おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 るいの子供は、すくすく成長して、もう10歳ぐらいになっている。名前は、ヒナタと言うらしい。女の子だけど、チャンバラが好きなんだね。テレビ映画のキミノジョウと錠一郎のせいだな。宿題は嫌いなようだ。るいと錠一郎は、離婚をしていない。

 錠一郎は、ばりばりの紐亭主?だな。長髪だ。あの頃は流行っていたんだろうね。ビートルズのせいだな。ヒッピー錠一郎は、音楽を忘れていない感じだな。

 今の若者は、あの時代のピッピーを知っているかなぁ?。若者の特徴としてでもあるが、自由を求めて、自分らの価値観というか、自分らのルールを作りたいという感じだったよね。ベトナム戦争とかの影響で、ヒッピーもそういう平和と愛と自由が欲しくて、デタラメな感じになってしまった若者たちなんだね。全部、エセだよね。今の現実や社会が、もどかしいか、嫌だから、変えたいとかと思うんだろうね。分かるけど、ヒッピーが自覚をしていないだろうその行動の意図するところは、親と社会からの自立だろうね。とどのつまりは、自我の形成なのかなぁ。自我の忘却なのかなぁ。そんなところだね。アメリカのピッピーも日本の竹の子族もそんな感じかもね。

 言ってしまえば、自立して、自分らの世界を作りたいんだね。そこが上手く出来ないんだけどね。

 そう考えると、「家族」という縁のある集まりも、自分らの世界を作りたいという一つの人生の物語かもね。親知らずの錠一郎とるいは、そのまんま、それだよね。残るところは、世間との付き合い方を考えることで、それは、自分に悪気があるか無いか、自分から親切にするかかどうか、だけだよね。るいは、そういう事に関しては上手だよね。キジマ家のお手伝いさんのユキエが、上手く仕込んだんだろうね。安子はるいに、「商売」というものを後ろ姿で上手く仕込んでいるしね。親の出来は、子供の出来だな。子供は、親の意識範囲の中だね。

 だから、子供が親の上へ行こうとすると、どこかで自由を求めて、自分の世界感を作ろうとするんだろうね。いずれにしても、品のある作法だけは、身に付けておいた方がいいよね。うるさい感じの作法でなくていいからね。

 あれだね、今風の若者の言葉遣いとかというのも、あいつらが自由と自分らの世界感を求めていると思えば、よく理解できるよね。つまり、その意図は親を越えたいんだね。へーーーっ。そこだけは、ちゃんと育っているんだね。あはははは。そういう事かぁ、だね。

 じゃぁ、親も子供も、子育ての中で、1,自由と自分らの世界感を作りたいかも、という自覚があるか無いかを知る、2,親を越えるような成長をしたい気分があるか無いかを知る、3、自分に悪気があるか無いかを知る、4,自分と何かへの親切と感謝の気持ちや気分があるか無いかを知る、5,そこそこ美しいと感じられる品のある動き(行儀・躾・挨拶)が出来る出来ないかを知る、そんなことだけは、教えておいた方がいいのかもね。たいした数じゃないやな。しかも、時を置いて2・3回ほど教えれば、あとは本人次第だよね。楽だね。

 まー、どんな世界感でもそこに人間がいる以上は、これらの5項目は生きて行く上では、何かと通用するからね。あった方がいいやな。言ってしまえば、俗に言う、道徳だよね。俗だけどね。霊的進化の道という意味での道徳ではないけど、これらの事をすれば、子供が大人になるにつれて、この世間を生きやすくなるのかもね。ただ、子供同士の世界では、親のカルマのしわ寄せとかもあって、また別な話がかぶさって来るから、現状はややこしやな。それでも生きていれば、明日はあるのだから、生きて行くしかないやな。

 まー、親のカルマを越えたいというのが、子供が親を越えたいという本当のところの、見えない意図かも知れないしね。全体、それが「自立」いう姿の、本当のところかも知れないしね。

 あえて、これらを自然の法則的に言うと、子供から大人になって、この世の肉身の縁からも自由になって、本当の自立をするという事になるのには、60歳ぐらいまでかかりますよ、還暦までかかりますよ、という感じかもね。

 その理由をこじつけてみたいに説明してみると、寿命遺伝子は、正常な生活をしていれば、一応は120歳まで生きられるみたいなんだよね。だから、その半分の60歳を過ぎれば、死というゲートが見え隠れするような自立と自立した精神が、本当の意味で、その人に出て来るんじゃないかな。60歳を過ぎれば、その人の親はだいたい死んでいるし、少しは自分の死に姿を考えるのが、普通でしょ。あははは。

 ただねー、120歳までピンピンと生きるのは、今の普通の生活をしていたんじゃぁ、無理だろうけどね。世の中はどろどろだから、自分の業を寿命で払うことが多くなっているようだよね。

 そういう事情から、自由と自分らの世界感と、そこをそこそこに生きるための品や躾などのコツをみにつけることが、今の人間にも必要になって来るんだろうね。生きて行く上で、世界感がそれぞれにあるから、コンタクトの取れた感じ、それが必要だよね。俺はどうせ孤独だから、コンタクトをしても、ほとんど通じなし、、、まー、そんなことは、どうでもいいけどね。あははは。

 

