おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に肉体もスピリチャル(精神)も進化します。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

  「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。

 

 カムカムエブリバディ、見ていいますか?。

 五十嵐が、映画村の道場に現れた。ヒナタは、ビックリしている。そして、ハリウッドで映画監督の助手をしていて、アクションコーディネーターをしていると説明した。映画村でタテの勉強をしたのが役に立っていると言っている。二人は、10年近く離れていた。五十嵐はその間に、2年間は父親の会社で働いて、意を決して、アメリカに渡ったようだ。トミーのジャズが引き金になったようだ。ヒナタは、人生の流れで、言い知れぬ運命を感じているみたいだ。

 さて、侍ベースボールのオーディションの当日だ。

 オーディションを受けるために大部屋俳優が、たくさん訪れている。五十嵐は、虚無蔵に会ったが、虚無蔵はオーディションを受けないようだ。時代劇が栄えればいいと言っている。

 アニー平川も審査員だ。五十嵐は、適切に振り付けを指導していて、ハキハキ、パリパリという感じだ。

 アニーには、アシスタントが居た。若い外国人のジョージという男だ。アニーの事を、「叔母さん」と呼んでいる。そして、「今回も、岡山に行かないのか?」と話している。えっ?アニーは安子の子供なのかな?

 アニーは、岡山に行かないことについて、「これが私の人生なの、そして、(誰の人生でも)人生はそういうものなの」とジョージにきっぱりと言っている。

 まーねー、『いくら、あそこで、ああでなかったら、あそこで、こうだったら、こうしたら、、、とかと思っても、しょうがないんだよね。今さら、言いようも、思いようもないんだよね』という事かもね???。若いジョージには、まだ、その深みは解らないし、慰めることにも・・・だいぶ、届かないやな。

 しかし、ジョージがアニーの甥という事は、ジョージは安子とロバートの孫という事かな?。という事は、ジョージはヒナタと同じ立場だよね。アニーは、ヒナタの叔母さんに当たるのかな?アニーは、なんで平川という名字なんだぁ?。アニーは安子の子供で、日本人と結婚したのかな?平川ってラジオ英会話の先生の名字だよね。何かの縁がないとは言えないやな。じゃぁ、安子は、もう死んだのかな?。安子が死ぬ前に「岡山に一度、帰りたい」と言っていたのかなぁ。

 アニーが「これは、私の人生なの」と言うのなら、それは、アメリカの個人主義的な言い分だよね。

 ドラマが、三世代分にもなって来ると、事情と気持ちがいろいろ絡むから、相当難しいよね。

 まーなぁー、過ぎていくものが、運命と人生なのかも知れないよね。そんな中で、何も無くても、『これで善かったんだ』と思うところが、余裕で有れば、空性(くうせい)に入っているところかもね。「空性さえあれば、まっいいや、どうでも。」・・・だね。まっいいや、どうでもにならない人は、だんだんとケツに火がついて、死ぬまでバタバタとやらされるだろうね。死んでからも償いをやらされるだろうね。それもしない奴もいるしね。人に押し付ける奴もいるしね。でも、逃げきれないからからさらに大きく苦しむしかないやな。まー、まだ、世の中に裁きの時の最後は来ていないけど、今はその最後の清算の途中だね。あっちの方では、悪党同士が潰し合いを始めているね。いい事だ。なので、賢い人は、今のうちに空気体瞑想をして、少しでも自分と周りを浄化しておくことですね。

 だけどさー、この朝ドラが作り話なら、今日は、「まっいいや」とは違う意味で、書くことがないよねー。

 どちらかというと、観る者の、人間の情とか感覚の揺れ動きで作られているのがドラマで、そう思える節がドラマ作りにはあるわけだから、女性3代を描くと、どうしても結論において、運命が主体になるのは免れないよね。それゆえに、運命に触れるところを作り替えると、ドラマが胡散臭くなるか、冷めるんじゃないかなぁ。

 るいの回転焼きだって、るいと安子のアンコだから店がなんとか経営できているわけで、他のアンコやクリームを回転焼きの中に入れても売れればいいんだけど、・・・それは、付け焼刃臭いから、ドラマとして冷めるよね。ドラマ作りの良心が回転焼きの皮だとすると、破れた回転焼きのようになって、「大月」の焼き印を押すことは、出来ないやな。

 じゃぁ、安子は、最期までアメリカで暮らして、自分を攻めながら死んだのかなぁ。

 ヒナタは五十嵐と結婚するのかなぁ。安子が始めた英会話が、直接ではないけど、二人の結婚の役に立つのかなぁ。五十嵐は武士だもんね。コーヒーとケーキの生活よりは、回転焼きとお茶でしょ。映画村でしょ。

 一体全体、ハリウッド映画って、何なんだろうね。ターミネーターみたいに強いという事だけなのかね。・・・武士道とターミネーター、ねぇー。・・・その関係は、回転焼きをたくさん重ねて、クリームを塗ったウエディングケーキみたいなものでございましょうかね。今の日本とアメリカは、それに近いのでございましょうかね。さぁー、こんな時期ですから、それがインチキなのか、どうかでございますね。今の日本とアメリカの先行きを占うために、この朝ドラの成り行きを見てみましょう。

 今日は、武士道とハリウッド映画は、侍とターミネータみたいなもので、それが融合すると、回転焼きを重ねて、その周りにクリームを塗ったウエディングケーキだった、の一席でした。俺だったら、イチゴ大福を重ねて、クリームを塗るかもね。いずれにしても、美味しそうではあるね。あはははは。売れそう。 このアイデアで儲かったら、俺へのお礼(お心任せ・プロフィール参照)もよろしくお願いしたします。さて、修法だよ。

 

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。