おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もありまして、それはそれで良いのですけれども、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。空気体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である透明な空や空性に、気づき入ろうとする瞑想法です。もっとも直接的な瞑想法とも言えます。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は、有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。

 自分の中心に「透明な空」を認識して、勇気を出して、進みましょう。

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 ヒナタは、オーディションが終わった後、二代目モモケンに呼び止められて、話をしている。その話の中で、モモケンは三太郎から「美味しゅうなれ、美味しゅうなれ、(良くなれ、よくなれ)」のおまじないの言葉を聞いたと告げられた。その記憶を思い出す引き金になったのは、ヒナタが幼い時に、モモケンのサイン会で渡した回転焼きだった。ヒナタは、初めて真面目に、アンコのおまじないの事を聞いたのかも知れない。ちなみに、ヒナタは、昭和40年4月4日にモモケンが2代目を襲名した日、その日に生まれたようだ。ヒナタの誕生日だね。ひな祭りでもなければ、端午の節句でもないんだね。

 そんなある日、ヒナタが回転焼き屋に帰ってみると、三太郎がうろうろしていた。彼女が声をかけると、三太郎は、大月屋を探していると言う。そして、ヒナタが自分の家に三太郎を案内すると、三太郎は大月屋の女将が、るいであることに、顔を合わせる前に、気づいた。そして、姿を消した。

 オーディションの結果が発表になった。しかし、五十嵐は、悪役の親分からは外されていた。でも、名前とセリフのある役がもらえたようだ。死体役ではなかった。五十嵐は荒れていたが、今は喜んでいる。

 そんな時、三崎すみれの次の役が決まったらしく、それが茶道関係のものなので、ヒナタと一子は、榊原に呼び出された。榊原は一子に、すみれに茶道の作法を教えて欲しいとネゴしている。一子は、母親と一緒にサポートをするみたいだ。大変だな。さらに、榊原は、不安な一子のサポートと三崎すみれのサポートを、ヒナタに頼んだ。

 ヒナタよ、五十嵐を選ぶより、榊原を選んだ方が、いいんじゃんないの?。ヒナタは、母性本能の無駄遣いは得意だけど、男を見る目がないやな。彼女は、大変な仕事を押し付けるのが榊原だと、感じているのかなぁ。この榊原という男は、なかなかの者だぞ。ヒナタには分からないのかなぁ。やれやれだな。ヒナタは、困った女子だなぁ。大和なでしこが、エセリベラルによって欧米ナイズを吹き込まれると、こうなるんだろうね。女の幸せは、遠いいなぁ。

 今日も書くことがないな。

 

 ところで、そりゃーまー、三太郎の性格では、るいを見た時点で逃げるわな。俺も、そういう話を聞いたことがある。借金と同じだからね。返さないといけない借金があれば、逃げるんだね。その相手が友達でも、肉親でもね。三太郎タイプは、そういう感じの思考回路の人間たちなんだね。つまり、自分がヤバイか、ヤバクないかが、常日頃からの発想の根源なんだね。自己保存本能と承認欲求が絡んでいるんだろうね。長男には半分ぐらいそういうのがいるよね。でも、長男の責任感があれば違うんだけどね。三太郎はないんだね。親の甘さが子供にとって逆効果だったのか?、親の厳しさが、子供の中でずる賢さを思いつかせて、それが身に付けたのか、三太郎は、その辺をうろうろだね。

 いくら何でも、三太郎は、るいのところに帰って来ない方がいいだろう。性格は治ってないし、歳だし、仮に介護が必要になっても、一生、あの性格だろうね。許して何とかなるんなら、いいけど、たぶん許しても、「それで、いいんだ」と思うタイプだろうね。殴られても、たぶん、『痛い』と思うだけで、何がいけないのか、本当には分からないタイプだと思うよ。

 ただね、そういう奴は野垂れ死にしないために、そこそこに有名で、責任感のあるいい人にへばりついているか、安定したそこそこの組織にへばりついていて、自身は、ガタガタしながらも人並み以上の生活はしている場合もあるけどね。でも、隙あらば、一人立ちしたいとも考えているんだよね。

 うーーん、考えてみると、世の中は、大なり小なり、そういう奴ばかりかもね。そりゃー、三太郎も本当のところで、何が悪いのか分からないし、真面目に分かりたくもないやな。『みんな、そうじゃん』だもんね。あーぁ~、だね。汚れているんだね。でも、切られ役にはなりたくないんだね。あははは。というか、切られ役ができるだけの実力もないんだね。いるよ、いるよ、たくさん居るな、そういう奴ら。これが現実かぁ。厳しいね。「水清ければ魚棲まず」だけど、それが、清浄なことを批判しているのであるのならば、俺にはその言葉も生きずらいね。

 とどのつまりは、三太郎のような汚れたタイプはもちろんだけど、俺みたいな出来れば清浄で進行したいタイプでも、人はどう転んでも、どのタイプの人でも、結局は、厳しいところに追いつめられるのかもね。

 それで、「人は一人では生きていけない」とか言いながら、仲間が必要になるのかもね。そして、七転び八起き・七転八倒しているうちに、最後は、ドロドロかぁ。で、「泥の中からしか、蓮の華は咲かない」とかと言うんだろうね。あはははは。「まー、ご苦労さまです。咲いて良かったね。咲かなきゃ、最低だよね。(あの、えっと、「さいて」と「さいてい」のダジャレです)」。

 結局、生きたいのなら、泥水や泥や土の中を生きて行く方法を考えて、身に付けるしかないんだろうね。まるでモグラだな。人間は、土の中でもがいているモグラと同じなんだね。気づいてないけどね。

