おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と深層意識の一番深い所との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。
カムカムエブリバディ、見ていますか?。
キジマ家の部屋で錠一郎は、るいに「三太郎は、最期に少しだけ、家族と居たかったんじゃないかなぁ」とかと言っている。気持ちは分かるけど、そういうところが、三太郎のダメなところだよね。俺はそう思うね。それに、長い時間、ずっと一番に堪えているるい対して、錠一郎は、るいのその忍耐の上に、さらに、理解を求めるようなことを言っているわけで、それはダメでしょ。情がネジレルよね。ところで、三太郎役の俳優、学?は、バカをやって苦しむ姿が似合うよね。バカをやって耐えているのは、健さんだったけどね。あはは。
夜は、キジマ家で夕ご飯だ。御馳走だ。勇は、るいが大阪へ行く時に、「もう、帰って来ない」と思っていたが、こういう日が来るとは思わなかったと泣きながら喜んでいる。勇は、
「今年は、終戦の五十回忌だから、お盆まで居てくれると、兄貴などの身近なご先祖さんのいい供養になる」と言った。あの世では、和気あいあいの方がいいよね。青春時代を戦争として体験した者は、特にそう思うかもね。安子はアメリカで生きているのかな?。
ヒナタは、身近な先祖ができたので、興味津々だ。安子の事についてもだ。
キジマ家に安子の部屋があったのだが、それがそのまま50年以上も、そっと掃除をされていた。
錠一郎とるいは、むかしに定一のジャズ喫茶あった場所を訪ねてみた。まだ、同じ店名で営業していた。定一の息子が戦後に、しばらくして帰って来ていたからね。彼は終戦で横須賀に帰って、「岡山は全滅だ」と聞いて、少しの間、横須賀で暮らしていたようだ。今は、岡山に帰り、孫とジャズ喫茶をしている。
るいは、定一の息子から、安子のことについて少しだけ聞いた。るいにとっては、事情も分からず、ただ辛いだけで、それでも時間と共に忘れて行った記憶ではあるが、だんだんと自分の周りに起きた過去として、繋がって来ている感じだ。
るいが、取り戻す過去?の自分って、何なんだろうね。いずれにしても、受け入れるしかない事情だけどね。
とりあえず、錠一郎が岡山へ行こうと言ったんだから、責任は錠一郎にあるね。まっ、戦争孤児だった錠一郎も、岡山のこのジャズ喫茶で、トランペットを吹き始めたんだから、意味はあるよね。錠一郎とるいは、敗戦による過去の絶望を、それからもいろいろと体験した大人として、見つめることが出来るのかな?。
過去に受けた自分の中の感覚によるトラウマと、そのトラウマの衝撃が冷静に見れられるようにまで回復した今の自分とで、いろいろと理解を深めて、押さえて無くした感情を、なんとか鳴るようにするのでしょうかね。るいの意識が比較的に冷静だから、まっ、それもいいかもね。錠一郎は、定一のジャズ喫茶で、昔のようにジャズを聞いて、トランペットの吹き方を思い出すのかな?。どうかなぁ。
あっ、ロバートが先に死んだら、夢が覚めて、安子は岡山に帰って来るかもね。ヒナタは、安子に英会話を教えてもらえば、一年ぐらいで覚えられるだろうね。欠けたピーズが揃う感じかもね。
結局は、何某かの恋があって、結婚があって、家族が出来て、最期はどこへ帰って行くかだよね。安子の帰るところは、どこなのかなぁ。三太郎はるいのところへ、出さなくてもいい顔を出して、結果として、るいたちはキジマ家を訪れることになったね。
押しなべて言ってしまえば、離婚や死別のように、形としての家族関係が薄れるというか、壊れていくという事は、とどのつまりは、その人と周囲との間の人間関係も、どことなく破綻している感じがするな。浮世離れしたるいや錠一郎、その子供のヒナタや桃太郎を見ていて、俺はそう思うな。
今の世の中には、お一人様が増えているよね。テレワークも出来るようになったしね。そこをさらに押しなべて平らに薄く引き伸ばして透かしてみると、結局、見えてくるのは、家族関係においても社会の人間関係においても、誰が我慢しているか、我慢を押し付けられているかに、見えてくるよね。
カルマ的に我慢するべき人が、忍耐を強いられているのなら問題が少ないかも知れないけど、現実は、おとなしい人のところや親切な人のところへ、そのしわ寄せが行ってる感じがするよね。しかも最近は、それらを見越して、いい人に付け揉むのが常道みたいになっているからね。悪くもないのに謝ったら、「謝ったんだから、悪いと認めたんだろう」とか言う輩もいるしね。人間関係の保全なんて、全く無いよね。アホが糞を吐きながらしゃべっているような感じだね。半島人や大陸型人がそれだね。「糞ぐらい、ケツから出せよ」と言いたいけど、奴らはエセジェンダーでもそうだけど、ケツからも口からも糞を吐いていて、味噌クソで混同しているのもいいところだよね。あはははは。味噌と糞を混ぜたら、その二つの間の関係改善は出来なくなって、使い物にならない味噌になってしまうんだよね。糞の入った味噌汁を飲む人いる?いないでしょ。ここは、よく知っておかないといけないやな。
三太郎が最期に家族に触れたいと思うのなら、あの時、耐えなくてもいいのに、一番に堪えていた安子を大切にすれば良かったわけで、三太郎は、自分の恋か夢か失恋が、一番に可愛かったんだよね。ダメな奴の典型だよね。世の中には、大なり小なりそういうのがたくさん居るからね。糞入りの味噌汁を、耐えなくていいのに頑張って耐えている奴に、情に絡ませながら、「家族だろ、仲間だろ」とかと言いながら、飲まそうとするんだよね。
そんなんだから、今の時代の焦げ付いたカルマのとどのつまりの成り行きは、自業自得のカルマが善いものであろうと悪いものであろうと、より洗練された自業自得の仕組みとなって、確実に進むのかもね。お一人様感も増えているから、自業自得だと思いやすいやな。いい事ではあるわな。
その自業自得すらも、人に押し付けたり横取りしたり邪魔したり誤魔化したりする奴も出て来るだろうけど、すぐにカルマ通りの正しいエネルギー反応へ、戻りやすくなりつつあるのかもね。
半島人とかは、すぐバレる嘘をよくつくよね。そういう現象から考えると、すぐバレる嘘をついたり、バレているのに嘘をついたりして、それを隠している感じのような奴が、明らかに、カルマとして現状に耐えなければいけない人かもね。その辺の奴が、主なる神様や天然のダルマエネルギーの流れから見て、カルマ的に耐える義務のある人と判別されるんだろうね。
天然のダルマのエネルギーの反応で裏打ちされた透明な約束や契約だけに、意味があるんだね。そんな感じだね。
自分の悪しき行動は浄化し、善き行動の裏打ちを、空性のエネルギーによってしてもらうためにも、空気体瞑想をしましょう。
となると、安子は骨になってでも、キジマ家に帰って来るのでございますかね。骨がダメなら霊体で帰って来るのでございますかね。まっ、ドラマでございますけどね。あはは。
今日は、戦争犯罪も含めて、善い業と悪い業によるところの自業自得が有って、そのエネルギー反応が、より洗練されて、カルマ的に帰って来る時代になりました、の一席でした。悪くもない純正日本人は、GHQの策略で長く苦しみましたが、これからは楽しんで勝利していきましょう。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。