おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
カムカムエブリイバディ、見ていますか?
ジョーは、るいと一緒にアメリカへ行って演奏をしたい思うようになった。その為に、トランペットの大会に出ることにした。るいも応援している。
しかしラジオの放送で、優勝の本命は、トミーだと言っている。るいは少しへ込んでいる。ジョーは心がぐらついている。
そんな時、るいとジョーは、駄作だといわれている映画を、割引券で見る羽目になった。映画館はガラガラだ。客が入ってない。しかし、映画館の暗やみの中で、映画の主人公が「暗やみでしか見えぬものがある。暗やみでしか聞えぬ歌がある」と言った。そのセリフに、ジョーは、戦災孤児である自分を重ねて、俄然やる気をだした。ジョーはるいに「勝よ、必ず勝つ」と言っている。るいはそれを信じた。るいは嬉しそうだ。たくましい男は女子の憧れだね。いいよね。
大会の当日、ジョーは、るいが選んでくれたシャツに、ケチャップを付けて、るいの居るクリーニング店に駆け込んできた。大会の衣装なのに、子どもみたいに汚したね。天然的に抜けているジョーにあるのは、気分と切羽詰まった情熱よなものだけだからね。その情熱も、日の当たる場所の情熱じゃないからね。ここを譲ったら、もう生きている価値が無いというところの情熱だからね。るいも似たところが有るよね。土俵際の情熱、というのともなんか違うよね。ジャズの脱力と緩和で、突き詰めてみたら、いつのまにか荒唐無稽の闇になってしまっていて、でもその闇がまともなものを解ってくれているように感じて、それが良くて、「だから俺は譲れない」、みたいな感じなんだよね。もし、闇の時代にそれを譲ったら、いつか日が昇った時に意味がない、という感じだね。
まー、ヨガの時代区分で言うと、ここ最近の5千年間は、激しく悪が支配しているカリユガ時代だからね。5千年というのは、俺の感覚だよ。別な数字を上げている人もいるからね。俺が思うに、その覚者は、時代を時間の事として察知したから、ついつい12進数で考えてしまって、ややこしい数字になってしまったんだろうと推察するけどね。精神界というか、霊界は、人それぞれでなかなかややこしいんだよね。通り一辺倒の話じゃ、役には立たないね。
そのようなことを重ねながら考えてみるのに、第二次世界大戦という騙されて始めた戦争、その敗戦後の時代で、安子とるいとジョーが居るところは、振り切ったゆえのなかなかの闇の中だったんだね。日の当たる道が見えないやな。
ところで、昨夜は、「鬼滅の刃」をやっていたけど、鬼とか、妖怪とか、化け物とか、怪獣とかの悪役って、粗末に作ったらいけないんだね。もしかしたら、ドラマの面白さって、悪の作りで決まるのかもね。悪にかけてしまう「情」が、ひるがえると面白さになるのかもね。朝ドラマの中の映画でも、長年、切られ役しか貰えない役者が、妖術を使う鬼になっていたよね。
じゃぁ、そもそも悪とは何なのか?という話になるんだけど、それは、深層意識と空や空性(くうやくうせい)との共鳴率が4.9以下の者だからね。物質界に閉ざされて消滅に向かっている者だよね。
その物質や物質界が、どうして閉ざされているかと言うと、引力や重力や重力子(ヒックス粒子)の影響で閉ざされているんだよね。ゆえに、悪とは、引力や重力や重力子の支配に入っている者、それらの影響をバリバリに受けている者という事になるわな。それは、物質(肉体も含む)だよね。
物質(肉体も含む)は、引力や重力や重力子に支配されているから消滅するわけで、ならば、その苦悩を解決するために、悟る為とか解脱しよと考える人もいるわな。物や金やこの世やこの世の出来事から極力離れて、こだわらずにいて、まー、世捨て人として、出家でもしてみますか、みたいな話になる時も、あるわなぁ。この世は四苦八苦の世界だし、捨てたくもなるしね。
これら全体を、お釈迦さんは突き詰めて、「苦」の原因は、執着とか渇愛とかだと言っている場合もあるんだね。説明だからいろいろあるよね。
今の一般的な言い方では、執着や渇愛からの「煩悩(貪り過ぎる欲望?)」だとかと、断罪的に説明している坊さんもいるよね。「おい、お前、そんなに偉いの?」という感じもするけどね。そいう坊さんは、意外に飲み屋のおねいちゃんと遊んでいる。あとは、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)みたいなこと言う坊さんもいるね。煩悩があるから、人間は進んで行って佛の心にたどり着くみたいな話らしいけどね。半分は屁理屈だと思うな。でも、世間の大衆は、そういうのが好きだ。
