おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 るいは、錠と京都に住むことになったみたいだ。クリーニング店も引っ越すようだ。店の夫婦は、暖かく送り出してくれている。錠とるいは、婚姻届けを出した。

 京都に着いたるいと錠は、ベリーの家に寄っている。べりーは、お茶の先生の娘で、茶道をやっているようだ。一子というのが本名だ。ベリーは仮の姿らしい。るいは、お茶をたたてもらった。るいたちが持っているお金は、生活費で言うと3か月分ぐらいしかないようだ。

 一子の家を出た二人は、川沿いの公園のベンチに座って、これからの事を話している。るいは、唐突に、天神祭りで見た回転焼き屋をやろうかと思うと言った。そうすれば、母親が、なんで私を捨てたのかが分かるようになるかも知れないと、考えたみたいだ。錠は、やってみようと言った。

 回転焼きというのは、今川焼饅頭の事なんだね。るいたちは、手ごろな物件を借りて、店の準備を始めた。勇気があるね。ホント。

 俺みたいな百姓出身は、商売に関しては全くダメだな。やがて時が経てば、その内に実がなると思っているからね。のんびりだよね。安子も凄い商売人だったけど、るいもそうかもね。ここ一番の判断が早い。やっぱり、百姓と商売人は、思考回路がぜんぜん違うんだね。遺伝子と思考回路については、もう少し研究して、自分がどの職業に付いたらいいかを調べた方がいいね。

 るいは母親の安子と同じようにして、小豆を煮ている。そして、初めて焼いた饅頭は、美味しく出来たみたいだ。店の名前は、「大月」にした。饅頭がお月様みたいだからだそうだ。

 るいは、小豆を煮るたびに、母親の安子の事をよく思い出すようになっていた。でも、安子との思い出については、ほとんどが苦しくてもいい事ばかりだからね。最後のところだけ、捨てられたと思ったんだからね。そうなったのは、安子の溜めた金を三太郎が持ち逃げしたせいで、あの時、何もかもが一挙に壊れたよね。安子が和菓子屋のたちばなを再興するために蓄えたお金だったのにね。安子とるいが、仲良く暮らせるはずだったのにね。

 だけど、廻り廻って結局、るいが店を持つことになったんだね。るいは、安子のやり方で小豆を煮ている。

 しかし、錠は、日野照正じゃないだね。なんだぁ。まっ、オリジナルの脚本だからね。今日は書くことがないな。というか、俺は、軽い二日酔いかな?意欲が薄いね。眠いしね。今朝、4時ごろ目が覚めた時に、こりゃー、一日中、寝てないとダメかなぁー、とか思ったんだよね。なんか意欲の問題なんだよね。全体に重かったけどね。これは何なんだろうね。たぶん、肉体という物質は、食欲などの欲望は有っても、意欲は無いんだね。今日の俺の問題はその辺のような気がするな。

 俺は、絶望して落ち込んで、グダグダしている時は多かったし、何もする気がしない時も多かったけど、意欲が無い時はあんまりなかったような気がするんだよね。切羽詰まってやってる感じもあったしね。意欲が薄れているというのは、初めてだな。「まっいいや、どうでも」とかとは言ってはいるけど、つまらない事象に下手に絡むとエネルギーがいるだけだから、諦め的に言っているんだよね。でも、今日は意欲が無い感じだな。面倒くさいのとも違うな。気力はあると思うんだけどね。気力が有っても、意欲が無いんだね。意欲が透明になったのかな。いやいや、透明からのエネルギーは勝手に流れるからね。勝手に動くからね。いったいどうしたんだろうね。まっ、とりあえず物質や肉体に欲望は有っても、意欲がない事だけは自覚しました。あはははは。腹が減るまで待つしかないやな。で、腹が減ったという肉体からの要求で、何を知るつもりなのかね。たぶん、それは分かり切っていることだよね。

 じゃぁ、世の中では、何かが起きているのかなぁ。もしかして、意欲のない戦争でも、だらだらとするつもりなのかなぁ?。そりゃー、戦争商売人にとっては、そういうのが一番、儲かるよね。むかし、ヨーロッパでは、100年戦争とかがあったよね。あれかぁ。

 ところで、錠一郎は、トランペットを吹く意欲は無くなったのかね。今は、るいにおんぶにだっこだけどね。まっ、錠一郎は病気なんだからね。子供に帰ったんだよね。るいも、幼い時の思い出を引き出しながら、子供の時に帰っているんだよね。錠とるいは、二人で、自分を幼い時から育て直している感じだね。実際は大人だから、そんなに時間はかからないと思うけどね。二人は、自分のインナーチャイルドを育て直しているんだね。上手く育て直せたら、気力は、今以上に出てくるよね。それは、日の当たる道に近づいていることだよね。その内、錠一郎のトランペットへの意欲も出て来るわな。

 

