おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろに書いてあります。それが基本で、全てです。そこだけでも一読をお願いしたします。過去からのいろいろな瞑想法もあります。そしてそれもいいですけど、それらの元は、空や空性(くうやくうせい)です。

 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」は、有りません。今を超えて行きましょう。その後は、その方の意識レベルと器次第です。勇気を出して、進みましょう。

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?

 映画会社のオーディションは、続いていて、芝居の審査に入った。

 街の娘が、浪人に絡まれて脅さている場面で、新之助という侍が、その娘を助けて、結婚を申し込むというストリーだ。

 しかし、その新之助役が、以前に回転焼き屋へ来たことのある感じの悪い若者だった。ヒナタは、その時のことが気になって、芝居が上手く出来ずに、ストリーが変わってしまった。ヒナタは、結婚を申し込まれる場面で、新之助を切ってしまったのだ。会場は、大笑いの大受けだ。しかし、コンテストには合格しなかった。

 ところが、ヒナタは自分が不合格でも、そんなに傷ついてないことに気づいて、それが、ショックだった。ヒナタの人生をかけた「勘」は確かなもののはずだったのに、それが外れたと思ったんだろう。これは、意外にショックだよね。彼女は、どう生きたらいいか、これから何を目指したらいいのか、分からないのが問題になるからね。

 そんな時、「御免、拙者、盤 虚無蔵。」、、、という役者が、回転焼き屋に訪ねて来た。るいが相手をしていると、虚無蔵は、ヒナタを訪ねて来たと言い、「明日、映画の収録が始まる前に、映画村の橋のところに来い」、、、とヒナタの人生に、果たし状?を突き付けて帰って行った。あはははは。「虚無」に居る人へ対して、要領を求めても仕方がないけど・・・的さえ外してなければ、いいやな。

 しかし、鬼滅の刃のタンジロウもそうだけど、コンテストの時のヒナタも、肝心な時に自分の感情が、先に立ってしまって、勝つための「間」を逃がすよね。ドラマとは、そういう作りのものなんだろうけど、、、普通の人は、自分を捨てるという事が、必死で戦えば戦うほど、本気になればなるほど、大変なんだろうね。

 今の目の前にある目的の為に、戦うか、必死で何かをしているんだから、普通の人たちは、目的しか見えなくなるよね。そうなるよね。人生のややこしいところだよね。目的も忘れられて、目的を持っていた自分も忘れられていると、いいんだけどね。

 エネルギー的には、目的のないところの空白なった自分へ、何処からか何かが来るんだよね。ただ、いざその場面が来ると、自分が空白になっているわけだから、目的も無くて、動く気にもならないし、しかも、その何かは偉そうに来ることが多いから、簡単には乗らないよね。チャンス?が過ぎて行くだけだよね。信用が無かったら、過ぎて行った方がいいしね。まさに虚無蔵のあの態度が、そのものだよね。ヒナタも、喜んで乗るには難しいところだよね。

 まー、ヒナタの場合は、時代劇に出たい言う希望があるから、まだ虚無蔵の話に乗りそうだけどね。空白は希望すらも諦めて無くしている時だからね。気持ちの無いところに何を持ってきても、無駄だよね。ここが難しい。

 空白になったところで、エネルギーの増える方向が、いいんだけど、それには、お互いの天然のダルマのエネルギーの流れが分かってないと、上手くは進まないやな。

 世間一般の上手く行かない例でいうと、ある人が困っていて、そこに悪魔が天使の顔をして来る、みたいなことがあって、その悪魔に上手く乗せられて騙されているみたいなことがあるよね。他にも、ヒナタみたいに、チャンスを見つけてその舞台に立ったと思えば、肝心な時に自分が捨てられなくて失敗したりもするしね。虚無蔵的に言えば、ヒナタは侍に憧れているんだけど、そのヒナタの太刀筋に迷いがあって、現実的には、何もかもがスッパッと切れないという感じがあるね。

