おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。天の川銀河の中心へと、太陽系惑星の地球が近づいているように、肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生のドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化に繋がります。
ちむどんどん、見ていますか?。
ノブコは、一人でいるヤマトンチュウの転校生に声をかけて、「山に行こう」と言った。
転校生は山について行ったけど、ノブコは、山のイチゴや草を食べている。転校生は、「帰る」と言い始めて川でコケそうになってしまったので、ノブコが支えたら、ノブコの方が足をくじいた。
雨が降り始めて、二人で山小屋に避難していたところ、帰りが遅いのを心配した親父たちが探しに来た。転校生の家は、母親と父親があんまり仲が良くないみたいだ。両親の仲いいノブコの家とは違うみたいだ。
ノブコの父親は、ノブコにそば打ちを教えている。食べることに関係していれば、二人はとても仲がいい。
一方、ノブコの兄のケンシュウは豆腐屋の友達と一緒になって、転校生を砂浜に呼び出した。そして、「ノブコにケガをさせやがって」などと因縁をつけて、決闘をしようとしたけど、取りあえず、漫画の本を借りることにした。そして、三人で沖縄相撲を始めた。
沖縄にも相撲があるんだね。この相撲は、ガッツリとぶつからないんだね。痛いからね。その割には、一撃必殺の空手が沖縄にはあるんだけどね。やっぱり、沖縄は文化が深いよね。
これはー、何万年か昔に、沖縄大陸があったな。海に沈んだんだな。俺はそう思うね。勘だけどね。沖縄の琉球空手は、近代のものだろうけど、その精神は深い感じがするから、今の島だけじゃ、その進化はあり得ない話だからね。
夜になって、晩御飯の前に、ケンシュウが「飼育していた豚がいなくなった」と父親に聞いて来た。どうも、ケンシュウに言わずに、豚を出荷したようだな。そこへ、大学の先生と息子が、晩御飯を御呼ばれに来た。ブタの角煮が出てきたりして。あははは。
まー、沖縄県人みたいに、生活の中でいろいろと助け合ったりして、とにもかくにも、人間の好きな人たちはいい??よね。何をしても、一々感情が動くんだね。生きている感じがあるんだろうね。その為には、食わないといけないだよね、ノブコ。
ところで、このノブコ役の子供は、なにげに芝居が凄いねぇー。たぶん沖縄の子だねぇー。いい意味で、みんなで楽しむというサービス精神が染みついているんだねぇー。こういう何気ないところの動きや精神で、俺は、沖縄がもともと沖縄大陸だったわけだと思うわけさぁ。
しかし、この沖縄系大陸型人のこの性格は、珍しいよね。今の欧米人や中国人や半島人などの大陸型人みたいに、「人を見たら、信じるな、自分は騙されないように注意しろ。表向きは仲良く見せかけろ。言ったもん勝ち、やったもん勝ちなんだ」という感じとは違うんだよね。
沈む前の沖縄大陸は、この世の楽園ぽっいイメージが感じられるね。ならばなんで、海に沈んだんだろう。何があったのかなぁ。もしかして、浮かれ過ぎたのかなぁ。だけど、浮かれ過ぎが理由で、大陸が沈むなんて、ドンだけ浮かれ過ぎたのかなぁ。どちらにしても、にわかには、信じがたいな。
沖縄大陸があったとしたら、そこの人が、莫大に浮かれ過ぎて、ある日突然に、その大陸が沈んだというのは、可能性としてあると言えば、俺はあると思うけどねぇー。
御奉仕精神・サービス精神が旺盛で、みんなで騒いでいたら、そりゃー、熱くて面白かったろうね。明石家さんまを1000倍ぐらいにした人たちが、普通にうようよと居て、踊って歌って飲んで、騒いでいるんだからね。そりゃー、毎日が、時を知らずのお祭り気分だろうね。
そうして、ある日突然、沖縄大陸が沈んでも仕方がない気もするけどね。
サービス精神が旺盛で、熱くて楽しいのが悪い訳じゃなくて、バランスの問題だからね。自分の影(闇)を見せないようにしたのか、見ないようにしているうちに、沖縄大陸と人々は、海の許しの闇の中に沈んだんだろうね。
そう考えると、沖縄の海は優しいね。今でも海底まで見えるんだからね。海底には、かつての沖縄大陸の沈んだ跡があって、海の水は透明度が高くて、同じ失敗を繰り返さないようにと、沈んだ大陸の栄華を観えるようにしてくれているのかもね。俺は、そう思うな。どう感じても、沖縄は、ただの島じゃない感じがするんだよね。数万年の単位で観ないと、よくわからないところだろうね。
いずれにしても、サービス精神が旺盛で、みんなで楽しく騒いで生きていたら、面白かったろうね。死ぬときは、一晩で沖縄大陸が沈んで、プッツンで終わりだから、それもいいよね。苦しんでないやな。自分のバランス(調和・サトワ)が狂ったら(違ったら)、瞬時に消えてしまう天部と同じエネルギーの仕組みだね。
そのようなことから、沖縄大陸は、この世だけど、天部みたいな楽園だったのかもね。今の沖縄にも、その名残があるような気がするな。
海に沈む前の沖縄大陸には、凄いユタ(霊能者)がたくさんいたのかも知れないね。今でも、そういうユタがいらっしゃるからね。
かつての沖縄大陸が、偉大なユタたちの努力よって、天部のような集合意識に成っていたとしたら、アホな大衆が、はしゃぎ過ぎてしまって、その天部のようなサトワの集合意識を崩して、一晩で海に沈むこともあり得るな。むしろその方が宇宙の道理だわ。
だから、海に沈んだ沖縄大陸で生活していた人たちは、たくさんあの世の天部に入ったんだろうね。その方が、彼たちの性に合っていて、暮らしやすかったかもね。天部に産まれた者にも寿命はあるけどね。
これを読んでいる人は、この話を信じないかも知れないけど、俺は、なんとなく、沖縄が解って、スッキリした部分は多々ございますね。
今日は、いにしえの沖縄は、沖縄大陸であって、そこには、明石家さんまさんを千倍・万倍にしたみたいな人が、うようよ居てまして、毎日が熱くて楽しくて、カラ騒ぎをしていたのでございましょうね、の一席でした。
「ほんまかいなぁー、噓やろー」・・・「あっ、ほんまや」。。。「なんくるなさー」。お後がよろしいようで。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。