おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。肉体もスピリチャル(精神)も常に進化します。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

  「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。

 

 カムカムエブリバディ、見て言いますか?

 ハリウッド映画の「侍ベースボール」の配役が決まったようだ。モモケンも出演するみたいだ。虚無蔵もだ。その他もだ。ヒナタは、映画には出ないようだ。あはは。主役のアメリカ人の俳優、マイケルも映画村に来た。モモケンと会っている。そして、衣装の足袋だけが、アメリカのでは、どうにもうまく作れないので、日本で作ることになった。キジマ製作所にお願いするみたいだ。ヒナタが連絡を取ることになった。

 「侍ベースボール」のストーリーでは、アメリカ人の主人公マイケルが、幕末にタイムスリップするようだ。そこで、野球をやりながら武士道を学ぶみたいだ。映画村でもその撮影をしている。メインキャラクターの、虚無蔵は、暗闇では見ることの出来ない輝かしい光を見ているようだ。しかし、アニー平川は来ていない。ヒナタは寂しい思いをしている。

 るいとヒナタは、岡山のキジマの社長の家に行った。というか、あの勇社長は引退しているのかな。一人暮らしをしているようだ。そして、ヒナタが、映画で使う足袋の制作を、キジマ製作所に頼んだと伝えると、勇社長は、泣きながら喜んでいる。「足袋を守って来て善かった」と言っている。

 勇は、半分、手籠めにしたユキエに、とうとう、半分、捨てられたか。あはは。ユキエの望みが叶っていても、女であるユキエの恨みは、相手(男)の弱った時に来るから、恐いよねぇー。勇、お前にも、、、合掌。。。だ。

 岡山のジャズ喫茶では、るいとツアー帰りのトミーと錠一郎が来ていた。ヒナタは先に帰ったようだ。そして、店主が、「来年の事なんだが、戦後に進駐軍が居た建物で、クリスマスコンサートを開く予定なんだけど、トミーと錠一郎に出演してもらいたい」と言い始めた。

 トランペット吹けなくなった錠一郎が、初めてジャズに触れたときからの、その思い出をたどりながら、クリスマスコンサートを開こうという事らしい。そうすれば、初心に帰って、何かが変わるかも知れないしね。

 戦後のあの混乱の時代で、それは、感情も混乱していた時代な訳で、それを辿りながらも、ジャズのクリスマスコンサートを開こうという感じだ。戦争孤児の錠一郎もそうだけど、生き残り這い上がって来た、その庶民の戦後に終止符を打とうという事かもね。トミーも快く参加するみたいだ。錠一郎のジャズの原点だからね。生きる為の心の原点だからね。

 るいは、そういう成り行きを喜んではいるようだが、欲を言えば、錠さんに、トランペットを吹かせてあげたいと思っているようだ。トミーは、その心を聞いた。トミーの猫背が痛々しい。

 だけど、トミーは、いつも、るいと錠一郎のしりぬぐいをしている感じだな。あの錠一郎が海で死にそうになっているときも、るいを車で海まで乗せて行ったからね。ナナコも嫁さんにしているしね。トミーよ、お前もご苦労な奴だなぁ。そう考えると、ジャズとかで有名になるのも、徳があるからだと、うなずけるよね。まー、女遊びも激しいけどね。

 トミーは、結局、いい奴なんだね。だから、グルゥービーの女子たちが騒ぐんだね。トミー自身はいい事をしようと思って生きているわけではないのだろうけど、そうなるんだろうね。まー、ジャズの技能もあったからね。ねとねともしていないしね。

 そう言えば、モモケンも親切だよね。むかし、産気づいたるいを自分の車で病院まで運んでいたからね。スターって、作られていることもあるんだろうけど、そういうなんかね、徳を積むチャンスに、ちゃんと徳を積んでいるんだね。グダグダじゃない徳を積んでいる感じだね。

