おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)。

 空気体瞑想のやり方は、文章の終わりごろにあります。それが基本で、全てです。そこだけでも、一読をお願いいたします。いろいろな瞑想もいいですけど、それらの基本は、空と空性(くうとくうせい)行くことです。そこにしか、本当の「救い」はありません。あとは、その方の意識のレベルと器次第です。 

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 ヒナタは、ラジオ英会話を勉強するとか言いながら、そっちのけで遊んでいたので、ビリーが来た時に、英会話が話せなかった。それで、自分の情けなさに、かなり落ち込んでいる。失恋だ。女子は、ホントめんどうくさいね。自分のせい?横着のせい?興味のある事しかしないで、チャンスを逃がしておいて、思うようにならないって言われても、困ったもんだよね。本心はどうなんだろうね。

 錠一郎とるいが、産婦人科から帰って来ると、ヒナタは泣いているし、それを隠しているし、錠一郎とるいが優しく心配すると、おやつの回転焼きを投げつけて、癇癪を起こすもんだから、いつもは優しい錠一郎が、ヒナタを怒った。ヒナタは、飛び出て行った。

 ヒナタが、川沿で落ち込んでいると、るいが迎えに来て慰めている。「暗やみでしか、聞こえない音がある」とかと言いながら、るいはヒナタに近づいて、娘の気持ちを和らげている。ヒナタは、女同士だから、るいに自分の失恋の気持ちや、その原因が自分の三日坊主癖だと話して、なんか、落ち着いたようだ。そして、家に帰って、ヒナタは錠一郎にも謝った。錠一郎は、失恋の事は知らない。ただ、その謝っているヒナタが可愛いだけだ。

 あーぁ~、だね。これで、女子は、男を甘く見るように成るんだろうね。現実はこういう事かぁ。なるほねーー。うわに説教をする話でもないしね。父親としては、ここはいい子いい子で許すところだよね。

 だから、ヒナタという女子としては、錠一郎が男性であって、女子と女の中に無理無理に納めている自分の気持ちも分からない者だし、聴こうともしないし者だし、いや、聴く前に勘づことも出来ない者だし、「それは、私を解ってなくて否定していることだし、そりゃー、悪いのは自分だけど、、、それじゃ、反省も懺悔の言葉も、私からは出てこないし。賢くていい子に成れないじゃないかぁ。どうして、私は、こんなんだよぉーー、うぇーーーん」というヒナタサイドの気持ちでいっぱいいっぱいなんだろうね。だからーー、それを優しさで覆い隠すんじゃなくて分かってよ、と言うような気分なんだろうね。でも、るいに慰められて、ヒナタの心が埋まって、自分をそれなりに認めることが出来て、しよらしく、しよしよと謝ることが出来ると、錠一郎という男を通して「男は女子を許すもの」という奇麗な愛をヒナタは経験してしまったことになるんだね。あはは。いい事だけどね。

 しかしそれで、全体、女子は、男というものを感覚的に知って、たいして分かってないくせに、上手く対応が出来ないくせに、女子がまともに成ったり、謝ったりすると、全部が分からなくても、男は、女子と女を許るす生きものだ、と学習してしまうんだね。もちろん、その時、男は分かり合ったつもりなんだろうね。溝は深いね。

 女子にしてみれば、今回、上手く行かなかったのは、私のせいだけど、そこのやるせない?取り返しがつかない?みじめな?、などなどの気持ちに、優しく愛を注がれるとヒステリックになってしまうような気持ちがあって、そのジレンマが解らないないのは、男がダメで、男のせいという事になるんだろうね。気分はね。言わないけどね。

 ヒステリックや癇癪にもいろいろあるのだろうけど、とどのつまりは、自分で自分を否定したくないんだろうね。いや、自分で自分をどこかで否定るしているところがあって、だから、自分で自分を好きになりたいんだろうね。でも、思うようにいかないんだね。だから優しくされてもね、、困るんだよね、、、になるんだろうね。まー、女子をやっているのも、大変だね。