 そう考えると、人生なんて、失敗という太刀に切られてなんぼの「虚無」だよね。切られるときに自分があったら痛いだけだから、せめて、虚無のまま殺してくれだよね。

 そして、そのように切ってくるのは、神様か運命か、ひと様か世間様か、知らないけど、言ってしまえば、切られ役の虚無蔵も、日向の道を歩いているとは言い難いかもね。

 暗やみの中でしか聞こえない音は、「虚無の音」で、それは、今いるところの闇をも超えているのかもね。虚無蔵は痩せていたな。確かに、虚無蔵は痩せてないといけないやな。

 ただね、専門的に言うと、「無」も「虚無」も「超越」も、エネルギーが満杯で流れている時の主観の状態なんだよね。火事場の馬鹿力と言われれるものに似ているね。スポーツならば「ゾーンに入る」という現象だよね。

 盤虚無蔵に言わせれば、ヒナタよ、「暗やみで、自分の人生の虚しさを抱きしめて、虚無の音を聞け。さすれば、そなたの歩く、日向の道も見えて来よう」だね。

 しかし、ヒナタを見ていると、戦後のGHQが指導した、日本潰しのための教育とその価値観というのがあって、その汚染脳作り作戦のせいだろうけど、ヒナタのように、自分の好きな男に対しても、そばに居る他人に対しても、大衆にも対しても、いい印象を残すということが出来ない女子、それが、量産されたような気がするな。これについては、巷では、女が自由になり強くなったよう見えているらしいんだけど、実際は苦しんでいるんじゃないかな。女子は、精神的な事は、そんなに苦しいとは思わない性質の生き物なんだろうからね。

 安子や、お手伝いのユキエが育てたるいは、まだね、好きな男に、いい印象を残すための女の性質を、上手く活用しているよね。その術を、知らず知らずのうちに身に付けているよね。ヒナタは、それが、1ミリもないもんね。現代の女の子たちだよね。

エセウーマンリブとかエセリベラルが、結果として、男と女たちのちゃんとした幸せ感へ行き着く道を、ダメにしているのかもね。

 つまり、エセウーマンリブとか、エセリベラルは、「「女」の私が、幸せになりたい」という目的があるわけだから、その目的を持っている自分を、捨てられないことにしているんだよね。その前に、幸せじゃないという現実があるわけだけど、全体、目的が有って、その目的の為に自分を捨てられない訳だから、ヒナタのオーディションの時みたいに、(好きな男の前で)お芝居をしても、結果は、上手く行かないやな。本音を言えば、自分があるだけだから、自分の望みをかけた一人芝居だよね。

 そして、その女子の心にやって来るのは、失敗した後の虚無感だよね。その現象が悪い訳じゃないけど、虚無感が嫌だから「私、頑張る」とかと思うし、頑張ったけど上手く行かない事ばかりだから、「アタシ嫉妬の癖がある女になったぁ~、(我慢しているけどね)」みたいなことになるのかもね。そして、「褒めてよ、愛してよ、どうすんのよ」みたいなことになるんだろうね。

 これは、戦後のGHQした教育改革のせいだね。大和なでしこのいいところをも、全部、潰したね。このカルマはやがて、アメリカとあの時の連合国に帰って行くね。今では、ジェンダーとかと言いながら、世の中をぐちゃぐちゃにしているもんね。

 この前のニュースでも、水泳の選手で、身体は男なのに、心は女で、その中身の女はレズビアンなんだとか言っているのがいたな。そいつが、水着に着替えるのは、女子選手の着替え室を使うらしく、全裸のフルチンなるらしいね。あははは。男の筋力をもっているのに中身が女、そしてそいつが、着替え室で裸の女たちと居て、「私はレズよ」とか言いながら、女におそいかかるのかね。いやー、これが欧米の文化のなれの果てだよね。見ろよ、ぐちゃぐちゃじゃん。いわゆる、権利の主張ばかりして、全てにおいて要領が悪い訳でしょ。だから、幸せ感が無いんでしょ。世間と戦ってばかりになるんでしょ。ホント、馬鹿な者だちだよね。