 しかし、目があんまり見えてないのに、なんで、モグラは土の中の暗やみで動けるんだろうね。匂いと音で判断するんだろうけど、この泥が人間界の闇で有るのなら、こりゃー、モグラも人も騙されやすいね。だから、「騙されないように注意しろ、騙されるより、騙せ」になるのかな。なるほどね。そういう事で、言ったもん勝ちやったもん勝ちのろくでもない大陸型人の世界観が出来たんだね。奴らは泥の中でもがいている感じなんだね。

 じゃぁ、モグラ退治という事になると、匂いと音(言葉)は甘くして誘き寄せておいて、モグラの目は見えにくいらしいから、正面から刃物で切るのが一番かな。退治しやすいかもね。そいうことがあって、どの国の大陸型人も正面切って、武器を増やしているんだね。

 人間はこの世の泥の中で、武器を使ってきたんだけど、でも、モグラようだから目がよく見えないんだよね。という事は、目がよく見えるようにすれば、泥の中でも戦い易いのかな。生き残れるのかな?。まともな目をつければ、泥しか見えないから、目みたいな物がいるんだね。あっ、カメラのレンズか。なるほどね。

 今のカメラは、自動で焦点が合うんだよね。武器に自動焦点機能をつければいいんだね。もう付いているのかな?。

 だから、銃も、写真を撮る時みたいにだいたいの方向へカメラを向けて持っているだけで、その銃自体が、AIのコントロールで動いて、目標に焦点を合わせて、発射してくれればいいね。自動AIライフルだね。ライフルを使うのに、射撃の練習をしなくてもよくなるね。と言いうか、もうライフルを人が持たなくていい時代かもね。自動AIライフルは置くだけでいいんだね。そうなるともう、地上戦の兵隊の人数は、戦いにあんまり関係がなくなるね。

 中国なんかは、戦争で5億人死んでも、あと5億人は残るから、戦争には勝てるなどと考えているらしいけど、この自動焦点AI作動のライフルや機関銃があれば、兵隊の数とかは関係なくなるね。これはーー、地上戦も変わるね。置いていおけばいいんだからね。

 戦争をしている政治家にボディーガードが居たとしても、このAIのマシンガンを、カモフラージュして、一つか二つ置いておけばいいだけだろうね。あははは。

 この世の泥の中の泥試合は、技術で勝負なんだね。戦争もAI技術の時代なんでございましょうね。先の大戦にAI機関銃が有ったら、日本も負けなかったかもね。竹ヤリよりは、正確でございましょう。

 どうせ、人間なんて、目のよく見えない泥の中のモグラなんでしょ。水清ければ魚棲まず、なんでしょ。マスゴミの情報もドロなんでしょ。もう、好きにやればいいね。AIが殺してくれて、丁度いいかもね。この世の大掃除ですね。戦闘AIルンバだね。あははは。

 世の中の掃除をするのなら、空気体瞑想が高率的だけど、知らないよねぇ。空気も水も清くて、目には見えない穏やかな戦いでもあるんだけどね。あははは。。。やれよ、世界のモグラたちども。

 三太郎を見ていると、人間の「生存と存在の価値」を考えるよね。あいつが居なきゃ、安子もるいも、アンコを作って、「美味しゅうなれ、良くなれ」と祈りながら、普通以上の生活して行けた訳だからね。そりゃー、三太郎に言わせれば、「俺のせいじゃなくて、騙されて始めた先の大戦のせいだ」、だろうけどね。結果として、戦後は泥が増した感じだよね。泥が増えて、必然的に数が増えたモグラを、正面から始末する武器も核兵器も増えているのが、その証拠だよね。

 でも、世間は「水清ければ魚棲まず」と言うんでしょ。性悪説の大陸型人は、日本人の性善説を、バカだと言うんでしょ。それどころか、戦後のキミノジョウシリーズでもそうだけど、「暗やみでしか聞えぬ音がある。暗やみでしか聞えぬ歌がある」とかという言葉があって、大衆はそれに酔っているんでしょ。可哀そうだけど、全部、目が見えないモグラの妖怪のような人たちでしょ。あーぁ~、だね。

 でも、特に戦争はそうだけど、勝負において、負けるか、勝つかと言われれば、勝つしかないやな。日本は、すでに一度、死ぬほどに騙されて、しかも、70年以上も騙され続けて来たのだから、今度は、どんなことをしてでも、勝たせて頂きましょうね。弱いモグラどもが、グダグダと言っている間に、ガッツリと準備をしなきゃいけませんよね。戦闘用AIルンバで、地球の大掃除をしようぜよ。

 今日は、スーパー、モグラ叩きAIマシンガンを開発しましょう。置くだけで、OK、タンスにゴンゴン、戦場にガンガン、の一席でした。あはははは。

 今日、俺はねぇ、こんなことを書くつもりはなかったんだけどねぇー。

 本当は、安子とるいとヒナタを比べて、何か書こうと思ったんだよね。

 それは、戦前の大和なでしこ的な価値観を持っていた安子、彼女は、いい男といい恋を上手にしながら生きれるものを持っていて、、、るいは、瀬戸内寂静さんみたいに、世間から何を言われても、戦争の副作用で心が浮浪児になって傷ついている男を慰めながら、恋と好きな男を支えて生きていて、、、ヒナタは、泥のような世の中なのにそれに気づかずに、明るく、戦後の欧米ナイズされた自由もどき、平等もどきに染められて、ぶきちょな男に恋をして、ごたごたと自分をぶつけながら恋愛をしている、けど、幸せになりたい、などと書きたかったんだけど、結局、書いたのは、戦争に勝つためのAIマシンガンの事でございました。やれやれさ。さて、修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかでも、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空や空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。