今度は、外のリズムに毒されて、元に戻りにくいんだろうね。

 あっ、そういうことか。島の外の世界、その深層意識のバランスは、金と物の方が先だからね。まっ、それを文明と呼んでいるんだろうけど、たぶん、いにしえの沖縄大陸の文明は、「金と物」が文明という感じではなかったんだろうね。珍しいね。

 だから、島の外に出た者が、島へ帰ると、深層意識のバランスにおいて、その人のやり方が、沖縄の元の感覚とはズレて来ていて、沖縄の風景のあの美しさのリズムとは、違うものになっているんだろうね。生粋の沖縄の人から見ると、沖縄に帰って来た者は、薄ずる賢いように感じるのかもね。ところが、それも許すのが、沖縄の人なんだろうね。「また、沖縄のリズムを思い出すさぁー」という感じかもね。んーーむ。

 結局のところ、沖縄は、他の土地の物質的思考、その少し汚れたリズムを取るか、沖縄の美しい風景にある精神のリズムを取るか、というところを迫られていて、沖縄を出た人は、前者の方を無意識に取ってしまっているんだろうね。そこに気づくことが出来れば、すんなり沖縄に戻れて、沖縄の発展のために貢献できるようになるのかもね。

 もしそうなれば、沖縄は、独特の発展をして、いにしえの沖縄大陸に有ったような沖縄世(おきなわよー)が、戻ってきそうだけどね。いにしえの沖縄大陸は、貧しくはなかったと思うんだよね。ただ、あの奇麗な景色の中で、古代沖縄大陸の人は、バリバリにはしゃぎ過ぎたのだろうね。

 俺の頭の中に浮かんでくる古代沖縄大陸は、今の地球のどこの地域よりも、人も景色も相当に美しく綺麗だったように感じるんだよね。東京の比じゃないなぁ。それは天部の色だね。

 そう考えると、宇宙の時間の流れは、黄金(サトワ)の時代から銀の時代、銅の時代、鉄の時代(悪のはびこるカリユガの時代)へと、進んでいたんだから、天部のような沖縄大陸が海に沈んで、そこの人たちが天部に入るのは、宇宙時間の流れで言えば、必然だったのかもね。そういういことなら、全体、ストンと、俺は理解で来ますね。

 でも、これから数年が?数十年が?(そんなに遠くない時期が?)経てば、再びサトワ(大調和)の時代が来るみたいだから、希望はあるよね。カリユガの時代の次は、サトワの時代らしいからね。このサトワの時代は、聖書の書いてあるように(=ヨハネの黙示録で、空にキリストが現れて、神様と人間が一緒に住める時代が)、世々限りなく続くみたいだからね。「なんくるナイサー」でございますね。

 今日は、やっぱり、俺は、いにしえの沖縄大陸が見たかったーーの、一席でした。空気体瞑想で時の感覚を超えよう。さて、修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

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