おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。肉体もスピリチャル(精神)も常に進化します。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。自分と多くの人の進化に繋がります。​​​​​​

 

 カムカムエブリバディ、見ていますか?。

 現代のヒナタは、NHKのラジオ英会話の講師を始めたようだ。今日が初の収録日だ。緊張している。しかし、上手く行っているようだ。二枚がサポートしてくれている。

 

 さて、昔の岡山のクリスマスコンサートでは、るいが舞台に出るための紹介を、トミーがしている。BGMには、ジョーがトランペットで初めてレコーディングした時の音源が流れている。曲は、サニーサイドオンザストリートだ。ナナコが探し出したようだ。

 そこへヒナタが、神社まで走って動けなくなったアニーを背負って、入って来た。るいが、サニーサイドオンザストリートを歌い始めたところだ。

 るいはアニーに気づいた。彼女は涙声になって、今までの積もる気持ちを意地のように乗せて、曲の一番だけを歌い終えて、アニーの所に行った。るいとアニーは抱き合った。二人は会いたかったんだね。全部が消えて許せたのかもね。

 会場のみんなは、昔から、るいの気持ちをそれぞれに心配している部分もあったので、彼らは、その光景を深くよく理解している顔をしてた。どんな歌よりも、コンサートにおいてのいいサプライズになったようだ。

 そして、今はいいおばさんだけど「6歳のるい」と「安子」は、魂の再開をしました、、とさ。愛でたし、芽出度し。良かったね。

 アニーから安子になったので、コンサートの後、るいと安子は親子の縁を取り戻したようだ。

 ヒナタは、安子に錠一郎と桃太郎を紹介した。錠一郎は「るいを産んでくれてありがとうございます」と言っている。やっぱり錠一郎は、特別なアホだ、、、けど、「初めまして、極楽とんぼの亭主です」とは言えないやな。言ったら、見上げたもんだよ、屋根やのフンドシ、大したもんだよ、蛙のションベン、だよね。あははは。

 映画の「侍ベースボール」は大ヒットしたようだ。アニーは、アメリカに帰った後、年明けに再び日本を訪れて、勇たちとも会った。

 アニーは「稔さんが希望していたように、誰でも自由に行き来出来て、自由にどこの国の音楽でも聴ける世の中になったのが、一番うれしい事なの」と、あの昔のままの神社の前で勇に言っている。

 なお、「アニー平川」いう名前のアニーは、アンコを意味するらしい。アンコと平川さんのラジオ英会話講座が、安子の人生の成分なんだね。それは、木漏れ日(アンコ)と日の当たる道(英会話)なんだろうね。

 そう言えば、お釈迦様も涅槃へ入る前に、丘の高台に来た時に、「この世は美しい、生命は甘美なものだ」とおっしゃられたそうだけど、それが、朝ドラでは木漏れ日(この世は美しい)とアンコ(生命は甘美なもの)になった感じだね。

 爽やかな幸せとは、木漏れ日とあんころ餅だったんだね。なんか分かる気がする。・・・あれ?、それって、お彼岸じゃん。なるほど、彼岸の岸へ続くのが、日の当たる道なんですね。そういうことかぁ。期せずして、朝ドラはそうなりましたね。不思議ですねぇー。

 本当のこと言えば、スタッフの朝ドラ作りが「現実」なのでしょうけれど、それが、彼岸の岸に続くという意味を持つことになると、ドラマでも現実でも、全体、この世の中とは、そうした不思議なものなのでございましょうね。これも、まさにドラマですねぇー。

 あと、ヒナタにとってもそうだけど、ジジとババは、生きているご先祖さまでしたね。離れていれば、余計にそんな感じかもね。あははは。いいご先祖様だったらいいけどね???。

 

 安子は、ロバートとの生活を語った。シアトルの生活では大変なこともあったけど、ロバートの両親も優しい親切な人たちだったので、アニーは、それなりに木漏れ日に照らされるような生活をさせてもらったと言う。

 まー、安子(アニー)は、駆け落ちをするにしても、それなりの男を選ぶだろうから、その暮らし向きでは、何処で暮らしても何某かの幸せを感じるような気分を、彼女の心の性質で選ぶようになるのかもね。その方が小さな幸せを積み重ねることになるから、健康であれば、自分を生きやすくなるし、自分も生きやすくなだろうね。安子そのものが、親切から希望を見つけるタイプの女子だからね。

 細かなところの女子と女の生き方を一言で説明するのは、ほとんど不可能だけど、あえての一言で言えば、昨日書いた「大和なでしこ」だろうね。

 ところで、安子とロバートには、子供が生まれていないのかな?あっ、子供は、横浜でぼた餅を作っているのでございましょうかね。

 今日は、ご縁があって、付いて離れて、ご先祖様。ジジとババの行く先は彼岸の岸でございます。木漏れ日(この世は美しい)とあんころ餅(生命は甘美なもの)なので、晴れていい気候の時は、自分の中の彼岸の岸へと、お墓参りをしたらいいですね、の一席でした。

 ちなみに、彼岸の岸とは、(特に肉体の)生と死の境目です。生と死を繋いでいるのは、空と空性(くうとくうせい)なので、ご先祖様の墓参りへ行けない人は、空気体瞑想をしましょう。その時は少しだけ、ご先祖様の供養にもなると思いますよ。まー、供養したいようなご先祖様だったら、いいですけどね。あはははは。そこは、現実の人生ドラマの感情次第でしょうね。さて、修法だよ。

 

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。