おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。
ジョーはるいと、東京へ行く準備をしながら話をしている。ジョーは、幼い時に岡山のジャズ喫茶の店主に拾われた。そして、名前も大月錠一郎とつけてもらったみたいだ。岡山でジャズ喫茶をしていた定一は、その後に数年たって死んだようだ。それで、定一の知り合いで、大坂の今のジャズ喫茶へ来て、住み込みで雇ってもらったようだ。るいは、ジョーと縁が深いと思っている感じだね。
ジョーは東京へ旅立った。3か月後のクリスマスには、るいと一緒に東京で部屋を探して、二人で暮らそうと約束している。
東京でのジョーは、プロダクションの社長の家に住み込みだ。綺麗な娘さんもいる。気が強そうだ。しかしジョーは、東京で時間が経つにつれてスランプになったようだ。クリスマスコンサートも延期になったみたいだ。どうした、ジョー。立つんだジョー、でした。
るいとジョーは、一月以上、連絡が取れてない。るいの廻りは二人の糸を心配している。しかし、るいは、二人には縁が有ると思って、信じている。
まー、大坂の人間にとっては、東京の人の空気も水も異質で、それだけで大変なんだろうね。しかも、希望に燃えて異質なところに行くということは、さらに大変だよね。燃えているのは自分と自分の中だからね。その上で、異質を受け入れないといけないんだよね。そうなると、自分の燃えているところが異質とぶつかって、心があやふやになるよね。相手が大きいと、なえる可能性も高いやな。「東京に負けた」だね。
何かに絶望して逃げるように、「東京でも行くかぁ」だったら、自分の中は、希望に燃えているわけじゃなくて小さくなっているから、そんなに異質とぶつからないかも知れないけどね。ぶつかる元気もないやな。どうでもいいやと言う気分だろうけどね。浮浪児のジョーが希望を見てしまったから、そして、そういう人生に慣れてないから、スランプもしょうがないやな。
あれ、あれなんだよね。独学とかで、何かがスーッと出来るようになると、最初は新鮮で上手く出来ているんだけど、慣れた頃に、自分では気づかないところで、自分の癖?なのか、身体が勝手になにか違うことをし始めるんだよね。それに気づけなくて、スランプに陥ることがあるんだよね。野球のピチャーで言うと、2年目のジンクスだよね。しかも、どこが違って来たのかを気づけないから、なかなか治らないんだよね。で、辞めるか、故障するか、微妙に別な形するか、自分の中の別な感覚にするか、そんな感じの変化をするしかないんだよね。これはねー、自分の成功パターンを失敗と観るか、離れるという感じだから、泣くほど辛いんだよね。コロナ前の事業の成功とコロナ後の先の見えない事業形態みたいなもんだよね。
ジョーは光が見えて、日の当たる道を歩こうとすると、、幸せに成りそうになると、、あれだ、、、日の当たる道に着いたことになるから、ジョーの「情」の音が出せないんだぁね。出せたとしても、臭くなるんだろうね。あらーーー。これじゃぁ、ジョー、お前も不幸癖で、幸せには成れないじゃん。とほほ、だな。
あのーー、ロックバンドで、「ロード」を歌っていた人がいたよね。「何でもないようなことがーー、幸せだったとおもぉー。なんでもない夜のことー、・・。」という詩の歌があったけど、あれと同じだよね。幸せに成りそうになると、なんか、破壊が来るんだね。ジョーの過去が破壊されちゃったんだね。どうでもいい過去だけどね。そこが自分を作っちまたんだけどね。社長の娘のナナには、それは分からないやなぁ。ジョーは、過去から逃げられないんだね。過去から逃げたつもりのインチキ芝居では、トランペットで、日の当たる道に憧れる切ない思の情は、吹けないんだね。厳しいねー。
ジョー、これはねー、漫画の「あしたのジョー」と同じで、過去からの「孤独」によって出来た心の(いじけも受け入れた)しこりは、ナナとかが女子力で上塗りをしてくれても、消えないんだよ。それでも、ナナと付き合えば、新しい人生のようで忘れはするけど・・・。もしジョーの中で過去が消えたら、ジョーのトランペットが言いたい音じゃなくなって、そして、そのギャップの幅は開くばかりで、自分が苦るしくなると思うんだよね。ジョーよ、意外にこのスランプは深いぞ。
こうなったら、闇の中での傷はしこりであって治らない訳だから、明日のジョーがやったように、ノーガード戦法で行くしかないんじゃないかな。それで、例え傷が増えたとしても、アッパーカットが当たって終わったとしても、しょうがないやな。どうせ、戦争孤児で浮浪児で、スラム街もないところでの「孤独」だったんだからね。
いつか、どこかの大きなステージで、野良犬の遠吠えを奇麗な「情」で、「これでどうだ」と思いながら吹き切ることを夢見て、今を乗り切るしかないやな。「暗やみでしか聞えぬ音」だね。ジョーのトランペットの音色は、野良犬というか、月夜の狼の綺麗な遠吠えだったんだね。「大月錠一郎よ、野良犬から、オオカミなれ、なるんだジョーー」。
だけど、狼には、仲間がいるというのが、野生では定番だよね。こりゃー、るいが東京に行かないと、ジョーのトランペットは生き返らないかもね。ナナではだめだな。ナナはどちらかと言うと、トミー系の人間だからね。芸術系のジャズだろうね。ルイアームストロングやジョーは、演歌系のジャズだからね。言ってしまえば、大陸の民謡のようなジャズなんだろうね。オオカミの遠吠えって、民謡の情だったんね。
るいヨ、ジョーを信じているだけじゃなくて、早く東京に行かないと、ジョーのトランペットは、負け犬の遠吠えになっちゃうぞ。だけど、るいが幼い時に、安子のピンチを勘どって、入学式の当日なのに岡山から大阪に行ったよね、、、その時、安子はロバートとハグをしていたんだよね。あーぁー~~だね。女子としては、精魂込めた勘なのに、また裏切られたという同じ思いになると、恐いやなぁー。生きている土台が崩れるの同じだからね。るいもジョーも一人っきりの人生を歩むことになるのかなぁ。そうなると、二人とも二度目の「絶望孤独」だからね。涙も出ないほど、辛いね。
ルイアームストロングもランディ・ブレッカーもそういうところが有ったのかも知れないな。そこに耐えたんだね。綾戸千絵?のジャズコンサートをテレビで、20年ぐらい前に見たことがあって、そのころの綾戸千絵のジャズは、ノーガード戦法だったような気がするな。お客さんに、「もっと来てみろよー、来いよ、来い。受けて立ってやる。小さな体でもノーガードだぜい」みたいな感じだったね。俺にはそう見えたな。綾戸千絵は、ばりばりの大阪人だよね。錠一郎のノーガードとは少し違うかも知れないけど、いずれにしても、ジョーもノーガードになるしかないやな。るいも生きて行くんなら、開き直ると言うよりも、恐いけど、ノーガードになるしかないんでございましょうね。
今日は、心の傷もあちこちにたくさんあると、世間の人からは、シワにしか見えないのかも知れませんね。治った後の癒えないキッポは伸びないシワなんだね、譲って柔らかくなりたくても、固くて譲れないんだよね、の一席でした。
ジョーーー、オオカミになって、目指すは、遠吠えトランペットだーーー。透明な空気に包まれて、透明な息(生命エネルギーのプラナ)を吸って、奇麗な遠吠え音楽を吹いてやれ。それしかないじゃん。「まっ白だ」ジョーー。・・・空気体瞑想と似ているね。上等さが違うけどね、へへっ。さて、修法だよ。あはははは。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。