おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。
過去からのいろいろな瞑想法もあります。そしてそれもいいですけど、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は、有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。勇気を出して、進みましょう。
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。
ヒナタが、第1スタジオで見学していると、三崎すみれが、お姫様役で臭い芝居をしている。しかも、監督にもストリーについての注文を付けている。なので、チームの雰囲気がかなり悪くなっている。三崎すみれがキミノジョウシリーズで、人気が有った時に、この監督は助監督だったようだ。
そういう事情と雰囲気が、まるで読めないヒナタは、映画の作りが良くなればいいと思って、三崎ひとみに、演技指導?のような感じで、お茶のたて方のアドバイスをした。その場の一同が、固まった。
ヒナタは、そういうことにも気づかない。安い正義感?にもならないようなことで、自分の思った通りに行動するヒナタだ。勘で動いているようでもないようだ。榊原のためを思い、取った行動のようだ。それを見た榊原は、その場を納めるために「三崎に謝れ」とヒナタに告げた。
ヒナタが、いろいろと自己正当化をして、謝っていると、業を煮やした五十嵐が、ヒナタのところにしゃしゃり出て、「お前みたいな馬鹿は、帰れ」と言い放った。ヒナタは、「なんで?」、「なんで?」と五十嵐が喋るたびに、『私のどこが悪いのよ』と突きつけている。とにかく、負けたくないみたいだ。
五十嵐は、いい加減なつくりでも、そこそこ見れるものを作ればいいんだ。それぐらい分れと言っているようだ。しかし、ヒナタは黙らない。キミノジョウシリーズの一場面を取り出して来て、五十嵐に、その時の気持ちを突きつけた。そうしたら、五十嵐もその場面をしっかりと覚えていて、ヒナタと二人でその場面の芝居を始めてしまった。バカ二人の芝居を監督とスタッフは、見せつけられているようだ。最後には、監督に「二人を、さっさと片付けろ」と言われる羽目だ。
しかし、五十嵐とヒナタが演じた芝居の1シーンは、三崎すみれと監督が作った思い出のシーンだったから、その場の雰囲気は、なごんだようだ。
五十嵐もヒナタも、何でもいいから自分たちを人に見てもらいたいんだね。あはははは。手間のかかる人たちなんだねぇ。
大部屋に帰った五十嵐とヒナタは、・・・ヒナタがしゃべっている途中で、五十嵐が倒れこんで…寝た。動物の中には、ストレスがかかったら動かなくなるという、気絶ヤギみたいなのがいるけど、五十嵐は、そのタイプの人間みたいだ。
今日は書くことが思いつかないや。今日のタイプの人たちに、空気体瞑想の事を話しても、ほとんど関係なくて、無駄かもね。役者が演じているのは、覚者の言っている事を、どうやっても、分かりたくもないし、分からないタイプの人たちだからね。宗教関係で例えると、末法の世で偶像崇拝をしている感じの人たちだからね。あばよくば、自分が教祖というスターになりたい人たちだからね。学者とかで言うと、研究をしたい人というよりは、ノーベル賞を取りたい人たちの部類だね。
つまり、自分が、なんだかの理由や感性で憧れた人、そのような存在になりたいだけ人なのかもね。その向こう側に行かないといけないんだけど、役者が演じた今日のタイプの人たちは、どうも、その向こう側には、行けないか、行きたくないタイプの人たちなんだろうね。
いつものことだけど、その辺の人たちが、俺にはよく解らないんだよね。俺が、説明しても、まるで通じないみたいだからね。凄くたくさんいるんだよね。頭も心もそんなに悪いわけではないけど、物事の枝葉の部分が好きなんだね。それが面白いみたいだよね。すぐに移り変わるんだけどね。
その人たちにとって重要なことは、「自分の存在」なんだろうけど、そこが不安定な世間の意識と連結していて、危ういんだね。乱暴な感じで、しいて言うなら、主なる神様の評価で自分の存在価値が決まるみたいなことは、全然、思ってない感じかなぁ。でも、困った時は神様にも助けてもらいたいんだけどね。その場の淀んだ空気を読みながら、全部が不安定なまま、やり過ごす感じなんだよね。