俺が思うに、執着からの煩悩って、深層意識が活性化されていないだけだからね。本当の永遠の命、その自分が分ってないだけだからね。これを正しく解るのがかなり難しいんだけどね。今まではね。
深層意識の活性化が弱いと、あれも欲しい、これも欲しい、やがては、永遠に生きたい、せめて生き残りたい、みたいなことになるんだと思うね。そこで、その煩悩の求めるところとして、死とは?とか、霊界とは?とかの話がいろいろ出て来るんだろうね。いい事だけど、無限に答えを探さないといけなくなるよね。それは、袋小路に入って疲れるよね。だから、ここの辺を書くと、死生観から始まって、死後の世界や幸せ論議のスピリチュアル的なものになって行って、あまりにもいろいろだから、書かなくていいやな。禅宗とかでは、この議論を遊論と言うんだね。遊んでいるんだね。
世間には、上っ面を舐めたような、(佛の目から見たとしても)間違いとまでは言い切れないけど、役立たずな見解が、たくさん出版されているからね。遊論もあるよね。あははは。ご苦労さまだよね。そのほとんどは、空(くう)に帰するだけだけどね。そこから先もあるしね。
ただね、教えの初めが役立たずだと、どうしようもないやな。お互いが真面目な場合は、ボタンの掛け違い、見間違いと言う分になるね。世間でよく問題になるのは、上手い話の御利益で人を釣るという、人たらし宗教とかだね。それらは、仮に法力があったとしても、いずれ駄作と言う奴になると思うな。妖怪系だね。早く人間に成れよ、だね。あはは。
仏教の教えが、中国を経由してきたときに、その教えがどろどろとしてしまい、必然的に「あれもダメ、これもダメ」みたいな否定性が強くなった感じはするね。三蔵法師がインドの経典を訳したわけだけど、何も無いと感じる世界を「無」と訳したんだよね。でも、インドの経典の原音は音声にすると「むー」じゃなくて、「なー」なんだよね。音声としてね。だから、受ける感じが違うんだよね。「無(む)」を、「無(ない)」と読めば、「なー」に似ているけどね。「むー」より「なー」の音声波動の方が、脱力と緩和をした後に前に進むという肯定性がたくさんあるように、俺は感じるけどね。どちらも、意図するところは、浄化と進化で同じだけど、音の汚れの問題とその効果としての進み方の問題だよね。
今の地球の時代は、悪の支配するカリユガの時代の最後の部分の時代だからね。つまり悪=重力や重力子で、その影響によって支配さてれいる時代で、その最後の部分だからね。まー、ざっくりと安易に言えば、物質や現実を含んだこの世の事象が、精神性(スピリチュアル)に変わっていく、その流れが、世の中の全体の風潮として始まろうとしている時代かもね。その少し前だね。
その兆しとして、この上なく上っ面を撫でていてインチキだけど、SDGsとかと世間は言い始めているね。まー、SDGsもやらない訳にもいかないしね。あははは。奴らが、経済と民衆へ無理を押し付けて?、裏で、世界人口の減少を望んでいれば、相当な詐欺師だよね。少子化対策を促しながら、片方では火星移住を宣伝しなかがら、食料不足になるとかと、いろいろとやっているよね。あっ、一人っ子政策もあったな。いずれにしても、ご苦労さまだよね。早く、悪の支配である、重力や重力子の影響下から自由にならないといけないやな。
さらに、人類に対する遺伝子操作が流行っているらしいけど、遺伝子だって、物質だから重力の影響を受けているわけで、ざっくり言ってしまえば、悪の支配の中の仕業でもあるだろうね。
聖書のヨハネの黙示録?だったかな、「この世は悪が支配している」と書いてあったと思うけど、それはつまり、この世の今の地球は全て重力や重力子が支配しているという事だよね。当たり前にそうなっているわな。その重力や重力子に支配された物質を求める物質主義(他の人に来ている物でも、その物や金をどこまでも欲しかったり、永遠の命を知らないのにいつまでも生きていたいと思ったりしている思考や気分)にさいなまれた人間は、当然、お金や物をたくさん持っていても、さらに、自分の悪を増幅しているんでしょうね。それで、言ったもん勝ち、やったもん勝ちのろくでもない大陸型人になるんだね。そして、それでも飽き足らずに、夢は火星への移住だーー、人類の希望だー、になるんだろうね。まさに、ロケットの噴射で重力と頑張って戦っている感じだね。・・でしょ。この世は、悪の支配するカリユガに時代で、誰とはなしに全部、悪が支配しているでしょうね。早く重力と重力子とそのバランスに気づかないといけないやな。
