おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。肉体もスピリチャル(精神)も常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生のドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化に繋がります。
ちむどんどん、見ていますか?
「ちむどんどん」とは、生きていて、心がワクワクするような感じのことを言うらしい。命の喜びを無邪気に感じていることだろうね。「下手に考えるな。そんな暇があるのなら、目の前の海の美しさを見て、喜ぼう。」「海の青を見て、なんくるないさー、と言えば、ちむどんどんと、力も湧いて来るさー」だね。たぶんね??。あはは。
1971年、昭和46年、沖縄のヤンバル地域だ。主人公は、比嘉ノブコという娘だ。両親と兄と姉とノブコと妹の4人兄弟だ。
まず、物語の時代は、1964年(昭和39)9月(?)から始まっている。まだ、アメリカが統治している時だ。返還前だね。ヤンバル村には、まだ電気が来ていないようだ。みんなでお金を出し合って、生活必需品を売っている店などを作っていた。店の利益は分配だ。生きて行く為の助け合い?みたいな工夫をして、生活をしているんだね。各家では、ブタや山羊なども飼っている。小学校と中学校は同じところにあり、全校生徒は100名ぐらいだ。
信子は、育ち盛りで、食べることが大好きだ。子供たちは、遊びとしても、シークワサーや海で貝を取って食べている。食うことが生きることであり楽しみで、遊びでもあるんだね。まだ、貧しい時代なんだね。沖縄って気候がいいのに、なんで貧しいのかな?合点がいかないな。
そんなところに、東京から転校生が来たようだ。彼は、田舎があんまり好きじゃぁないのかも知れない。大学の先生の息子だ。
ぱっと、このドラマから感じることは、沖縄県人は、悲しいけどなんか人が好きなんだね。悲しいからと言って、この世や人間が嫌いにならないんだね。微妙にそう感じるところが有るよね。海が美しいとそういう魂になるのかなぁ。美しいもの(←自然)からの恵みが、いい感じなので、なんとなく全部が好きなのかもね。うん、それは言えるね。
そんな海を見て育った母親の信子は、子供たちにも甘くて優しいし、他人に騙されそうなぐらいに親切な人のようだ。父親は、中途半端に人の道を知っている人のようだ。この親父は、少し不安だな。
この沖縄を見ていると、なんか、今の時代感から考えると、貧しいとか、不便とかの意味がよく分からなくなってくるなぁ。それらが分かり易いんだけどね。寒いからね。
そこの所を、突き詰めると、人や何かを信じられるか信じられないか、忍他することが多いいか少ないか、その辺が「ちむどんどん」と関係していて、沖縄人を作ってる感じなのかもね。言ってしまえば、「時間は限られているけど、「ちむどんどん」は、わざわざ作らなくても、どこにでもあるさー」という感じだよね。年中、暖かいとそうなるのかもね。
しかし、一体全体、沖縄人の遺伝子には、何があったのかな。第二次世界大戦の「二十四の瞳」とかのことは知っているけど、そういう事だけじゃなくて、知りたいのは、もっと昔からの遺伝子の記憶だよね。何があっのかなぁ?俺が、少し感じて考えただけでも、相当なことがあった感じがするんだよね。縄文時代??とかに相当な天変地異みたいな何かがあった感じだけどね。どうなんだろうね。
もしかして、沖縄って、大きな大きな大陸だったのかなぁ。それが海に沈んだのかなぁ。それぐらいなことがないと、この感じの沖縄人の世界観は出て来ないんじゃないかなぁ。沖縄時間と泡盛と貧しさ?を上回るような、あまーいー優しさというか、「生きていればいいさーー、(目に映るものは)美しいよーーっ」、という気の流れは出て来ない感じがするな。本土の人間には、その「慣用的な心理の深さ?」についての感覚は、解らないかもね。のんべんだらりと遊んでいるように見えるのかもね。
という事で、沖縄の海底のさらにその下を、どうにかして、調べることは出来ないのかなぁ。大きな大陸が沈んでいたとしたら、面白いと思うけどね。なんメーターぐらい掘ればいいんだろうね。だけど、海の中で地下を掘って発掘するというのは、難しい作業だよね。海の中にドームを作って、海水が入らないようにして、発掘作業をしないといけないやな。お金がかかるね。
そもそも、大きな大陸があって、それが沈んだと考えた場合、沖縄本島って、その大陸に有った山頂ということになるよね。エベレストみたいな山があったのかな。沖縄本島って、山脈の天辺に見えないことないけどね。地形的に考えて、そういうのは、当たり前と言えば、普通にそうだけどね。沖縄が、エベレストクラスの山だったとしたら、人は住んでないだろうから、数万年前の文化の痕跡もなくて当たり前だよね。
じゃぁ、純正沖縄県人の遺伝子を調べて、過去の人類的かつ世界的規模の大きな出来事を推測することは出来ないのかなぁ。
AIって、基本的には過去あった事(技術も過去のもの)の学習しかできないようだから、数万年前の遺伝子の記憶を推測するシステムに、AIは使えないのかなぁ。
だって、遺伝子だって、今現在でも突然変異したりして、外的な要素に刺激されて変異を繰り返しているわけだから、遺伝子の変異から過去に何が起きたかを逆算できるんじゃないかなぁ。
今のコロナの流行だって、人間の遺伝子が免疫を作るための学習をしているわけだから、その遺伝子の記憶の変化を調べることが出来れば、どの時代にどんな疫病が流行ったぐらいの事までは、分かるようになるんじゃないかな。
誰か、頭のいい学のある人が、この研究にチャレンジして欲しいよね。世の中は、もう、AIと人間の遺伝子記憶の解明の時代になったんだね。
インチキな歴史改ざんをして、それをプロパガンダして、人類を迷わす時代は終って行かないといけないやな。善い人を騙す時代は、終りにしないといけないよね。こういうのって、科学者冥利に尽きる研究だと思うけどね。誰かやってくれないかなぁ。国を挙げてやったらいいのでございましょうね。
もう、地球の歴史の発掘の時代でございますね。しかも、沖縄がその初舞台になる可能性も多いいにありますね。
かつて有った、笹川良一の沖縄海洋開発プロジェクトとよりは、だいぶましな企画だと思いますけどね。海洋開発は、自然を壊しただけでしたね。
笹川財団さんには、そんなところも考えに入れて、純正沖縄人の遺伝子から、「島と地球の過去を探るプロジェクト」を推進して頂きたいものですね。昔の責任を取ってくれよ、とまでは言いませんが、このプロジェクトでいい結果が出れば、ヤクザな良一さんの供養になるかも知れませんね。かもね。あははは。
今日は、沖縄って、何万年か前に大きな大陸だったんじゃねぇ?。だとしたら、海の中を発掘するか、純正沖縄県人の遺伝子をAIで調べたら、何か分かるんじゃねぇ、の一席でした。さて、修法だよ。
今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達の弁財天尊様の修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。