おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。天の川銀河の中心へと、太陽系惑星の地球が近づいているように、肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生のドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化に繋がります。
ちむどんどん、見ていますか?。
東京から来た大学の先生と息子のカズヒコは、ノブコの家で晩御飯の食事会だ。御馳走は、豚肉と沖縄そばだ。カズヒコは、なかなか手をつけなかったけど、ノブコに食べるように勧められて、一口食べた。「今まで食べたソバの中で、一番、美味しい」と言っている。沖縄そばはシンプルに見えて、意外に美味しいよね。
しかし、兄のケンシュウは、自分の飼育していた豚が、食卓に出ていることを知って、ショックを受けた。が、何かの命を食べなければ生きて行けない人間の、せめてもの思いとして「美味しい、美味しい」と言いながら食べている。本当の感謝とは、深いよね。
これは、意味において、カムカムエブリバディの安子の「美味しゅうなれ、美味しゅうなれ、(良くなれ、善くなれ)」と同じ考えだよね。
詳しく説明すると、この前も書いたけど、野生の動物(畜生界のもの)は、ほとんどが畜生界の下の餓鬼界に落ちて、救われて行くことはないと思うんだけど、動物が、人間の餌になることで、そして、それが「美味しい、美味しいで、美味しゅうなれ、美味しゅうなれから、良くなれ、善くなれ」ということとなれば、家畜も、もしかしたら、畜生界から修羅界へ上がり、人間界へと善くなる可能性が出てくるんだね。美味しいと感じて食べること自体が、供養的な意味を含んでいて、食物になった動物の霊的進化に繋がる可能性が有るんだね。肉を食べた人間が、その肉に負ければ、修羅界や動物界に落ちる可能性もあるけどね。ベジタリアンは、ここを知っていないと、カッコばかりのベジタリアンだよね。
それに加えて、美味しく食べるという事は、美味しく作ってくれないと、なかなか難しいやな。まー、腹が減っていれば、何でも美味しいけどね。あっ、だからライオンとかの肉食動物は、腹が減らないと餌を取りに行かないんだね。美味しく食わないと霊的な意味が無いからね。動物同士じゃ、何をしてもしょうがないけど、どうにもならないやな。畜生界だもんね。
食物(物質)を食べる時の品物の流れは、重力と食道の筋力によって、口から下へ流れて行くわけだけど、その時の「美味しい」という感覚の気の流れは、上方向へ流れているんだよね。臍(お腹)から上へかな?そんな感じなんだよね。少なくとも、ほっぺたから上、口から上へは、流れているし、背中全体で上へ向けて、「美味しい」と気が流れている時もあるよね。それが、上手く行けば、その人の意識レベルで至福意識に繋がるという分だね。そうすると、にこやかになる人が多いいよね。安子の親父が言っていたように、「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべて、甘めぇー、アンコが出来るんじゃ」になるんだろうね。
だから、押しなべて気の流れで考えると、食べた時に「美味しい」と感じて、下から上へ気が流れて、霊的進化に繋がる可能性の有るという状況、その状況が、食事の価値として重要なんだね。まー、料理(味)は大切だ、という事だね。でも、霊的進化の可能性だからね。絶対ではないからね。
だから、この一連の仕組みでの「美味しい」と「その気の流れ」をよく理解しておかないといけないやな。そうでないと、料理はただの餌だな。腹を満たすだけだな。そんな時は、嘘でも「美味しい」とかと言っておけば、人間関係としては、まっいいやな。
いずれにしても、ご飯の前に合掌して「頂きます」と、食べ終わった後に「ごちそうさま」は、作法(供養・霊的進化)として必要なんだね。
そう言えば、日教組は、給食を食べる時に、生徒が合掌して「頂きます」とかというのは、宗教的だから教育にふさわしくないなどと言って、「ピッ」と笛を吹いて、食事を始めさせていたことがあったらしいね。本当に、トンチキ左翼はバカだね。(霊的・知的・肉体能力的に)進化しない教育なんて、あり得ないだろう。子供を壊しているだけじゃん。本当に、トンチキ左翼日教組は、糞だな。何にも知らないで言ってやがるんだな。
トンチキ左翼の教育委員会人と日教組人は、死んで畜生界行きだな。ハレンチな事ばかりを思いついているのだろうね。戦後にそれを進めたGHQもイケないね。どちらの奴も畜生界行きで、救われないね。
純正日本人の政治家さんと文部科学省さんは、このトンチキ左翼の日教組人を直すか、始末するように頑張って下さいね。顔晴ろうーー。