俺は、数日前から必死をこいて、書いているけど、邪魔する奴は多いいね。佛の目から見ても役立たずだね。しょうがないやな。地球上に居る限り、重力と重力子=悪に支配されているんだからね。正確に言えば、重力や重力子は中立で、重力や重力子の影響に左右されている人間が「悪」なんだね。
キリストさんが、シナイ山?で40日断食をされて、腹が空(くう・カラ)になったあと、悪魔が来て、キリストさんを山の上に連れて行き?、
「地球上のすべてのものを、お前にやろう」と言ったときに、キリストさんは、「悪魔ヨ、去れ」と言われたみたいだけど、重力や重力子に左右されないというのは、ああいう事かもね。今の人間は、物やお金にも、半分は支配されているのが現実だよね。悪魔としても去りにくいやな。あはははは。結局は、何処までも上っ面なんでございましょうね。もう、俺は、うんざりでございますけどね。あーぁ~、だね。
現実では、その人なりに真面目に頑張っているので、自分の気持ちとしては可哀そうに思うところもあるけど、・・・何でもいいから早く始末をつけたいところでございますね。もう世の中は、小細工ではなくて、その人の真の価値が問われているところまで来ているのでございますからね。業やカルマ的に逃げられないようでございますからね。いい事ですね。
その人の存在の価値とは、深層意識の活性化をしてからーーの、空や空性との共鳴がどのようにあり、どれだけ多く有るかですからね。
だから、だから、空気体瞑想をしましょう、と言っているんですけどね。アホには分からないやな。まっ、全部、重力や重力子と自分と空や空性においての自己責任ですからね。小賢しい事は、通用しませんしね。俺はそう思うけどね。
どうしても、小賢しい事がしたい人は、ロケットで火星にでも行かれたら、どうですか?。そのこと自体が小賢しい事でしょ。分かるかなぁ、分からないだろうね。技術の前に知ることが有るでしょ、という意味ですね。
技術に頼れば、原爆だって落とすし、やってみたらそれは無差別殺人でしょ。しかも、そのことは、悪が生き延びるためには、善性を殺すしかないということでしょ。だから、逆を突いて、70年以上も善性の日本を、悪者にしたんでしょ。日本に自虐教育をしたんでしょ。日本人が、たいして悪くなくても、反省をすることもできる善性だから、自虐教育が成り立ったんでしょ。それ自体が証拠です。
大陸型人は、反省する前に許す方が先だよね。汚れがキレイにはならないやな。上塗りだからね。油絵だね。バレてますよ。まともな性善説の精神がある日本と日本人を寄ってたかって騙したあげくの、結果が無差別殺人でしょ。デタラメでひどいでしょ。
大陸型人は、貿易で金が欲しかったからね。生き残りたかったからね。それで、言ったもん勝ち、やった者勝ちのろくでもない大陸型人になったんでしょ。悪でしょ。性悪説でしょ。ピッタリじゃないですか。あははは。「何か、問題でも?」。
今日は、大陸型人が何かを恨むのなら、自己が重力と重力子に支配されていたことをお恨みくださいませ、という一席でした。この世の闇を作っているのは、重力と重力子の影響を受けた人間なんでしょうね?。奴らは、すべてを捨ててでも、エデンの園に帰れるものなら、帰った方がいいかもね。「暗やみでしか見えぬものがある。暗やみでしか聞えぬ歌がある」でございますね。
でもねーー、重力は何もしなくても気づければ感じものだけど、普通の人の目には直接的に見えないんだよね。見えないから闇なんですよね。
その上で、空や空性も透明で普通の人の肉眼でも霊能者の霊視でも見えないんですよねぇー。しかも、空や空性は、なかなか感じることも出来ないからね。気づくことはあるけど、初めは透明な無感覚という感じだけからね。超越感覚でもあるしね。愛や愛感や至福意識や爽やかさや清々しさとして、感じる時もあるけど、重力や重力子より感じにくいのが、現実かも知れませんね。
つまり、そういう仕組みだから、悪の罠にこの世の人間は迷いや安いんだよね。人間という迷える子羊は、重力や重力子に支配されやすいですね。そこをもう一つ進んで、空や空性からの天然のダルマエネルギーに支配されようと思えばいいのにね。桁違いの自由だね。その為には、空気体瞑想も一つの方法でしょうね。
悪になって安い「情」に訴えて救われようとするか、善になって、正々堂々?爽やか?、いや、ハレルヤ気分で日の当たる道を歩くか、自己責任としてとことん考えてくださいませ。大陸型人が言うところの、情け無用の自己責任ですよ。分かります?。あはは。さて、修法だ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。