 女子の気持ちは、女子にしか分からないという事で、るいがヒナタを迎えに行ったんだね。『いいのよ、それで』という気持ちを持って迎えに行ったんだね。るいはヒナタへ「お主、おんなだな。しかし、傷は浅いぞ」という事も伝えたんだね。。。はぁ~~~。あはは。

 まーね、女子の心は、自分の「恋」を誰かにどこかで分って欲しいという事なんだろうね。そして、その失恋もね。

 そう考えると、男の思考パターンの仕組みによって、仮にこの現状の分析をするならば、、、ヒナタはビリーへの恋が届かないものだと、女の勘としてどこかで感じていて、それゆえに、ラジオ英会話もしなくなり、ザリガニをとって遊んでいたんだね。自分の恋心を誤魔化すというか、届かぬ恋をしている自分を、他の男子とザリガニを取りながらはしゃいで楽しむことによって、ヒナタは気を紛らわせながら、自分を慰めていたんだね。女子の行動は複雑だ。いずれにしても、とりあえず、一件落着かなぁ。

 

 あくる日になって、るいが店に居ると、新規のお客さんが来た。その男はモモケンだ。ヒナタがモモケンに気づいた。モモケンは、サイン会の時にヒナタがくれた回転焼きが美味しかったので、差し入れの為に100個ほど注文してくれた。がしかし、喜んだるいは、産気づいてしまった。モモケンの車で産婦人科に運ばれて、出産だ。人助けの武士、モモケンこと、キミノジョウ参上だな。

 なんかさー、女子や女にとって、女の心の分からない男が、役に立つ時というのは、こういう女の肉体的ピンチの時だけだよね。つまり、突き詰めると、女にとっての男の最後の価値は、女が肉体的なピンチの時に、助かる道を開くことができるかどうかなんだろうね。金も物も地位もその一旦なんだろうね。それが、「この男は頼りになる」と女が感じる、最後の砦なんだろうね。たとえそれが、生活の中での日常の細かな事でもね。女子は「電球交換をしてくれて、嬉しい」とかと言っているもんね。その砦があれば、とりあえずは文句を言いながらでも、女子と女は、不安を感じずに落ち着いて男と生きているんだろうね。

 まー、極端な話が、戦争とかがあったとして、女子と女にしてみれば、正義の為か、私と家族を守る為か、国を守るためかは知らないけど、なんでもいいから「男は、その戦いで、ちゃんと戦って勝って来い。あんたが私の最後の砦なんだよ」ということになるのかもね。

 だから、モモケンの演じるキミノジョウは、悪を撃って、戦っているんでございますね。で、女子はそれをカッコイイと思のでございますね。その女子を、キミノジョウ様が少しでも認めてくれたら、その女子は優しいと思うのでございましょね。さらに、女子と女が肉体的?物質的?なピンチの時、助けてくれたらジンときちゃうし、その男がいい人なら、『胸キュン』だし、恩義に感じるかも知れないやな。二枚目でいい男ならね。あーぁ~、女の人生って、大変だね。

 男は、正義の為に戦って死ねばいいだけだから、簡単だけどね。あはははは。でも、女子と女には男に「死ななないで」とかと言うんだろうね。でも、それじゃぁ、男が立たないやな。面倒くさいけど、アホな敵を相手に、男は勝つしかないんだろうね。そういことですかぁ。

 これって、全体、仕組みとして、どこの何が悪いの?。男が悪いの?女が悪いの?、なんなのかなぁ。面白いけどね。

 鬼滅の刃の「楼閣編」なんて、まさにそれだよね。楼閣での女郎とか花魁とか、それを買う客も含めて、全体、そこから先は「死」と「不信」しかないという、最後の砦の場面での生業と戦いだよね。しかも、醜い悪鬼にもタンジロウにも妹がいるし、柱にも女房が居るしね。ただ、動物のイノスケと善性だけど寝ているゼンイツだけは、訳もなく戦っているね。あはははは。

 この「楼閣編」本当によく出来ているよね。もっともっと、大人の表現や言葉や迷いや純粋をたくさん入れたセリフや場面にしたら、相当に凄いものになると思うけどね。4時間でも見ることが出来るね。こりゃー、これからのアニメ界は、侮れないなぁ。生死をかけた、大人の迷いと純粋だ。一途も絡んで、エロも入って、グロな戦いになるのかもね。もう、頼るのは、善なる神様だけだね。

