おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
がっちりマンデー、見ていますか?。
今日は、凄い社長だらけの大新年会だ。
まず、アソビューだ。コロナで売り上げが大変だったんだね。だけど、電子チケットで、Ⅴ字回復をしたんだね。電子チケットだと、観光地にある施設の収容人数を、時間単位でコントロール出来るんだね。コロナがあるからね。でも、混雑しない施設になっていいかもね。これは、コロナが収まっても、アプリから混雑状況を把握することが出来れば、空いている時間に予約を入れればいいんだから、ぼちぼちと続くかもね。アプリの使用料は無料なんだね。手数料だけなんだね。予約のOKな人で、混雑が嫌いな人には、便利なんだろうね。
次、クイックゲットだ。インターネット上のコンビニだ。何?。ネットで注文すると、30分以内に品物が届くんだね。便利なんだね。田舎では特に、店まで行く時間がもったいないからね。買い物はひと仕事なんだよね。
ところで、この頃の若い社長は、コツコツとやることについて、泥くさいと思うんかな。なるほどね。時代だね・・・。
次、これからの会社の中で起こりそうな、下剋上制度の話だ。つまりは、上の者が仕事をちゃんと出来ているかどうか、ということなんだね。昔からある話だけどね。まー、言っていることは、去年の番組でやっていた、お菓子の製造会社のプレジデント制度みたいな話だね。それは、その職場内のほとんどの権限を与えて目標が達成できれば、OK、という分だね。目標が達成できないと、他の人と交代していたね。で、また、チャンスがあれば復活出が来るんだね。仕事がちゃんと出来る人でも、スランプはあるからね。調子のいい人がやった方がいいやな。お互いに、恨みっこ無しの、行動パターンでないといけないね。ズルと逆恨みはダメだよね。そこをハッキリさせておかないといけないね。その人の性格の質は、重要だよね。それが出来ると、きれいな会社が出来そうだよね。信用していいやな。コツコツやっても、泥臭くないやな。あはは。
押しなべて考えると、野球チームとかサッカーチームみたいな感じの人事になるのかもね。まともないいプレーやーには権限もあり、報酬も伴う、という事なんだろうね。社長である監督がダメだと、プレーヤーが良くても、もう一つだけどね。
スポーツなら、すぐに結果が分かるけど、仕事となると開発とか研究に時間がかかるものがあるから、成果をすぐに見ることは出来ないところもあるよね。まっ、ひらめきだけどね。下剋上プレジデント制度も、何種類かを作った方がいいね。
まー、つらつら考えてみるのに、アイデアがある上の者が、攻めの姿勢であることは言うまでもないけど、全体の厄を早めに察知して、それが小さなときに、よく考えて解決できる能力があるかどうかだよね。規制とかではなくてね。
まーだいたいの上の者は、自分が背負わなければいけない厄を、下のものに押し付けているからね。今は、背負わなくてもいい厄を、上の者に押し付ける奴らもいるしね。全体、もう、無意識にそういう事をしているよね。上も下も、アイデアの無い自分が生き残りたいんだろうからね。その為に出世と権限を欲しがるようになったら、その会社は伸びないやな。終わりが近いやな。
下の者も情報は少ないし、アホだから厄を押し付けられても、なんかごちょごちょとやって、どうにか流れて行く時もあるんだけど、まー、後からよりひどいことになって、出て来ることもよくある話だよね。それでも、生き残るところは生き残ってきたようだけどね。今まではね。
これからは、もう、世の中が追いつめられているから、そういう訳にはいかないだろうね。逃げられないやな。逃げても、コロナみたいに次から次へと厄が来るだろうね。ちゃんと解決をして行くことになるだろうね。でも、解決できないんだけどね。あはははは。
時代は、聖書で言うところの、666の数字の時代だね。俺は、そいういう感じがするけどね。その後は、支配が、天然のダルマ法則になるんだね。入るんだね。いい事だね。天然のダルマ法則の意図は、発展と進化だからね。エセリベラルの御都合主義の安い価値観とは違うものだね。偽物と本物の違いが、いろいろと分かるようになるのかもね。まだ、時間がかかりそうだけどね。半分半分の割合だからね。
いずれにしても、善と悪の基準と同じで、それが十段階あるとしたら、人間の深層意識の一番深いところが、空や空性(くうやくうせい)と、何某かの共鳴をしていて、その共鳴率が、4.9以下だと悪だし偽物だね。消滅方向だね。共鳴率が5.1以上だと善だし、本物になる可能性を秘めているよね。まー、たいがいの人は、5.0付近のなにがしかを、微妙に行ったり来たりしているけどね。それこそ、泥くさい所だろうね。頑張っているのにね。ご苦労さまです、だね。