じゃあ、淀んだ空気で不安定なままやり過ごすコツが、身に付けば、彼らにとって都合がいいのかな?。そのようにして、地雷を踏まないようにしながら、事なかれ主義になるんだろうね。仕事をしたふりをするんだね。あははは。それで、困ったら、五十嵐みたいに気絶ヤギになるという事だね。
だからここなんだよね。…異常なことが起きるというのは、淀んだ空気が流れていて、全部が不安定だからなんだね。不安定だから、余計に汚れをそのままにして、事なかれ主義を取ってしまうんでございましょうね。だから、ケツに火が付かないと動かないんだね。
そういう風な会社や役所は、淀んだ空気を何とかしないといけないようだね。空気体瞑想をすればいいと思うけど、しないよね。毎日毎日、淀みの中で意味なく、大部屋脱出の順番を待っている感じだね。
これって、漠然と中心が狂っているという事だろうね。人間一人一人の中心も、会社や社会の中心もね。それが、淀んだ空気の原因なんだね。ずる賢いのがいるという事だね。中心を狂わすための嘘が蔓延っているという事だね。合気道でも、柔道でも、相手の中心を狂わすと、バランスを失って、その相手を投げることが出来るからね。勝つために行われている所業だね。
世の中には、勝つために、社会や人々に嘘をばら撒いて、その中心を狂わそうとしている輩が居るんだね。その、分かり易いのがマスゴミだけど、そのマスゴミを使っている奴らが居るんだね。俺は、マスゴミはプロパガンダに使われているのかと思ったけど、目的は勝つためで、世の中と一人一人の中心を揺さぶったり、その中心を外そうとしたりしているんだね。
という事は、アドバイスとして出来ることは、自分の中心探しをしなさい、という事かな?ちょっと、雑だなぁ。
例えば、葉っぱから見れば、木の幹は中心だけど、木の幹だけを見ろと言っているんじゃなくて、それも見ながら、葉っぱが枝に直接についているわけだから、そこを見れば、中心の幹にたどり着くという事・・・かな?。木の幹は、根っこに付いていて、根っこは土についているんだよね。当たり前だよね。木の葉っぱが落ちれば、腐って土になるしね。有って無いような、無いようで有る、その中心をどうやって分からせて、狂わないようにするかだよね。言い換えれば、本物と偽物を見分ける目が必要という事かもね。
だけど、今は末法の世になって1500年ぐらい経っているわけで、この世に完全な本物などが、あるわけがないじゃん。存在できないやな。キリストさんが昇天して、この世には、全部偽物しか存在しないという事になっているのかもね。大変だなぁ。
透明な空や空性(くうやくうせい)は、いつもあるんだけど、そこの中心から、人々はズレていて不安定だから、その不安定から抜けだすチャンスを仲良く待っている感じの社会なんだね。そのせいで、人々は、仲良しの、そのしがらみが安定だと思っていて、余計に空気体瞑想のような透明感は、受け入れられないんだろう。このまま進んで行くと、地球の中心も狂うことになるから、地軸が動くことになるよね。地震で地面が動くか、地軸が動くだな。
人間がその中心に帰る方法としては、空気体瞑想がいいんだけど、その話は聞かない訳だし、通じないんだろうから、何を言っても信じるも信じないもない訳で、考えて、考えてみると、とどのつまりは、何か都合で運よく救われると仮定した場合、何もかもが、天然のダルマのエネルギー反応であるわけだから、その反応が進むにつれて、その反応の結果を、否応なしに見せつけられるという事になるわな。そこだけを、認識をしておくしかないという事だね。
まーねー、太陽系だって、天の川銀河の中心に引き寄せられているわけだから、人間の意識が自分の透明な中心に引き寄せられない訳がないやな。そこだけは信じられるよね。自分の透明な中心を意識して、生きてみたら、こんな結果になりました、という事かな?。
諺に、丸い卵も切りようで四角、とはあるけど、末法の世だから、ここも淀むところかもね。そうなると、自分の中の透明な中心を意識して、その周りの汚れを認識しているだけになるなぁ。だけどこれは、動き始める前の静寂なのかもね。なんか、瞑想と同じ状態だな。あははは。それなら、それでいいや。
今日は、自分の中の透明な中心に目覚めて、意識している自分になれたら、成り行きに任せましょう、の一席でした。つじつまの合わない末法世界だから、これには勇気がいるよね。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。