 まーね、聖書に出てくる奴らは、主なる神様以外は、ロクでもない奴ばかりだからね。あははは。今でもあり得る現実だな。

 だけど、日本神道は、そのようなロクでもない現実の上に、善性が有るんだよね。寝ているゼンイツの雷の呼吸一の型・霹靂一閃みたいな、何かがあるんだよね。

 俺が思うに、この善性は、日本人の親切遺伝子とその意識に繋がっている感じがするね。日本人は、神様によって遺伝子が突然変異をしたのかもね。親切遺伝子は純正日本人しか持ってないようだからね。

 神道で神主さんが御幣を振るけど、あの御幣の形は、稲妻の形だからね。雷だね。神様の意識の稲妻だよね。つまり、善性だよね。

 植物でも品種改良をする時に、紫外線を当てたり、電気で人工的な雷を起こしたりして、遺伝子に突然変異を起こそうとしたりしているよね。今は遺伝子そのものを操作しているけどね。純正日本人は、神様の雷に打たれて、突然変異して、善性の親切遺伝子を持った人類なのかもね。日本人を大切にすることだね。

 そういえば、聖書のパウロは、もともとセウロという名前で、イエスキリストの信者を激しく迫害していたユダヤ教徒だったんだよね。だけど、ある時、天からの光と共にイエスキリストの声を聴いて、イエスキリストの信者へと改心したんだよね。神様の霹靂一閃で、セウロの遺伝子が変化して、意識が変わったんだろうね。サウロ(パウロ)は、それから目が見えなくなっていたけど、イエスキリストの信者であるアナニアという人が祈ると、目からうろこが落ちて見えるようになった、と聖書には書いてあるね。アナニアは親切な人だね。自分たちを迫害した人を助けたんだからね。そこかぁ。

 つまり、言ったもん勝ちやったもん勝ちの性悪説のろくでもない大陸型人やエセユダヤ人は、容赦なく真っ暗闇に落とされるんだね。落とした方がいいんだね。ある日突然にね。

 その後、善き人の親切な祈りがあるかどうかで、落とされた人が、改心するかどうかが決まるんだね。

 だから、錠一郎は、ヒナタをちゃんと𠮟って真っ暗闇に落としたんだね。で、るいの親切なる母親の祈りで、ヒナタは心を開らくことになって、改心したんだね。まー、問題が小さな内に、改心してくれて良かったよね。あれやこれやで、青春になったヒナタがグレて不良になってからだと、面倒くさいし、手が付けられなくなるからね。ヒナタはイノスケ的性格の猪突猛進だからね。

 一般的には、6歳から10歳前後の子供で、その傷の小さい内に改心のチャンスがあると、いいのかもね。まー、だいたいの親は、不良の症状が激しくなるまで、ぼーっとして気づいてないことが多いいんだろうけどね。

 ろくでもない大陸型人は大人だけど、そ奴らにとって、「暗やみの中でしか聞こえない音」というのは、親切遺伝子の波動だったんだね。でも、その暗闇に薄明りでもあると、ロクでもない大陸型人は、その親切に取りついて、さらに親切に付け込むんだろうね。奴らが真っ暗闇だと思うところまで、とことん追いつめなきゃいけないんだね。面倒くさいね。まっ、そうなるだろうけどね。

 地球上には、このろくでもない大陸型人が圧倒的に多いいから、大変な作業だね。奴らは自作自演もしているしね。アングロサクソン人もユーラシア大陸人も、エセユダヤも、その手の口だろうね。じゃぁ、奴らはとことん、暗やみに行くことになるのかな。夜明け前が一番暗いということでございましょうかね。

 今日は、善性の純正日本人を敗戦後にとことんいたぶって日本潰しをしていた、そのろくでもない大陸型人たちよ、お前らに対しては、善性・雷の呼吸・第一の型・霹靂一閃が放たれるよ。自業自得の真っ暗闇へ行け、の一席でした。楽しみだね。さて、今日は寝坊して朝の行が出来なかったから、これからだよ。その後、修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。