おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と深層意識の一番深い所との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。
カムカムエブリバディ、見ていますか?。
錠一郎は、トランペットを持ち出して来て、吹こうとした。しかし、音が少ししか出ない。しかし、「吹けた」と言っている。そして、「いきなり、自分は、関西一のトラペッターだった」と告白をした。が、桃太郎もヒナタも信じない。
それで、るいが子供たちに錠一郎のサインを見せながら話をすると、子供たちは信じた。
錠一郎は、自分の病気の事やるいとの恋物語や死のうとしたことや、るいが助けてくれたこと、回転焼き屋を始めたこと、などなどを話して聞かせた。で、「桃太郎よ、いろいろあっても、それでも人生は続いて流れている」と話して、トランペットを納めに行った。
桃太郎は、「電気屋へ、万引きをしたことを謝りに行く」と言い始めた。なので、ヒナタは一緒に行った。桃太郎は「吉之亟にご結婚、おめでとうございます」と言えた。
一方、るいは錠一郎と話をしている。錠一郎が納めに行ったトランペットの前だ。るいが、
「きっと、吹けるようになると思う」と言うと、錠一郎は、
「もしかしたら、突然吹けるようになるかも知れないと思って、たまに試していた。しかし、だんだんとトランペットが離れて行っているような感じがしているんだ」と説明した。まっ、「それでも、明日はくる」だね。るいにとっては、それが悔しいのかな?、それでも、錠一郎と二人ならいいのかな。浮世離れも、一人より二人なのかもね、、かなぁ?。
そんな暮れのクリスマスの日、三太郎が回転焼き屋に来た。彼は「るい。。。」と名前を呼んだ。三太郎は、正体を明かす準備できたのかな?。というか、死ぬ前になると、出来ない埋め合わせをしようという「ししょうな魂胆?」になったのかなぁ。まー、許しても許さなくても、煮詰まった業の結果は、同じだろうけどね。
三太郎が安子の店の開店資金を持ち逃げしなければ、こうはならかったし、三太郎が戦争で死んでいれば、資金の持ち逃げはなかったろうし、三太郎が生まれて来なければ、別なことが起きるだけで、全部、こういうことは違う人生ドラマだったろうしね。
幸せなのか、不幸せなのかは、それをとことん究極まで問い詰めてみると、一人であろうが、二人であろうが、大勢であろうが、寂しいとか、虚しいとかのエネルギー不足が無ければ、人間は、それでいいのかも知れないな。[It is OK,]だよね。
安子は、敵国の人だったロバートと暮らしているし、るいは極楽トンボになってしまった錠一郎と暮らしているし、ヒナタは、恋をして失恋をしたけど、深い寂しさについても虚しさについては、まだまだこれからでしょうからね。[It is OK]。「これでいいの」しか、言いようがないよね。
だから、何がどうかと言われても、この世の初めに遡って観ても、微かな訳があって、いつの間にか始まる出来事の一つかも知れないし、寄せては帰すこの世のさざ波かも知れないし、深い寂しさも虚しさもこの世のもだから、浮世離れして、波に浮いているしかないやな。それか、日向の道を歩くのなら、それは波ではなくて地面なわけだから、一つ一つ踏みしめて噛みしめて歩いて行くしかないやな。
三太郎は、一つ一つ噛みしめて歩けなかったんだよね。ヒナタの英会話も桃太郎の野球もそんな感じだよね。棚から牡丹餅どころか、ぼた餅が有ったのに、食べようとしたら腐っていたという感じだね。だけど腐っているのは、ぼた餅じゃなくて、自分の方なんだよね。
それでも、腐り始めている癖に、他の肥やしにはなりたくないんだよね。だから、何の役にも立たなくて、分解するのにも手間がかかるという感じだよね。腐ったものは、どうせ、微生物が分解するんだけどね。時間がかかるよね。
桃太郎は、失恋して、万引きして、腐りかけたけど、偉そうな事は言えない錠一郎の、捨て身の話を聞いて、取りあえず、電気屋には自分から謝りに行ったね。腐りはしない感じだね。
腐った鯛より生きた秋刀魚、というのもあるし、腐っても鯛、というのもあるけど、人間ですから、傷ついても傷つけられても、背負うものは、やがて自業自得になって行くんだよね。人の業を背負わされていたとしてもね。
桃太郎も錠一郎も三太郎も、まだまだ、『大したことでもなかったのかなぁ』と思えないようだね。調子のいい時に、先を見ながらでも傍らで、なるべく浄化しておくのがいいね。調子のよくない時でも、浄化した方がいいんだけど、それは、しんどいかもね。桃太郎も錠一郎も三太郎も、浄化が出来てないやな。
ちなみに、業の浄化には、空気体瞑想の透明なエネルギーの流れが、一番効率出来ですね。100円を出して現世利益を願うような打算的な心根で、「棚から牡丹餅を待っている」ように見える信仰もあるけど、それよりは、空気体瞑想の方が、後々のためには、はるかにマシでしょうね。
お布施が、100円でも1億円でも、とどのつまりは、本人の次第で、その心根次第ですね。心根の中心が一番強いエネルギー反応をするわけですからね。人はそれを感動と呼んでいますね。みんな、感動をしたいんだろうね。
世の中には、言ったもの勝ち、やった者勝ちで、行くところまで行かないと分からないような大陸型人が居て、そいつらの心根の中心とそ感動は、ガチガチに汚れていますから、業を浄化しないと腐るだけかも知れませんね。ただ、言えることは、どうせ腐るにしても、しないよりは浄化した方がいいということですね。カルマの借金返済の場面は、必ず何某かの形で来ますからね。仲良くしても喧嘩をしても、同じだろうと考えられますね。廻り廻って来るエネルギー反応ですからね。
どうころんでも、どう流れても、浮いても沈んでも、そのようなことだから、心根の中心を透明にするために、空気体瞑想が必要なんですね。それでも、腐るのなら、それはそれで動かしきれない運命でございましょうね。「鬼滅の刃」の鬼のように、日輪剣に切られて溶けて行くのも、一興でございましょうかね。これからの世の中は、それぐらいの覚悟をしておいた方が、よろしいかと存じますね。あははははは。
今日は、償えるかどうかは分からないけど、三太郎も、錠一郎も、桃太郎も、やっと、幼さから脱皮して、まともな大人になれる時期が来たのでしょう、の一席でした。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。