 ヒナタは、一子の子供のイッちゃんと女子同士で、仲がいい。よろずや?の吉右衛門は、蕎麦屋のおねえちゃんと結婚したみたいだ。もう男の子もいる。

 るいの家は、家族団欒でご飯をたべているみたいだ。

しかし、NHKは、ご飯の上におかずを乗せるという、朝鮮食いをわざと勧めている感じだね。錠一郎は孤児だから、そういう食べ方を子供に教えても、仕方がないよなぁ~。行儀の悪い食い方だと感じるね。だけど、こういうところに半島を挟むんだね。ホント、NHKは日本潰しをするから、NHKを潰した方がいいと感じるね。NHK自体の行儀が変に悪いや。ドラマとしては、必要な演出かも知れないけどね。「駄目よ、ご飯に乗せちゃ」と言うるいの一言が欲しかったな。朝ドラで日本落としだな。困ったもんだ。いつもの朝ドラは、ご飯の食べ方が、とても奇麗なのにね。

 そう言えば、今頃は、箸の持ち方も茶碗の持ち方も、子供に教えてやれない親が多いいよね。忙しいんだろうね。教えた子供が出る出来ないは別として、1回か2回は教えてやらないといけないよね。学校の給食の食器が、茶碗より持ちにくいのが問題だよね。困ったもんだね。何かの工夫が出来ないのかな。食器の下に、ニの字の凸凹を付けられないかなぁ。いい感じで持ちやすいと思うけどね。文部省は考えた方がいいよね。行儀と躾けについては、一度・二度でいいから子供たちに教えて、子供たちは知識として知っておいた方がいいやな。厳しくしなくてもいいからゆるい感じで、日本人の作法を授業で教えた方がいいやな。世の中には、親が親の人格をしていない、というのが居るから、学校での生活指導も大変だけど、何とかならないかなぁ。先生も先生の人格をしていないというのが居るしね。やれやれだよね。

 戦後にアメリカナイズされて、そこに半島や中国人の価値観が入って、日本人の人格は、ロクでもないことになり始めているよね。まともで真面目な人が損をしているよね。

 そういう風に見ると、詳しくはなくていいから、小学校の6年間の間で、1・2時間ほど、丁度いい時期(10歳以下)の時に、口やかましく言わないようにして、美しく見える作法と行儀を、本人の為になるように、教えて上げたらいいと思うな。品が出るからね。

 最近は、デパートやテレビでも、朝鮮式の礼の仕方をしているけど、変だよね。あのお腹のところで手を組むんで肘を張る礼の仕方は、感じが、どうもいけないわな。礼は服従じゃないんだよね。品のある挨拶なんだからね。半島人も、その服従とツッパリの生き方をやめて、そうでな生き方を身に付けないと、やがて人格が破綻するよ。DVとかが多くなるよ。って、もうしているけどね。あははは。服従とツッパリの生き方は、苦しいだろ。お腹を押さえて肘を張る礼の仕方も、心に負担が大きいんじゃないかな。頭は下げていても、肘を張って主張している姿だからね。そうすると、嘘も誤魔化しも大げさで多くなるでしょ。しんどいでしょ。まー、もう、信用が無くて手遅れかも知れないけど、あの礼の仕方はやめた方がいいいね。中国人も同じだね。

 欧米人は、胸を張って握手をするけど、罪のつぐないを自分からするのが先だよね。だって、キリスト教は「人は罪人」という感じで、人間という生き物のストーリー展開をしていて、それが人生だとしている世界感だからね。実際、そうでもあるけどね。教えでは、重い十字架を背負っているんだよね。洗礼をして、それをキリスト様に浄化してもらっているんだよね。キリスト様に頭を下げるんでしょ。感謝もするんでしょ。しないの?。すれば、それは、キッチリとした、礼でしょう。だから、人間でしょ、人格でしょ。日本人も人間ですよ。キッチリとした礼をしているでしょ。神様の前でもね。二礼二拍手を作法としてしますからね。同じでしょ。それとも、白人は神様だとでも言うんでしょうかね。重い十字架を背負っているのにね。それを、キリストさんに浄化してもらっているくせにね。キリスト様からの自立も出来てないんじゃないのかなぁ。あははは。

 

そんな中でも、ヒナタは、親切な子に育っているようだ。家に近くで、夕立に会い困っている同級生の女子に、自分の傘を貸している。

 ヒナタは夏休みだから、天神様のお祭りに行ったり、終戦の日の黙祷をしたり、花火をしたりしている。日本の花火は、線香花火なんだね。中国の花火は、爆竹だよね。ホント、感覚が違うよね。でも、冷静に見ると、8月15日のお盆の時に、終戦日というのも面白いね。言い方は悪いけど、供養するにはタイミングがいいよね。不思議だね。俺は、昔からそう思っているんだよね

 夏休みもそろそろ終わりに近づいて、ヒナタの宿題は、何も済んでいないようだ。ドリルがの答えの欄が、真っ白だ。錠一郎も人生の宿題の答えが、未だに真っ白だな。あははは。

 今日は、作法とか品とか躾とか、そのコツとかは、将来において、役に立つ感じのもだから、その為に、少しだけ、今、学習するんですね、の一席でした。子供に教える場合は、善い悪いという価値観的な感じではなくて、未来のある?未来を想定した教え方が必要ですね。注意を払うとこですね。

 文部科科学省は、そこを教えるための意図として、考えられた方がいいですね。教科書の内容も指導要領もね。これからの日本に居る子供の未来に向けて、大幅な変更を期待します。頑張れ、日本。やらないと、お前らお偉いさんでも、心臓が痛くなるよ。健康で過ごしたいんだよね。じゃぁ、心が痛まないようにしないといけないので、ございましょうね。もし、痛む心がないのなら、苦しんで消滅して下さいね。合掌。あはははは。さて、修法だよ。

 今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りし