 だいたい、ジェンダーだとかと、大げさに騒がなくても、そういう場合のカミングアウトの仕方とか、そのままで生きていく要領を教えればいいだけでしょ。そりゃー、嫌がられながら生きていくのはつらいけど、男の体を持っていて男の精神を持っていても、嫌がられながら生きている人は沢山いるでしょ。ただ、その嫌われている人が、自分で嫌われていることに気づいているかどうかは知らないけどね。

 俺も役に立っても、予備みたいな存在て生きてきたようなもんで、だから、山で一人で修行しながら暮らしてはいるけど、それですら、からかう人はいるからね。付け込む人もね。

 世の中には、手のない人もいて、足で、いろいろと生きて行く為の事をしている人もいるわけで、そういうのも、足の使い方の努力と要領だよね。

 言ったもん勝ち、やったもん勝ちのろくでもない大陸型人たちは、悪後でしかない自分たちの価値観と業を抱えながら、戦争などの戦いに負けると、彼らの中で被害者意識が強くなって、さらに、その被害者意識がプログラムとして遺伝子に刻み込まれるようになって、余計に、言ったもん勝ちやったもん勝ちのろくでもない大衆になって行ったんだろうね。正義は勝つとかいいながらね。

 そりゃー、戦いに勝って金メダルを取るのは、一人だからね。あとはみんな負けて、「虚無」だよね。反省点が少なければ、被害者意識になるよね。言い方を変えれば、自分が心から持ち続けてた目的に、自分が負けていると言えるのかもね。結局、残る感情は「虚無」だよね。それはつまり、虚無が被害者意識を生んでいるようにも見えるよね。

 むーん、そうなると、とどのつまり、女も成功したいということが根底にはあるんだろうね・・・当たり前か。その成功の形が、どんな形かは知らないけど、刺し向きには、世間一般の女子にとって、幸せ感のあることが一番の成功みたいには思えているんだろうし、それは物質的豊かさも含めてのことだろうしね。

 そうであるのならば、つらつらと考えるのに、幸せに成りたいという目的を、虚無にしないと、誰も、幸せ感に入れないじゃないかな?。目的をも忘れた自分になることが必要になるよね。今の生活に、とりあえずの幸せ感はあったとしても、仕方のないと思うところの虚無もあるんだからね。そりゃー、不満も言いたくはなるわな。

 押しなべて、女の場合は、その不満を作っている相手は、男ということになるよね。自分とは違う「性別」の生き物という事になるよね。不満な自分が悪い、とかは誰も思わないやな。不満なんだからね。

 不満はエネルギー不足から起こっていて、反省は、不満以上のエネルギーがいるからね。反射的に、「なんで私が悪いのよ」になるよね。あとは、今ある不満以上にエネルギーが上がるまで、夫婦喧嘩という言い争いをしているよね。それでも、二人が、別れないでいると愛を感じるのかもね。あはは。

 要するに、今ある不満以上のエネルギーが欲しいんだね。その為に、子供が犠牲になることもあるよね。やけ食いもあるよね。本当は、そんな時に空気体瞑想をすればいいんだけどね。空(くう)のエネルギーで、不満な自分を透明にする方がいいんだけどね。疲れないしね。ただ、不満が固くてすぐには解消しな時もあるよね。

 そうなると、瞑想もしてないような輩は、いいとか悪いとかと言いながら、言ったもん勝ち、やったもん勝ちになるわな。ろくでもない大陸型人が増えるだけだよね。そんなことじゃぁ、女たちも女子力を発揮することが出来なくなって、要領が悪くなって、男と女の作り出す幸せ感にも入れなくなるよね。エセリベラル、エセ左翼、エセ性の自由、それじゃ、幸せ感には入らないんだよね。そりゃー、そうだよね。

