おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と深層意識の一番深い所との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。
カムカムエブリバディ、見ていますか?。
三太郎は、るいの家で寝込んでいる。そこへ、電気屋の吉右衛門と母親の清子も来た。三太郎は二人を憶えていた。三太郎は、サンタさんのつもりで、「俺が全部、悪いんだ」と言って、クリスマスプレゼントをるいに渡して、、、死んだ。なかなかの芝居だった。五十嵐の死体役とは、違ったな。あはは。
三太郎の葬式は、二代目モモケンが静かに済ませた。2代目モモケンは親切なスターだよね。というか、芸能人のスターは、人間が好きでないとやってられないんだろうね。三太郎みたいな奴でも、知らない顔はしないんだからね。許しても許さなくても、結果は同じだろうけど、俺の場合は、口で知らないと言い、知らない顔をしたら、それは出来ない範囲かもね。
三太郎のクリスマスプレゼントは、安子が貯めた開店資金の古い通帳と10年前にヒナタが三太郎を回転焼き屋に連れて来た時から貯金を始めた通帳だ。るいは、だいたいのイキサツを察した感じだ。
錠一郎はるいに、「来年、岡山に行こう」と言った。
るいは、その夏に、家族全員で岡山のキジマの家を訪ねた。キジマ家の勇は、相変わらずの野球好きだ。キジマの会社も調子がいいようだ。嫁のユキエも元気だ。
ユキエはるいに、三太郎との恋心の経緯や、それで、三太郎がフラれて回転資金を持ち逃げして、安子が大阪に探しに行ったことなどを話した。ユキエは三太郎の失恋について、自分にも責任があるようなことを言っている。お手伝いだったユキエは勇がずっと好きだったからね。
るいは、安子とロバートの事を聞いたけど、ユキエはそのことについてよく知らないみたいだ。しかし、安子がたちばなの店を再興しようと一心だったことは確かだ、と言っている。
そりゃー、安子はキジマの家を出て、るいと暮らして行く為に、たちばな屋を再興しようとしていたんだからね。三太郎は、その開店資金を持ち逃げしていたんだからね。まー、戦後の破滅の時代ではあったけど、絶望と悲惨を味わった心の成り行きは複雑だよね。
もっと言えば、勇が、お手伝いのユキエに甘えて手を付けたんだけど、その時の勇は、幼馴染の安子にずっと恋をしていたんだよね。その安子に勇は、2回目もフラれたんだよね。安子は、兄である稔の嫁さんだったんだけど、稔が戦死して後家さんになっていたからね。
だけど、戦後のあの時には、安子はロバートになんとなく引かれていたんだよね。ロバートは、GHQの戦略で英会話を日本に広めようとしていたんだけど、その英会話の繋がりで、安子とロバートは仲良くなったんだよね。その上で、安子はるいと暮らしたい、イヤ、るいの幸せのためには、キジマの子にした方がいい、などとずっとやっていたんだからね。
要するに、るいの立場が、安子の旦那の稔が戦死して、宙ぶらりんになったんだよね。そもそも、稔を、いい男だと思って捕まえたのは、安子だよね。戦争が無ければ、イヤ、稔が生きて帰ってくれば、話は違ったんだけどね。イヤ、英会話が無ければ、話が違ったのかもな。というか、三太郎の開店資金持ち逃げが、一番悪いだろう。
いや、それより、戦後のやり切れなさもそうだけど、とどのつまりは、人生や世の中のやり切れなさを受けて、それを愛とセックスで埋めようとしたところに、人生の歯車の食い違いみたいなのが起こった、のかもね。人間はよくそれをやるよね。
・・・・・じゃぁ、歯車の食い違いの延長線上で、ヒナタと桃太郎が生まれたことになるよね。あはははは。ある程度は、当たっているかも。そういう子供たち見える。あーぁ~、だね。
やっぱ、詰まるところは、人生の歯車の食い違い、ボタンの掛け違いが、先の大戦後のおのおの人生、なのかもね。
半島人や大陸型人に、歴史に出て来ないところで騙されて始めた戦争だから、人生の歯車の食い違い、現実として出て来るわな。日本の現状は、(誰もそんな風に思ってないけど)「嘘」と「戦い」と「愛」と「セックス」と「歯車の「食い違い」、それらが主なった生存競争なんだね。単純に言うと、敗戦でGHQに日本人の精神がデタラメにされたんだね。欧米ナイズされたと言えば聞こえがいいけどね。
しかも、純正日本人は、そこを今日も一生懸命に生きているんだね。真面目と不真面目とそれらに付随する感情と理屈屁理屈を引きずりながらね。あらら、大変だったね。ご苦労さまですね。「まっ、生きていれば、いい事もあるよ」としか、言いようがないやな。別にいい事が無くても、寿命があるうちは、それなりに生きている人は多いいけどね。
