おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。常に進化します。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と深層意識の一番深い所との共鳴率を、10段階とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。これが、人生ドラマの善悪の基準です。空性を増やしましょう。
カムカムエブリバディ、見ていますか?。
桃太郎は、サードのポジションに抜擢された。それを、サヨちゃん先生に伝えて、恋心を告白しようとしたら、その前に、電気屋の吉之亟が、サヤちゃんの恋人だった。桃太郎、失恋。ガタ落ちだ。
ヒナタは、英会話を短期間で勉強しようと考えている。そんな時、映画村へサヤちゃんが来て、ヒナタと一恵を呼び出して、「今度、吉之亟と結婚をする」と報告した。二人はビック仰天したようだ。でも、社長夫人だよね。あはは。
桃太郎は、失恋のショックで野球の練習に行かなくなった。そして失恋の腹いせに、吉之亟の電気屋からポータブルCDを盗んだ。ヒナタが英会話の練習に使うための物だ。しかし、万引きはすぐにバレた。るいが電気屋へ謝りに行っている。
ヒナタは桃太郎と、お互いの失恋と万引き事について、ぎゃん、ぎゃん、言いながら、人生の不幸比べをしている。金も無ければ、恋もない、そんな人生なんだね。(それぐらいは普通だけどね。)しかも、腹いせの万引きだ。桃太郎はレギュラーも外されたみたいだ。ヒナタは英語も話せない。いやー、もう不幸だねぇーー。あははは。
そりゃーまー、子供が小さい時から、錠一郎は、自分でコツコツと努力をする姿を、子供に一度も見せてないんだから、ヒナタも桃太郎も、棚から牡丹餅を待っているような、いないような、生き方になるでしょうね。自分では頑張っているつもりだけど、とりあえず、生きているだけでそれなりに精一杯という感覚だろうね。
錠一郎もるいも、自分の中の感覚で、限界を超えてないんだよね。浮世離れするのなら、自分の中の感覚が無重力まで行かないと、人生に、切れも浮遊感もないよね。言ってしまえば、何を振り切ってでもまっすぐにコツコツと努力はしないんだから、まー、慎ましやかに暮らしながら、棚から牡丹餅を待っているしかないやな。
もしそうであるのならば、桃太郎が頑張って筋トレやトレーニングをしていたのは、コツコツと鍛錬をしているというよりは、サヨちゃんとの恋を夢見て、現実を忘れようとしていただけなんだろうね。質としては、錠一郎と同じ精神構造で、桃太郎の、恋による浮世離れだね。大月家の家風?の問題だな。気持ちとしては分かるけど、親子代々の流れだから、どうしようもないやな。
そんな場面で、錠一郎はトランペットを持ち出して来て、夕日の射す茶の間、そこにいる桃太郎とヒナタとるいに向かって、一曲、演奏しようとしている。トラウマを抱えていた錠一郎が、浮世離れの感覚から、無重力感覚に脱皮できるかどうかの瀬戸際だね。ここで、子供の希望の光に成れなかったら、あの時、海で死んだ方が良かったかもね。
大月家は、少しでもいい方へ何とかならないかぁ~、という感じで慎ましやかに生きてる普通の家庭という感じだね。そこだけは、普通の普通の普通の家庭なんだね。でも、厄介だね。
まー、野良猫でも親になれば、子供を成長させるからね。最近の野良猫は避妊手術をされているから、他の親猫がする子育てを見たことが無くて、育児放棄?育児知らずの野良猫になっている可能性はあるよね。人間の母親の育児放棄だけじゃなくて、「野良猫の母親よ、お前もか」かな。
自分では苦しみを自覚していないのかも知れないけど、苦しんでいる親の世界観というのが合って、その世界感によるマインドコントロールを、子供たちは、見えないところで受けていて、そこが、子供たちの深層意識や潜在意識に影響を与えているというのは、知っておいた方がいいやな。いいマインドコントロールならいいけど、破滅型だと、可哀そうだよね。
何がいいマインドコントロールなのか分からないと言うのであるのならば、まずは、空気みたいに透明になるしかないやな。透明は意味的には善くも悪くもないからね。しかも、透明は虚無ではないからね。
そのようであるから、善いとか悪いとかと考えてしまう時も、空気体瞑想をすればいいよね。これをするに尽きるよね。自分の深層意識や潜在意識の波動の影響で、訳の分からないまま、不都合な痛い目に会う前に、自分の中では自覚が薄かも知れないけど、そのマインドコントロールを、ぼちぼちと直していくしかないからね。親も子もね。
自分の過去の記憶や潜在意識や深層意識を良く自覚して、透明な空性へまで活性化すれば、良くても悪くても自分を縛っていたマインドコントロールは溶けて行きやすいからね。それでも、その人の性質というのは残るだろうけどね。そこは性質だから、性質として自覚するだけだよね。その性質が、その人の悪業なら、空性と共に流して、用が足りるまで償いの浄化するしかないやな。どうせ、逃げられないんだからね。
錠一郎も、この20数年間で、自分が深層意識を超えなきゃいけないという事に気づいて来たんだろうね。時間がかかったね。
子供が元気に大きくなると、それだけで、親は、子供のためだとかと言いながらも、自分の深層意識に気づくものなのかもね?。どうなんだろうね。忙しくてそんな暇はないのかなぁ。
親として忙しいのなら、寝る前に空気体瞑想を5分でも10分でもすればいいね。少しぐらいなら酔っていいても構わないしね。いずれにしても、まず、親が子供に対して、透明な空性の自分になることだね。それで、子供も安心するかも知れないしね。寝る前なら、瞑想したあと、そのまま寝てもいいしね。
親も子も、「別に。の人生」だけど、しいて言えば、どうしたらいいか分からない人生のまま、棚から牡丹餅を待っている人生でもあるようならば、苦しみ感覚の原因である重力と重力子なわけで、それらを超えて、無重力の感覚まで行ってみたいものでございますね。重力によって落ちて来るぼた餅を、当てにしてしているのではなくて、重力から透明へ解き放されたいものでございますね。
今日は、それぞれの家庭において、知らない間に深層意識や潜在意識にこびり付いてしまったマインドコントロールのようなものは、空気体瞑想をして、それらの意識を活性化して、自分では気づけていないマインドコントロールに気づいて、それらを透明へと意識化をしましょう、、、の一席でした。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、息をして、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。