食事も終わって、父親たちは、サンシンを弾いて歌っている。美味しく食べたお礼?だね。かわいい命へのいろいろなやり切れなさには、歌でお礼だよね。歌って踊ってお礼だよね。そういう歌と舞は、祈りだよね。そんなところだねぇー。なんくるないさー。「しっかり食べて、ちゃんと昇華して、肉(物質)に負けないようにぃさぁー」だね。
ソーキそばの出汁は、豚肉と鰹なんだね。そりゃー、骨じゃないから味がふくよかになるわな。沖縄の塩もいい味だしね。とっても贅沢じゃん。なるほどね、やっぱ、沖縄には、かつて沖縄大陸があって、バリバリ贅沢な文明があったな。もう俺は、これについては、間違いないと思うな。だいたい、出汁を骨から取るというのは、捨てるものから取っているわけで、贅沢とは程遠いい事だからね。食べられる肉から出汁を取れば、そりゃー、旨いわぁ。ソーキそば(沖縄そば)は贅沢な沖縄大陸文明の名残だね。スッキリしたぁー。
ノブコの父親は、大工もしていた。それで、自分の家も自作したけど、沖縄はその時々の時代に流されたと感じているみたいだ。やまとゆー(大和世)・いくさゆー(戦世)・アメリカゆー(アメリカ世)と、自分も行き当たりばったりかも知れないと思っているんだね。
『たくさん死んだよ』・・・そのやり切れなさがあるみたいだね。サンシンを弾いて、歌って踊って「なんくるなさー」だね。
だけど、この歌と踊りは、朝鮮半島のそれらとは、中身が真反対ほど違うね。沖縄のように、(まともに)生きているが故の切なさを癒すためのもの(歌やカチャーシー)と、中国や朝鮮半島のように生きて行く為にしてきた嘘などの業や悲しさを誤魔化すために歌って踊っているのとは、そりゃー、まるで違う事でしょ。
さて、ノブコが思いついたポストが出来た。このポストは、子供たちが自分のやり切れない思いを人に上手く伝えられない時に、手紙に書いて、そのポストに投函するためものだ。ノブコの父親が作ってくれて、海の見える丘の木の下に設置された。子供たちは喜んでいる。
転校生のカズヒコは、ノブコやノブコの兄弟とも、このポストで手紙のやり取りをして、だんだんと村の人に溶け込んできた。手紙の内容は、たわいもない事さぁ。それで、いいさぁーね。
しかし、カズヒコは、秋の運動会が終わったころに、留学をしようと考えているみたいだ。不仲な両親の家にいるより、広い世界を観てみたいんだろうね。気持ちはよくわかるな。
それを聞いたノブコは、東京に連れていって欲しいと言っている。理由は、美味しいものがたくさんあるからだそうだ。美味しいものがあれば、世界のどこにでも行きたいらしい。女子は、美味しい食べ物には勝てないよね。それで、カズヒコの父親が、ノブコとのノブコの家族を、那覇のレストランに招待することにした。
レストランは、ノブコの兄弟たちにとって、別世界のようだ。やっぱ、食事をとるところには、いい世界感が必要なんだね。そう考えると、食事をする部屋というのは、寝室ように常設が必要なんだね。知らなかった。部屋が増えると掃除が大変だし、金もかかるから、無理だなぁ。あははは。
まっ、食事用のちゃぶ台とかお膳があるだけで、同じ部屋の食事でも、場面が切り替わるから意識の変換にはなるだろうね。要は、場面の切り替えが必要なんだね。お母さんの
「はい、出来たわよ。さぁー、用意して、ご飯よ」が必要なんだね。ほんのちょっとしたことで、暖かい家庭になるんだね。その時だけはね。
そのようにすると、大人になっても、その家の子供は、自分の実家に帰ってみたくなるんだろうね。俺にはないやな。いまさらねぇー、、、なんくるないさー、天涯孤独でいいよ。超低空飛行だけど、それをも超えて安定しているしね。あははは。
あれ?なんでだぁー。明石家さんまが偉大に見えてきたぁー。だって、さんまさんは、
「幸せーーっ、なんだっけ、なんだっけ、ポン酢しょうゆのある家さ」というCMをやっていたよね。まさに、ポン酢しょうゆ一本で、ひと部屋しかない家庭でも、その家族の場面が切り替わるのであるのならば、なんか、幸せなはず、・・・そういう事を伝えているCMだよね。偉大じゃん。あはは。あっ、さんまさんの場合は、「そういう事」、じゃなくて、「しょういう(醤油)事」でございますね。(←さんまさんの流行らなかったギャクです)お後がよろしいようで。
今日は、「美味しゅうなれ、美味しゅうなれ。美味しい、美味しいは、良くなれ、善くなれ、自分もみんなも、良くなれ、善くなれ」という下から上への気の流れを含んでいて、霊的進化の祈りだったのです。美味しいと感じる食事は、善くなるための祈りに繋がるという事で、どうでございましょう、の一席でした。
仮に、何かの理由で食事が美味しくなくても、空気体瞑想すれば、その気の流れは、良くなれ,善くなれの祈りです。トライしましょう。さて、修法だよ。
今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達の弁財天尊様の修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。