おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 ジョーのデビューコンサートが、延期になったようだ。るいは心配して、ジョーに手紙を書いたけど、返事が来ない。しかし、あの書き方の手紙だと、ジョーの現状を聞き出すのじゃなくて、「私は、信じて待ってます」という、責任だけを男に押し付けている感じだね。るいも、そこはよくいる女子だったね。重荷を背負って壁にぶち当たっている男にとって、そういう女子は、さらに重荷を背負わせているんだけど、女子はそのことに気づいていいないやな。女子自身の側では、自分では信じて、心配をしているんだからね。感じているのは愛感なんだね。困ったもんだ。

 東京のジョーは、トランペットを吹く時だけ、どうも唇が思うように動かなくなるようだ。医者は、疲れだと診断したらしい。ジョーは、自分でもどうなっているか分からないようだ。

 霊的に言ってしまえば、ジョーとるいの唯一の縁である曲、そこをダメにして、ナナが、ジョーとるいの縁を切っている感じだね。あらら、女は狙いを定めると怖いね。見えないところだからね。

 ジョーが、るいに返事を書かないことを知ったナナは、ジョーに連絡を取るように言った。しかし、ジョーは上手く連絡が取れないようだ。ジョーはナナの手のひらに乗せられているね。大阪のジャズ喫茶では、みんなが心配している。

 いろいろあって、病気が治らないジョーは、東京に帰ることになった。社長は厳しい。

 夜の大坂に着いたジョーは、ジャズ喫茶を訪ねた。店主は、ジョーの疲れと苦悩の顔をみるなり、とりあえず寝ろと言った。

 一晩経った朝早く、ジャズ喫茶の前で、ジョーとるいは、ばったり出くわした。るいが声をかけたら、ジョーは事情について口ごもっている。そこへ、東京から事情を説明しようと追っかけて来たナナが、出たぁ。。。ジョーはナナを、ジャズ喫茶の中へ入るよに促した。

るいはジョーに、

「変な噂があって」と言い、、、「私は噂を信じていません。ジョーを信じているけど、ジョーは社長のお嬢さんと付き合っているんですか?」と、直球で聞いた。るいはジョーとの縁を信じているから、そういう時の女子はずばっと聞くんだね。ジョーは、迷わずに、

「本当のことだ。・・ナナの事を好きになった。お前とは終わりだ」とかと言った。るいは、何も言えずに、その場を後にした。『また、裏切られた』という感じだろうね。失恋のショックというよりは、この人生への不安が、ひしひしと覆いかぶさっているだけだな。実際、ジョーもそういう感じだろうけどね。

 これがトミーなら、ベリーにしたように、もう少し上手く伝えられるだろうけどね。ジョーは、るいに嫌われる方を選んだのかもね。ジョーよ、薄いね。るいのナナに対する反撃は、これからだよ。あはは。

 結果が欲しいなら途中があるんだけど、これがねー、浮浪児のジョーと捨て子のるいのいるところは、生きるか死ぬかの捨て鉢で、そこの乱れを押さえながら生きている人生だから、ジョーとるいは、途中が上手く伝えられないんだよね。だから、結果が上手く出ないんだよね。苦しいのは俺だけ、私だけでいいと思ってしまうんだろうね。十分に耐えて考えた後の、「考えてもしょうがない」だからね。相手を闇に引きずり込みたくはないやな。日の当たる道が見えたから、「一緒に歩こう」と言ったんだからね。

 るいが、手紙を書いたときに、「どうしたの?なにがあったの?」と事情を聞けば良かったんだけど、女子は、だいたいにおいて、私は信じている(味方よ)って、やっちゃうよね。あとは、頑張ればいいじゃん、とかと言うんだよね。

 ジョーよ、あのね、あのね、男の行き詰まりの辛さは、どの女子にも(縁のある感じの女子にも)、分からないみたいだよ。いや、何かがあって不安だという事だけは、女子自身にも分かるから、自分が安心する方の考えや言葉を、男に伝えるのかもね。だって、その男の味方なんだから、男への励ましのつもりで伝えてしまうのかもね。男は答えようがないやな。「じゃぁ、頑張る」とは思えないやな。しかも、女子は、アタシも一緒に頑張っていると思っているんだろうからね。ここは、男と女にとって、気持ちも縁が有るにもかかわらず、いつも通じなところだよね。恋に冷めるところだよね。「運命の人に出会いたい。ソウルメイトに出会いたい」そういう事になるわな。あははは。

 プロダクションの社長も、音楽家というか、演奏かに対する気遣いが足りないよね。演奏する曲は見えても、演奏者の人間の全体像が見えてないから、演奏者や歌手が繊細であればあるほど、いい曲も出て来るけど、一つ間違えると、人間が壊れちゃうよね。それか、彼らはまず、孤独から薬物に行くか、になるだろうね。だから、真面目な芸能人だったのに、薬物に引っかかりやすいのかもね。??。

