おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。無料です。

 過去からのいろいろな瞑想法もあります。そしてそれもいいですけど、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は、有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。勇気を出して、進みましょう。

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?

 ヒナタは、伴虚無蔵が言った「9時に映画村の橋のところに来い」という話に乗り、出かけようとしている。が、るいは、怪しいから止めている。

 虚無蔵が、映画俳優らしいと気づいたヒナタとるいは、取りあえず、ヒナタだけで橋のところまで行くことにした。

 ヒナタが、映画村の橋のところに着いてみると、虚無蔵が待っていた。「お茶をしんぜよう」と言うから、ヒナタは大部屋について行った。

 お茶を飲みながら、虚無蔵は、「自分は有象無象の大部屋の俳優だ」と言っている。そして、ヒナタに「そなた、時代劇を救ってくれ。武士の情けだ」とも言っている。でも、ヒナタは、「そんなことは私にはできません」と言って大部屋を出た。

 ヒナタが映画村を歩いていると、あの態度の悪い若者が道端で、寝ていた。ヒナタが声をかけると、起き上がって、「俺は、嵐勘十郎の50倍のスターになる」とのたまった。若者の名前は、五十嵐という。彼が、ヒナタをバカ扱いするものだから、ヒナタはカチンと来て、こんな有象無象の俳優に負けたくないと思ったのか、もう一度、虚無蔵の待っている大部屋に帰って行った。そして、次の日から大部屋に来て、事の成り行きの様子をうかがうことにしたようだ。ヒナタは時代劇が好きだからね。

 大部屋には、エキストラ的な俳優がたくさん居て、切られ役も多いい。スターはいないな。ヒナタは、そこで映画に出るチャンスを待つことになったようだ。

 でも、彼女にとって、大部屋の世界は、パラダイスのようだ。何が起こるか分からない世界へ突入した感じなんだろうね。

 女子って、痛い目に会うまでは、筋力的に弱いくせに危ないところに行って、刺激を求めるんだね。あれは、なんなんだろうね。新しい刺激が来れば、何かが変って、きっと良くなると思えているのかも知れないね。まーなー、本人がしっかりしていると思っているだけなんだけど、自分さえしっかりしていれば、ある日突然、映画の主役が来るかもしれないし、それを感じると楽しいかも知れないやな。何をしたらいいか分からない平凡な日々よりは、いいのかもね。

 そう考えると、若者の希望している夢って、特に女子の場合は、自分自身でお金か時間を区切らせて、お試し的にやらせるのがいいのかも知れないな。周りがその時間を決めたらいけないかも知れないけど、ついつい3年間はやってもいい、とかと言いたくなるよね。難しいね。

 あと、取り返しがつかないようなことに巻き込まれないために、注意事項を伝えておいた方がいいけど、虚無蔵は、ヒナタに対して、注意事項を話さなかったな。俳優のなり崩れ者が、いろいろいるだろうからね。それと、たぶん映画制作の人たちは、村社会なんだと思うんだよね。変なしきたりには、注意しておかないといけないのかもね。俺は見たことはないけどね。

 伴虚無蔵は、その村社会の大部屋俳優だと入っているけど、一目置かれている存在なんだね。映画会社の社員の人が、「伴さんに見込まれて大したもんだ」とヒナタに伝えている。

 ヒナタは、お茶を入れて、その社員の人に上手く近づいたもんだから、撮影現場を見学させてもらえることになったようだ。社員の人は、ヒナタがオーデションに参加して観客に受けていたことを覚えていた。

 映画スターは、最初からオーデションに合格していたりしていて、日の当たる道を歩いているスター人なんだね。大部屋とかから這い上がるのとは、違うよね。ヒナタが日の当たる道を歩くのは、遠そうだな。無いかもね。あははは。

 

 さて、今日の朝ドラでは、BGMにジャズが流れていたんだけど、映画村の大部屋みたいなところで、その浮世離れした雰囲気に、ジャズがピッタリ合うんだね。ジャズって、その意図として、浮世離れしている音楽なんだね。俺は少し、解ったかも。

