おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と深層意識の一番深い所との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。
カムカムエブリバディ、見ていますか?
るいと錠一郎は、ジャズ喫茶でコヒーを飲んでいる。先代の定一マスターの味だろうね。
店を出た二人は、安子と稔が当時にお参りをしていた神社へ、何かに誘われるように行っている。二人が拝殿の前で手を合わせていると、終戦日のサイレンが鳴った。
そのようにしていた時に、るいには、いつも見守ってくれている稔の姿が見えたようだ。彼女は、「お父さんだ」と分かったみたいだ。会えたんだね。
稔はるいに「自由に行き来き出来て、自由に音楽を奏でられる、そういう日の当たる道を、お前はもう歩いているんだよ」と伝えた。るいは、その言葉によって、今までの苦渋を難なく越えていた。彼女にとって、戦死した稔との出会いは、息が止まっていたほどの霊的感動だったようだ。
そして、るいは錠一郎に「わたし、お母さんを探しにアメリカに行きたい。」・・そう言い始めた。三太郎の貯めた金があるから行けるかもね。三太郎はクソサンタだけど、憎めない奴だ。
一方、ヒナタは安子の使っていた部屋で、そこに残されていたラジオ英会話のテキスト本を眺めている。昭和21年のテキストだ。ヒナタは、それを見ながら終戦のころの安子の時代へ、意識がワープしている。お盆だから、(楽しい)英会話が過去と意識を繋いだのかも?
ただ、安子とるいにとっては、曲がりなりにも楽しい英会話だろうけど、ヒナタには、仕事で覚えなければいけない英会話だから、楽しくはないやな。しかも、失恋の後の英会話だしね。安子の場合は、恋の始まりと英会話だからね。ヒナタに「学習意欲が足りない」と責めるわけにはいかないやな。
やっぱり、普通の女子の勉強や学習って、傍らに恋があるとか、将来においての仕合わせな結婚という夢があるとか、そういうのがあるといい感じで進むんだろうね。女子の場合は、勉強も学習も練習も、義務感とか責任感じゃないんだね。
あらーーーっ。これ、、、もしかして、仕事もそうなのかなぁ。何か一つでも楽しいことが、今か未来に無いと、仕事とかも普通にしか、やらないんだろうね。
だとしたら、えーと、褒めるしかないよね。女子の存在価値を褒めるか、女子の存在価値を上げられるようにアドバイスするしかないやな。ふーーーっ、疲れるぅ。そいう事かぁ。
女子のこういう感じの精神構造は、男にとっては、直感的に解り得ること?ではないな。男に、その精神構造はほとんどないやな。
男に有るのは、対面した時の瞬間的な「勝った、負けた」の察知力であって、それは、その人と話す第一声の前から無意識にあるみたいで、その「勝った、負けた」が、その男の中で存在価値のレベルまで行く事は、たぶん無いんだよね。でも、女子の場合は、常に一瞬で、自分の存在価値のレベルにまで、微かにでも、たぶん届くんだよね。
男は、何を基準にして、存在価値だと思っているのかね?・・・金とか名誉とか地位などなどは、女から見た場合の「生存のための条件という価値」だろうから、それらの全部は別枠にしておいて、男は何を存在価値にしているのかな?。
もし、女が全てにおいて居なかったら、男は、どうなんだろうね。
聖書では、男のアダムは主なる神様に造られていて、女のイブ(エバ)はアダム胸の骨から造られたんだよね。だから、初めのころは、男が一人だったんだよね。女はいなかったんだよね。
神道でも、最初に居た特別な神様たちは、全部、男なんだよね。だから、どんなアホな男でも、自分の存在価値は絶対的にあると、漠然と思っているのかも知れないね。気が付いたら、そこに存在して居たという感覚は、引きずっているかもね。これについては、「今の現実だけ」を見ている女には、解らない男の精神構造かもね。
だから、そりゃーねぇ、女としては、普通にしている男に対して「なんで、男って、そんなに単純にしてバカなの?(わたしの気持ちも分からないの?)」という言葉が出てくるのも頷けるわな。
全体、これは、男自身と女自身が、常日頃から持っている自分の存在価値に対する、認識の差なんだね。
だから、簡単に言うと、男は、自分が臭くても汚くても平気で、その存在価値を気にしていなくて、女は、清潔にしたり綺麗に化粧していないと、その存在価値が不安になるんだろうね。たまに、その逆の人もいるけど、前世の関係かもね。複雑だね。あははは。
まー、男と女は、お互いの存在価値の癖を知らないといけないのでしょうね。でも、それを知ると、チャラ男とか、結婚詐欺師とか、ハニトラとか、ヒモとかのずる賢い恋が増えそうだよね。
まっ、いずれにしても、好きとか、愛している、というのが、各々の存在価値に一番、直結はしているのだろけど、好きとか愛とかも、お互いで育まないと、好きも愛も成長しないまま冷めて行くよね。だから、男と女は、「存在価値」と「好き」と「愛」と「成長」の、、、、とても奇麗で清浄な関係なんございますねぇーーー。って、多くの現実は、どろどろジャン。あはははは。あーぁ~、だね。昭和の女性アイドルと汚れヲタ族の関係は、まだ清浄だったぁ・・・。あはは。
いったい全体、こんなことになったのは、誰のせいなんだよ。GHQか、大統領か、総理大臣か、欧米の価値観かぁ・・・まっ、主なる神様のせいではないだろうね。神様は人間を清浄に作ったんだからね。だた、でも、聖書によると、人間は土の中のチリで造ったと書いてありますからね。ここで言うチリは、たぶんミネラルでしょうから、物質で人間を作ったという成り行きですね。そのせいでしょうかね。
という事であるのならば、男と女は、そもそも肉体という物質で出来ているのだから、自分の存在価値をうんぬんと言うのであるのならば、その肉体も自分だから、肉体自体も否定できない訳で、肉体や物質を否定しないで、そこを超えて行くしかないようですね。
聖書には、「主なる神は、土のチリで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」と書かれていて、たぶん、肉体という物質を超えるカギは、聖書で言われいてるところの「命の息」なんだろうね。つまり、生命エネルギー(ヨガではこれをプラナと言う)の息と呼吸なんだね。ここだね。
「霊的な生命呼吸」がカギだね。人間が、いつも無意識にしている息の中に、「霊的な生命呼吸」が含まれているのでございますね。そこに気づくことは、肉体である物質を否定せずに、そこを超えることでございますね。
そう言えば、るいが神社で、戦死した父親の稔に会っていた時、るい役の女優の深沢理恵?は、興奮と共に息が止まるような、生死を越えたような、深い呼吸をしていたよね。あれは、自然に出てきた芝居なんだろうね。息の中に、生命エネルギーのプラナがあって、生死を越えた世界に入ると、そういう深い息をするという反応も出るという事だね。それが、たとえ芝居でもね。
とどのつまりは、そういうような仕組みに、人間が造られて?成っていて、その仕組みに直接的にアプローチしているのが、空気体瞑想でございますね。凄いでしょ。空気体瞑想をして、物質である肉体を否定せずに、物質を超えて行きましょう。そうすれば、「否定性」が少ないんだから、自分の存在価値も、自ずと明らかになってくることでしょう。ただし、その人の業にもよりますけど、そこは、浄化するしかないやな。
今日は、男と女で、それぞれの存在価値を高めたいのであるのならば、物質である肉体の呼吸のその息の中に、生命エネルギー(プラナ)があることに気づきましょう、の一席でした。そのことによく気づき、生命エネルギー(気)の流れを体験するためには、空気体瞑想をしましょう。あとは押して知るべしですね。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。