 だから、戦後のGHQの欧米的価値観に染められて日本を、元に戻すと言っても、(急がなければいけないけど、)なかなか今すぐには治らないだろうから、江戸時代から戦前に有ったいい意味での要領の良さを研究して、今風の智慧にまで高めた上で、今の人たちの感覚の上に、示せたらいいね。日本の文化を、日本の人たちは学習した方がいいやな。茶道でも、華道でも、書道でも、柔道・剣道でも、作法でも、瞑想でも、能でも、お祭りでも、音楽でも、絵でも、古典でも、なんかあるでしょ。まー、教え方が問題だろうけどね。。。そこだよね。

 とほほ。手を付けるとしたら、教え方から研究しなきゃいけないのかぁ。やれやれだな。 

 

 えーと、突き詰めると、欧米の価値観は、自我と自立だよね。それと、無我と虚無の関係になるのかな。だよね。

 とりあえず、俺の受ける感じとしては、自我と自立は、この世的な自分と物質的だよね。無我と虚無は、自分とこの世を捨てている感じだよね。

 だから、この二つの関係を、どちらが正しいとは言わずに、この二つの位置関係を、教えればいいのかな。そうすると、子供も大人も自分なりに考えるから、その行動パターンが、いい意味で要領よくなるかも知れないね。誤魔化す感じではなくてね。そこへ行き着く可能性があるな。どっちかが正しいなどと言っていると、いい要領に行き着く前に、戦うしかなくなるよね。それは、馬鹿な夫婦の喧嘩と同じになるよね。

 欧米系の大陸型人的思考にある自我と自立は、現実的な物質を基準とした思考でもあるし、特に戦うしかなくなるだろうね。必然だね。負け方は、被害者意識を持つようになるだろうね。そうすると、エセリベラル、エセ左翼、エセジェンダーなどなどに退化?して行くんだろうね。奴らは、まとめようとして、ぐちゃぐちゃがするのが、前提なんだね。

 イラク戦争を見ても、ぐちゃぐちゃだもんね。あははは。ダメじゃん。アングロサクソン人を含めて、大陸型人は、ぐちゃぐちゃになるのが、彼らの行き着く先なんだろうね。混沌しかないんだね。だから、力勝負になって、それで勝とうとするんだね。目的は勝つことで、その結果は、勝っても負けても、虚無なんだね。

 まー、この世で勝つのか、負けるのかと言われれば、勝つしかないやな。だから、どう転んでも、反省するための自虐史観に、大陸型人はならないだろうね。日本人は、悪くもないのに自虐史観で反省出来るんだから、相当に強いエネルギーだよね。

 じゃぁ、勝っても負けても、アホな大陸型人相手にすると、どうせ感じることは虚無なんだから、日本と日本人は、虚無を恐れずに勝たせていただきましょうよね。「侍」だねーー。

 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」←ここまでは、昔の日本に有った言葉だけど、そこから先に付け加えて、現代では、「武士道とは、死ぬこと見つけたり、それすなわち、虚無を恐れず、勝つことなり。ただ虚無を恐れぬことなり」だね。

 GHQのイカサマ教育に汚洗脳された現代人のヒナタよ、女のお前が武士になるのは、大変だけど、全体、こんなところでどうでございましょうかね。

 今日は、現代の日本人にとっての武士道とは、「ギリギリの時に虚無を恐れないで行動していれば、それすなわち勝利に繋がる」、これ新しき武士道なり、の一席でした。

 女子も、幸せ感に入りたければ、心の中の虚無を恐れず、虚無を疑わず、虚無を友達にして、まずは慣れることだね。まー、空気体瞑想をすれば、虚無も怖くなるだろうけどね。虚無を越えた空(くう)や空性へ行くわけだからね。不満もエネルギーの蓄えどころに変るよね。そうして、いい要領の行動(←女子が持っている本当の女子力)が出てくれば、好きな男にいい印象を残せるかもね。恋が実って、幸せ感に入れるかもね。大和なでしこだね。

 ただね、「女子の好き」は当てにならないのが現実だよね。虚無だねーー。自由だねーー。愛だねーー、あはははは。頑張れ、日本男子と大和なでしこ。さて、修法だよ。

  可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。