 俺が、ジャズに微妙なうっとうしさを微かに感じるのは、同じ浮世離れした者同士だったからかもね。いろいろな意味で、あり得るな。

 浮世離れしたものが、浮世離れを意図した音楽であるジャズを聞くと、なんか、浮世離れしすぎるというか、『そんなの解っているよ、なんとかしろよ。ばかー』みたいになっちゃうんだろうね。そこがなんか、微かにうっとうしく感じるところなんだね。

 確かに、俺の知り合いで、ジャズを聞いている人たちを思うと、彼らの普段は現実的で、損得も考えていて駆け引きをしていて、浮世離れしてないやな。だから、日本式のジャズの脱力と緩和が、彼らには、良く感じるんだろうね。なるほどねぇ。

 なんだか知らないけど、治らない病気になりながら、現世の中で必死に藻掻いているオッサンたちが、そこに居るんだね。でも、あんまりいい結果は出てない感じだね。そのオッサンたちは、浮世離れした雰囲気だけが好きなんだね。逃避だね。あーぁ~、だね。日の当たる道を歩いているようで、損得の道を歩いているだけなんだろうね。で、束の間だけでも、ジャズの世界のマボロシの道が歩きたくなっているんだろうね。でも、いやー、同情できない哀れさだな。あははは。

 彼らの能力や病気や人生の出来事を、ちらっと聞いたことがあるだけだけど、俺の見立ては、ピッタリ当てはまっているな。

 損得を考えて、なんとなく解決できなところを、なんとなくの奴に押し付けながら解決しているような感じにしてきたわけだけど、それは、いつも困っていた人生なんだろうね。冷ややかに見るとそうだね。彼らの奥さんは、なんとなく大変だったろうにね。夫唱婦随というよりは、たぶん腐れ縁という意味で、夫唱腐髄かもね。

 でも、退職後にぬれ落ち葉になって、腐っているのは、旦那かぁー。まっ、「死ぬまで脱力と緩和の日本ジャズでも聞いて、浮世離れをしていろよ」という感じだね。どうせいつかは、本当の浮世離れするんだからね。ただ、その前に、空気体瞑想でもしておくといいね。手遅れかも知れないけど、損得を考え続けた人生の業の掃除が、少しは出来るかも知れないしね。いいジャズを聞くよりも、空気体瞑想が効率的だからね。

 直感的に思うには、虚無蔵と錠一郎は、同じように世間体や損得を考えないで生きているから、「浮世離れした人のプロ」として、二人は仲良くなりそうだよね。つまり、彼らは、脱力と緩和の浮世離れしたジャズを聞く方じゃなくて、演じるつもりがないのに、浮世離れが好きで浸っている人たちなんだね。

 虚無蔵にとって、時代劇と映画村は居場所だから、無くなったら困るよね。ヒナタに頼むしかないやな。錠一郎は、現世の中の回転焼き屋で、浮世離れしているかんじだね。

 こりゃー、錠一郎の浮世離れの方が高度だから、虚無蔵が頭を下げて通ることになるかもね。ヒナタは、錠一郎の娘だら、虚無蔵が見込んだだけはあるな。しかし、この映画会社は、大丈夫でございましょうかね?。あはは。

 今日は、「浮世離れ」、それは、ジャズと錠一郎と虚無蔵とヒナタの共通点で、パラダイスです、の一席でした。

 浮世離れをしている旦那でも、現実おいて損得を生きている旦那でも、その女房は生活に追われて、大変なようでございます。不満が湧いてきたら、空気体瞑想をして、その不満を透明にしましょう。その透明感が、新鮮な旦那様かもね。そうしたら、現実の旦那にも、だんだんと愛されるようになるかもね。意味なく透明感に愛されているという実感が出て来るかもね。神様からの愛だね。

 今の時代では、旦那が夫か、女房が夫か、旦那が婦か、女房が婦か、そういうことは、能力次第でございましょうけど、GHQに汚洗脳にされた人たちでも、夫唱婦随になれるといいですね。汚洗脳が浄化されます。自分の中で、その不満の元であるエネルギー不足を、力を抜いて透明化しましょう。それには、空気体瞑想ですよ。

 言ってしまえば、こういう事のエネルギー反応は、旦那の事が好きとか嫌いとかとは、関係ないですからね。現実の世界で、自分の中に不満が勝手に溜まって来たように、空気体瞑想の中で、そのエネルギー不足の解消も勝手に進みますからね。さて、修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。