 まー、プロダクションの社長って、実業の経営者だからね。「演奏者や歌手の、人間像全体なんかは見ていられないよ、子供じゃないんだから」というのが本音だろうね。まっ、怠慢だね。

 実業で扱っている商品が、「芸術」もどきだからそれを金に換えているという自覚が必要だね。つまり、芸術なら「永遠の命」もどきを金に換えているわけだし、アイドルなら、「愛や愛感」もどきを金に換えて、経営に変えているんだから、そこの自覚が社長に無いといけないやな。自分の子供を売っているのと同じレベルだからね。そうしないと、演奏家も歌手も、そのファンも客も、食い物にすることになるからね。人食いだね。子食いだね。鬼だね。ヤクザだね。薬物だね。そこにパパラッチのマスゴミが金を目当てにタカルんだね。便所蠅だね。

 まっ、プロダクションの社長というのが、ヤクザな商売だから、宣伝とハッタリしかないやな。ひと世代前の芸能人の現状、そのまんまだね。今は、ツイキャスとかがあるから、新しい芸能人像が出来ている感じはあるけどね。

 そう言えば、お笑いタレントが面白いことも言わずに、ただ、普通に?ご飯を食べているだけのYouTube、その画像に、アクセス数が多いいらしいね。でも、たいたいのYouTubeはそうらしいんだよね。そのタレントによる話なんだけどね。これは、何なんだろうね、??。

 まー、なんか面倒くさくて、俺はそいうのもほとんど見ていないのが実情な訳で、良くは分からないけど、脳内物質という意味では、坦々と何かをやっているという事だから、セロトニン系だよね。アドレナリンやドーパミン系じゃないよね。観る人も疲れているのかもね。

 視聴者は、意識範囲の広いセロトニン系の人が見たくて、その静かななんてことはない番組を観ることによって、見る人の脳内にセロトニンが出るのかもね。だから、見る人は、静かな正常を求めているのかもね。

 太川陽介の「路線バスの旅」という番組の視聴率も高いらしいんだけど、どちらかと言うとセロトニン系の番組だよね。そして、最後に少しだけドーパミン系だね。視聴者は、番組に振り回されるのに疲れて、正常を求めている感じがするんだけど、その正常が、通り一辺倒の安い価値観や感情じゃダメなんだよね。だから、結論として、アドレナリンやドーパミンじゃなくて、セロトニン系の深さが、見たいところなんだろうね。全体、うるさい漫才が面白くないというのは、そういうところなんだろうね。全体的に、大きことから小さい事まで、「うっせい、うっせい、うっせいわー」の、「もう、世の中、気分がうっせいわー」の時代なんだろうね。

 その状況で、コロナやなんやかんやで、営業開始とか、株とか、仕事とかの何かを、犬するようなオアズケみたいに、先送りされると、意味なく忍耐を押し付けられているようで、意地悪にしか感じないよね。事情はあるんだろうけどね。という事は、押しなべて、忍耐とセロトニンの関係が重要になるのかもね。ここだね。

 あーぁー、そう捉えると、太川陽介の路線バスの旅は、まさにそれだよね。恵比寿さんもいるしね。もう、ここは説明のしようがないやな。言葉にしてもうるさいもんね。あははは。なるほどね、お笑いタレントが、面白いことを言わないで、ご飯を食べているだけ、というYouTubeは、まさに、この忍耐とセロトニンそのものだよね。

 視聴者とは、全体、期せずして、感覚が深いのでございますねー。俺は、これでもいつも忍耐とセロトニン系だから、俺には、そういうのは、あんまり必要ではないけどね。酒でいいや。

 今の世の中の人は、普通にしていても、アドレナリンとドーパミン系を振り絞って、仕事や恋愛などに頑張って生きている感じなんだろうね。コロナだし、まさに忍耐だよね。怒ってアドレナリンを出してもしょうがないしね。ゆえに、セロトニンを出す方向しかないやな。なるほどねーー。サイレントマジョリティーだね。爆発したら、行くところまで行くな。覚悟と計画の上でのブチ切れだな。そういう事件が起きているよね。そう来ましたかぁー。

 今日は、忍耐とセロトニンの関係の本当のところは、思慮深い人間を作るという事ですが、その途中でバランスを崩してブチ切れると、意識範囲の小さい者は、全部、おじゃんにしてしまいます、の一席でした。るいとジョーの縁は、意識範囲が広いのでしょうか、小さいのでしょうか。ナナはどうなんでしょう。

 まー、意識範囲が広くても、小さくても、全部、空や空性に帰するのがいいですね。その為には、空気体瞑想しましょう。あはははは。意識範囲もやがて生死を越えて、必然的に広がりますしね。さて、修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。