 ヨーロッパがおかしくなったのは、あの100年戦争という、全体、意欲のなくなった戦争をだらだらとやったからかもね。最後は、戦果をあげたジャンヌダルクを裏切りって、火あぶりにして処刑したんだよね。ヨーロッパというか、アングロサクソン人って、本当に無茶苦茶だよね。あはははは。大真面目に無茶苦茶だよね。手の平返しの裏切りとずる賢さしかないもんね。なるほどね、意欲の減退は、だらだらとした後の無茶苦茶から起きているんだね。

 だから、もしかしたら、今朝、俺が感じた意欲の減退は、世の中に無茶苦茶が起き始めているという事かな?。確かにそんな感じの犯罪は多くなっているよね。世の中に、変化の為の限界点状態が来ているのかな。いい意味での言い方をすると、水だったお湯が沸騰している感じかな。水の分子(人)からしてみれば、水蒸気(大衆)は自由だけどデタラメに動いている感じだろうね。

 これはーー、世の中に対するエントロピーの計算しておいた方がいいかもね。そんなことが出来るのかねぇ??。あはは。

 だから、ごく簡単に物質で例えると、摩擦で熱が上がつているという感じだね。そういう感じの世の中になって来ているんだね。ストレスや摩擦で、世の中の一人一人の熱が上がって、大真面目に無茶苦茶になって来てる感じだね。摩擦を抑えるための潤滑油であるお金が無いか、効かないのかもね。金余りなのにね。世界的にも今の世の中、そのまんまだな。だから、金じゃぁ、世の中の潤滑油にならなかったという事だね。欲望の穴埋めには成りかけたけどね。

 そうなると、気力があるのに意欲の減退?いや、意欲の混乱が起こるときというのは、自分とか世の中の次元が、上に変わっていく時なんだね。気力を落とすと、下に行きそうだね。

 錠とるいも、自殺未遂の混乱の果てに、小豆を煮てアンコを作りながらインナーチャイルドを正常に育て直していて、変化の時期だから、二人の気力さえ落ちなければ、いい方向に行くかもね。本当は、結構、熱々の時期なんだろうね。新婚だしね。

 という事は、今の世の中は、摩擦とストレスで、熱々なんだね。新婚でもないのにね。あらら。疲れるね。

 いずれにしても、問題は気力の量だね。気力って、空や空性(くうやくうせい)からの生命エネルギーの流れだからね。空気体瞑想をしてくれたら、気力も少しづつ増えるけどね。まー、アホに、やってくれと頼む筋合いなものでもないけど、御奇特な方がいて、自分と世の中に気力を増やそうと思われて、空気体瞑想をされれば、かなり効果的だよね。

 100年戦争の終わりに出てきたジャンヌダルクは、兵隊の気力だったんだね。ジャンヌダルクには、神様のお告げがあったようだけど、全体、そういう事か。キリストさんも殺されたけど、ヨーロッパ人というか、アングロサクソンは、神の預言者を、必ず殺すんだね。殺した後に生き返られるとっ困るから、火あぶりにして肉体をも焼いてしまうんだね。無茶苦茶な連中だね。

 押しなべて、世の中が摩擦とストレスで変な熱を持った時に、意欲がなくなり、肉体という物質の欲望のままに、滅茶苦茶をして生き伸びようとするのが、ヨーロッパ人とアングロサクソン人なんだろうね。言ったもん勝ちやったもん勝ちのろくでもない大陸型人だね。

 ところで、西洋の物質的医学と東洋の気の医学の違いを見てみると、西洋に意欲的というのは有っても、気力という感覚は無いんだろうね。西洋医学には、物質的な法則みたいなものがあるだけなんだね。

 気力が分からないという事は、言葉で伝えるしかないんだろうね。それで、神の言葉を伝える預言者という存在が居るんだね。いつも、ひどい目に会っているけどね。それに、聖書とかは、神との契約だと言っているんだね。言葉の契約なんだね。だけどその割には、言葉の中身をよく理解できてないやな。言葉の中身に「気」の要素があるんだけど、そこが分からないんだろうね。「気」が分れば、「気」は、空からの生命エネルギー方面へ現われでもあるから、聖書で言うところの「永遠の命」についても、感覚的に解るかも知れないのにね。物質と金と言葉しか分からない人間には、永遠の命は、分からないやな。

 キリスト教は神の言葉の宗教なんだね。創世記があるから神のお告げだけではないけど、新約聖書が書いてあるように、「初めに言葉ありき」なんだね。日本神道に教義はないからね。祝詞の中に、分かっている人が見れば、一応の説明がされている時もあるけど、神の気力の宗教だよね。日本神道は、感じて分かるか分からないか、だけだよね。

 こりゃー、アングロサクソン人とか大陸型人とかの西洋や大陸は、この変化の時に、気力が分からないのだから、大変だなぁ。日本人には、神道もあるし、それに加えて空気体瞑想をして気力を保って欲しいものでございますね。

 今日は、なんだか知らないけど、世の中はストレスと摩擦で悪い熱量が増えていて、意欲が減退しているようなので、祝詞を唱えるとか、お経を上げるとか、空気体瞑想や他の瞑想をするとかして、気力を保つように心がけましょう、の一席でした。さて、修法だよ。瞑想もするかもね。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。