おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。
空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。
現代では、過去からのいろいろな瞑想法があります。そしてそれもいいですけど、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は、有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。勇気を出して、進みましょう。
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。
ヒナタは、職員の榊原と、「破天荒将軍」の撮影現場を見学している。ヒナタにとっては、その光景は、珍しくてラッキーだ。
そこには切られ役がたくさん居た。隅の方に五十嵐君もいた。彼は、切られ役の中でも下っ端だ。見学組だ。しかし、破天荒将軍、ぬるし。将軍には見えない。五十嵐君よ、こりゃー、スターになるチャンスがあるぞ。あははは。
ヒナタが、撮影場の大部屋へ通うようになって、一週間がたった。もう、お茶くみヒナタになっている。そんなある日、キミノジョウシリーズに出ていた、三崎すみれが、大部屋に来た。ヒナタは、すみれにサインを貰うことにした。
三崎すみれは、東京に行っていたみたいだ。あんまり仕事がないようだけど、プライドは高いみたいだ。彼女は、ちっゃちいショウの客寄せパンダにはなりたくないとかと言いながら、榊原に向けて、映画の役が欲しいと言っている。
榊原は、映画監督にネゴして、なんとか三崎すみれために、彼女用の役を世話した。これによって、ヒナタの三崎すみれに対するイメージが、かなり崩れたようだ。
ヒナタが回転焼き屋に帰ってみると、あの五十嵐が来ていた。いつものように饅頭を一つ買っている。ヒナタは、よせばいいのに「アンタは、大部屋の、切られ役の、下っ端じゃないか」とかと言ってしまった。あははは。三崎すみれと目くそ鼻くその性格だな。なかなかの性格だぜ。五十嵐は、「明日、第一スタジオに来い」と言って帰って行った。
時は、錠一郎が、トランペットの大会に出場してから、20年経ったようだ。そろそろ錠一郎の第二の人生が、否応なしに始まるのかもね。それが、もし始まったとしたら、オリジナル作品のはずだけど、それにしては、この作家は物事を知り過ぎているよね。
これー、、、モデルがいるかもね。違うのかなぁ。???。この朝ドラを見ていると、ときどき、うん?、実話なの?、と思う時があるんだよね。モデルがいるストーリーは、『ここは作りだな』と感じるけど、その逆だよね。オリジナルなんだけど、モデルがいる感じだよね。モデルがいないと、絶対に想像がつかない流れがあるんだよね。創作じゃ、『あれは出来ないな』と感じるんだよね。なんかね、作りの中にいい意味での極薄い違和感、イヤ、「アハ体験」を感じていて、この作家は、知り過ぎていると思うんだよね。それがプロの由縁でもあるけどね。まっいいや。
あくる日に、ヒナタが第一スタジオへ行ってみると、五十嵐が武士の格好をして出番を待っていた。まーねー、映画村に居ると、明日、何があるか分からないよね。やっぱ、パワーがある若い人たちには、映画村は面白いところかもね。千に一つ、万に一つの、それにかけるんだからね。で、目の前にそういうスター?人がいるんだからね。人間が、おかしくなるよね。
ヒナタの場合は、生まれた時から、浮世離れした錠一郎が目の前に居るわけだから、万に一つどころか、億に一つという感じの原石かもね。ヒナタにとって、映画の中の水の方が、その浮世離れした魂に合うのかもね。
押しなべて考えるのに、普通の人が浮世離れをして、しかも、現実の中を生きているという事は、映画の中を生きているようなものなんだろうね。「全部、お芝居なのか?」と問われれば、「この世界とは違う、そのような意識の現実を生きているだけ」と答えるしかないやな。
たぶん錠一郎は、それかもね。気違いと天才は紙一重、というけど、そうい感じかもね。錠一郎は酒も飲まないし、浮気もしないし、浮世離れをしていてもボンクラではないんだよね。極楽トンボだけどね。「裸の大将」の山下なんとかという画家がいたけど、山下画伯もそういう感じかもね。知能は遅れていたんだろうけど、あれで、頭が良かったら、レオナルドダビンチクラスの大天才だよね。
だから、人間の思考回路が、どの意識にアクセスしているかというのは、ゆっくりと隅々まで見た方がいいかもね。微細なところまで感じていると、空(くう)になってしまいから、分かりにくいけど、いずれにしても、天然のダルマエネルギーの流れに、隅々まで乗っているという事は、重要だよね。妖怪の孫悟空だって、空を飛ぶ時は、キントン雲に乗っているわけだからね。昔から、どの意識にアクセスしているからは、ビジュアルと行いによって、説明されているよね。
ダメな奴のだいたいの意識は、自分の考えで動いて、矛盾や理不尽を行うか、受けるかして、意識の堕落が始まるんだね。聖書でいうところの堕落の天子だね。そのようなことで、世の中に少し鍛えられて、賢くなったりずる賢くなったりした奴は、普通の世界の人でも、たくさん居るよね。つまり、凡夫な訳で、その凡夫の意識が、どこにアクセスしているかということで、そういう奴の行動が違うよね。
スピリチャルの世界では、これらをチャネリングとかと呼んでいて、低次元とか高次元とかと言っているよね。高低の違いは、その意識の繊細性と微細性、そしてスピードなどの違いですね。ただね、意識が本当にすごいスピード廻っている時は、独楽が回転して立っている時に似ていて、動いてないようにも見えるかもね。あと、扇風機がすごいスピードで廻っていると、その羽は、ゆっくり動いているように見えるよね。そういう錯覚があるから見間違わないように気を付けないといけないよね。気違いと天才の違いだね。
ゆえに、見間違わないような境地として、透明な空や空性(くうやくうせい)が、凄く重要な物差しになるわけで、その為にも、空気体瞑想があるんだね。見間違わなければ、いい対処が出来るからね。だけど、その対処を間違う人や、その対処に、知らず知らずのうちに自分の要望を混ぜてしまう人もいるよねー。役立たずになるよねー。
取りあえず、ざっくりと言ってしまえば、まっ、自分のレベルでしか、人は見えないという事だね。そのような時に、そこそこに賢い奴は、「自分の見方だけど」と前置きをして、話をする感じだね。達人は、ザックリ、バッチリ、いい対処をするよね。ほとんどいないけどね。
いろいろな意識レベルの関係から、推察するに、その時代の大衆の集合意識のレベルを知りながら、その上で、浮世離れした表現が出来ると、・・人々は面白がるのかもね。
あれれ?、そういうもののいい例は、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんじゃん。昭和のあの時代では、男はつらかったんだねー。あははは。戦後だからね。じゃぁ、朝ドラでも「極楽とんぼの錠一郎は、つらいよ」でも、一話ほど作りますか。まっいいや。
今日は、この世の人間にも、意識の微細性とそのスピードによる意識の回転数が有り、大衆の集合意識にも微細性とそのスピードによる意識の回転数があり、あの世の者たちにも、意識の微細性とそのスピードによる意識の回転数がありますので、見間違わないで善き対処をしましょう、の一席でした。
そのためにも、空気体瞑想をして、意識の微細性その回転数を上げましょう。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。