 俺なんかは、頭ではそんなにしようとは思ってないけど、身体が動いて小さな親切をしてしまうタイプだけど、それでも、モモケンやトミーみたいに、あそこまでは、人に関わらないやな。どうせ裏切られると思っているからね。

 勝手に馬鹿を重ねて失敗しておいて、それをそこそこの感じで俺が助けたら、助けた奴に文句を言われるようになってしまうのは、、やっぱ、イヤだよね。俺にはよくあるパターンだよね。

 俺が思うところは、中身が変なのを助けても、改心はしないから、しょうがない感じなんだなぁ。元の木阿弥と言う奴なんだろうね。

 世の中には、そこを上手くやっている人もいるみたいだけど、そこの見極めが難しいよね。一時期は、俺のやり方が悪いのかなぁー、とかと思っていたけど、馬鹿を重ねている奴のやり方じゃ、結局、何もかもがダメになるんだよね。でも、馬鹿をやっている奴にしてみれば、失敗しても、痛い目に会っても、ダメになっても、その馬鹿なやり方で一時期にだけど、うまい汁を吸ったことがあるから、自分のやり方の方が常道?で、それが上手く行かなかったのは、人のせいか、自然のせいなんだよね。そういう言い分だから、改心はしないんだよね。しかも、口では、過去の誰かが言った、まともらしいことを越え高々に言って、ねじ曲がった馬鹿な奴のくせに、自分をまともそうに見せるからね。うっかりすると、俺も(みんなも)、コロッと騙されるよね。そうすると、結果として、現状が動いたように見えるんだよね。破滅に向かっているのにね。あははは。

 メディアにもマスゴミにも坊主にも新興宗教にも聖職者にもそういうのがいるよね。エセユダヤやエセリベラルやエセジェンダー、エセ左翼・エセ右翼、などなど、たくさんいるわな。

 これについては、その人がその事柄を勉強していようが、研究していようが、資格を持っていようが、そんなことには関係なくて、エセな奴は、何処までもエセだからね。中身の質の問題だよね。トミーやモモケンは、そこが本物だったんだろうね。まっ、ドラマだけけどね。いい例としては、成り立つよね。

 エセか、本物かの区別は、空や空性(くうやくうせい)のエネルギーの流れが、10段階あるとしたら、5.1以上流れていれば、なんとかエセではないと言えるけど、・・・まー、0か10かとか、2か8かとかだったら区別がつきやすいという事だね。その一場面だけは、10の奴もいるしね。

 諺では、「盗人にも三分の理」などと言うけど、その盗人に5.1以上の空性のエネルギーの流れがないと、その諺の使い方もインチキになると思うな。ここは重要だよね。三分の理があれば、盗人でも屁理屈は言うからね。

 だけど、それが分かっていても、白と黒のコントラストをハッキリさせるためには、時間がかかる時もあるよね。ただね、時間をかけると、コンスタンに5.1以上の者は、だんだん浄化をされて行く傾向あると、俺は感じているね。時間経過を見ながら、浄化の度合いで判断したらいいかも知れませんね。その他は、状況を見えなくすために、さらに汚すよね。

 例えば、幽霊までやっていた虚無蔵は、日々の生活は虚無でありながらも、日々鍛錬を怠らずにいて、やがて、闇に居たのでは想像もつかないような光の当たる場所に出ましたね。それと同じことのようでございましょうかね。ドラマですけどね。

 いずれにしても、日々、空や空性を失わないように、空や空性を増やしていくように、空気体瞑想をしていればいいのですね。寝る前に、布団の中でするのもいいですね。そのまま寝てもいいですしね。透明でございますからね。

 今日は、日々の鍛錬の元である空や空性を、空気体瞑想で増やしましょう。そうすれば、トミーやモモケンなどのスターのように、(知らないところも含めて)、思わぬ徳を自然のうちに積むことの出来るチャンスが訪れることでしょう、の一席でした。

 その時に、自然な徳を積めるか、積めないかは、その人次第ですけどね。自分で空気体瞑想をするわけだから、次もあるしね。さて、修法だよ。

 

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。