錠一郎とるいにとって、ヒナタと桃太郎は、歯車の食い違いで生まれた我が子かも知れないけど、子供らは生存したくないとは思っていないようだから、そこだけは成功で、日向の道を歩けそうな部分かもね。だけど、この二人の子供は、どうひいき目に見ても賢者には見えなくて、普通の人だよね。でも、るいも錠一郎も、孫とかが産まれると、その時は折に触れて、嬉しいんだろうね。めでたし、愛でたしになるのかなぁ。
なんかね、世間では、家や家系や家督を継ぐとかという場合において、時代劇に出て来るお武家さんたちを見ると、家柄が凄く重要なことのように表現されていて、庶民もそれが当たり前の感覚だったんだろうけど、その本質を言ってしまえば、錠一郎やるいのように、どんな遺伝子でも、遺伝子自体を継ぐことが、遺伝子意識の本質なのかもね。歯車の食い違いからの、アホな子や孫の誕生でも、遺伝子意識では嬉しいんだね。そこは、みんな同じなんだろうね。だぶんね。長男とか次男などの兄弟間の差はあるだろけど、遺伝子意識から観れば、生きてさえいればその差は微々たる物なのかもね。
いや、イヤ、人生歯車の食い違いの度合いにもよるな。歯車は空回りする場合もあるしね。間に一つ歯車を入れないと廻らない場合もあるしね。
という事は、男と女が結婚するための、(嘘のない)縁は、どうせ戦後の日本には全体として嘘が蔓延っている訳だし(日本人の一人一人はそのようには思ってないけど、マスゴミなどを見たらわかるよね)、そのせいで、男と女の人生歯車は食い違っていることが多いい訳だし、だから、食い違った人生歯車が上手く回るのかどうかを、その男女においてよく調べないといけないのかもね。あるいわ、その男女においての歯車の回る方法を見つけないといけないのかもね。
つまり、男と女の現世的な縁においての物質的な仕組みは、螺旋状の遺伝子とその遺伝子意識と、人生の歯車みたなもので成り立っているんだね。
人生の歯車みたなものについて言うのなら、占星術は、120年と60年と12年??だったかな、周期を使っているよね。時間の周期は歯車とイメージ的に同じ種類だね。そして、現在の時点では、人間の寿命を司る寿命遺伝子は、120年間分あるみたいだね。占星術の一番長い周期の120年と寿命遺伝子の120年が同じで、リンクしているね。
という事は、120年間が一単位で、一つの人生の周期だと考えると、ここで言うところの人生の歯車が、仕組み上は、上手く回り始めるかもね。二つが同じ長さだからね。もちろん、バイオリズムやその時の占いによる運勢なども考えないといけないだろうけどね。大枠は、産まれた日時・分秒から120年間が、一つ人生なんだろうね。だいたいの人は、120歳までに死んでいるけどね。
ゆえに、遺伝子意識的に、幸せな結婚や、人生の歯車が上手く回るための結婚をしたいと考える時には、産まれてから120年を一単位として、抽象的な形で、人生の出来事の大まかなシミュレーションが出来ればいいという事かもね。そうすれば、人生の歯車が上手く回り続けられるかどうかが、解るから、仕合わせに成りやすいのかもね。
とりあえず、遺伝子意識と占星術の120年間(人生歯車)で人生の抽象的なシュミレーションが出来るシステムを開発して、男女の縁の人生歯車を上手く廻るように、廻せるように出来たら、いいね。結果がどうなるか、見たいものですね。幸せ感は、どうなのかぁ?
今は、占いブームだし、大学の生命科学は、遺伝子や遺伝子意識と、占星術の関係を調べてみたら、面白くて新しい発見があるかも知れないですね。
嘘でかみ合わなくなった多くの人の人生歯車を、上手く回せるようになるかも知れませんね。それは、人類の進化に繋がって、智慧のある賢い人間が増えることでございましょうね。
もしも、科学が「迷信」的と言われるものを全否定したら、むかし、「それでも、地球は廻っている」といったガリレオ(科学者)を、キリスト教の聖職者たちが否定したのと同じ轍を踏む事になりますね。地球は球形で太陽の周りを廻っている世界(次元)もあるし、当時の宗教聖職者が言っていたような、地面はどこまでも平らでその外に海が広がっていて、その許しの海の水がとめどなく外へ流れている世界(次元)も、実際にあると俺は感じていますよ。仏国土がそれだね。高天原かもね。キリスト教でも、同じようなことを言っていたわけですよね。これらについては、似たような現象が起きているんだから、もう、科学でしょう。ゆえに、迷信を頭から完全否定する科学者と科学は、その人の人生の歯車が、世の中の嘘で、壊れているんですね。偽物です。
今日は、「嘘」と「戦い」と「愛」と「セックス」で、狂わされてしまった人生の歯車を、生命科学が、遺伝子意識と占星術で修正出来れば、のちのちには、多くの人たちが、その世界(次元)での、幸せな人生の歯車になって行くことでしょう、の一席でした。歯車の駆動力は、空性からの透明な天然のダルマエネルギーの流れです。空気体瞑想をして、それらに触れましょう。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。