コツコツとやっているのを泥くさいというのは、違うね。だから、同じ泥臭さでも、4.9以下と5.1以上という、2種類あること考えた方がいいね。昔の言い方をすると、地道に進んで役に立っているか、派手にやって自滅しているか、そういう基準で観ることも出来るけどね。今は、価値観が不完全なくせに結果が全てみたいなことになっているから、ギスギスして心が貧しくなるやな。ならば、カッコよくスマートに実力で生きたい、と思うわな。いいけどね。
がっちりマンデーという番組自体は、テレビだから派手にやって、地道な者(企業経営者)たちを食っているという感じもするね。番組が地道な者の役に立てば、話は変わるけどね。その工夫は、ほとんどしていなよね。それどころか、企業秘密を、半島や中国あたりに売っていたりしてね。犯人は、テレビ局を辞めればいいだけの話だからね。
まー、まず、テレビ局やテレビマンを信用したら、アウトだからね。今は、そうとしか見えない世の中だからね。ダメディアとマスゴミのせいだね。テレビ界の自業自得だね。GHQや半島系人や一部の日本人のせいだね。今の時代は、業の焦げ付きがピークに来ている、666の時代だからね。自業自得で、もう逃げられないところまで来ている感じだね。
これからは、共鳴率4.9以下のものたちは、団体を作って規則で縛っても、バラバラ感はいがめないだろうね。逆に5.1以上の人たちは、一人で自由に行動しているつもりでも、なんか深い所でまとまっている感じになるだろうね。これが、天然のダルマエネルギーの支配だね。普通に善い事だね。会社の経営者も、そういうことをよく知らないといけないや。なかなか難しいけどね。
まー、「その意見で、金になるのか」と疑問をぶつける人は、まず、失敗をするだろうね。共鳴率4,9以下の経営者だね。これねぇー、本当はとても厳し話なんだよね。だって、会社なんて、利益を上て、自分が生き残るためにやっているんだろうからね。社会や、いい事と思われることに貢献するために、会社をやっているのなら別だけどね。戦前の日本には、そういう集合意識が少なからずあったけどね。
だから、その上で、七重の膝を八重に折るというような「情」が通じたんだけどね。最近は、「情」が、自作自演の被害者意識に擦り変えられて、情の上での権利の主張みたいになっているからね。そういう奴は、共鳴率4.9以下も甚だしいよね。「盗人にも三部の理」という諺までも、悪用した感じだね。
昔は、「情けは人の為ならず(=周り廻って、自分の為)」というのがあったんだけど、今は、「情けは人の為ならず(=情けをかけると、アホな奴はそれでいいんだと思って、ますますダメダメになる。世の中に通用しなくなる。だから、情けをかけたらいけないんだ)」と言うらしいんだよね。天然のダルマ法則の支配なんて、クソ食らえの時代なんだね。時代は聖書の666だね。それでも、天然のダルマ法則は無くならないから、限界までくれば反動が出るよね。当たり前だね。共鳴率4.9以下の奴らの無駄な抵抗だね。
天然のダルマ法則のエネルギーの流れは、透明だからね。自分にかかってくる、その限界まで来た反動を、少しでも軽減するためには、空気体瞑想をして、浄化昇華しておいた方いいですね。あとは野となれ山となれ、気分も必要でございますね。詳しく書いても、誤解を生むだけだから書かないけど、面白くなってきましたね。俺はそう思うね。
今日は、厄ばかりの666の時代の今だけど、やがて、天然のダルマのエネルギーがあらゆるシステムなどを支配する時代が来ますし、それによっての発展や進化の時代になりますので、空気体瞑想をしましょう、の一席でした。ただね、言った者勝ち、やった者勝ちのろくでもない大陸型人は、大変でしょうね。しょうがないですね、「情けは人の為ならず」の善き行動が、共鳴率4.9以下人間に付け込まれて、小さな力と金で逆手に取られたんですからね。でもそれは、天然のダルマ法則のエネルギー反応が、あちこちの出始めると、共鳴率5,1以上の善性の本物しか残らなくなるという事の証ですからね。エネルギー反応ですから、裸のまま錯覚をしないようにしてくださいね。早ければ、今年の冬あたりから、なんとなく、よほどのアホたちにも分かるようになることでございましょうかね。?。どうでしょうかね。あははは。
今日は、泥くさくやっても、スマートにやっても、コツコツやっても、派手にやっても、透明な天然のダルマ法則のエネルギーに意識を向けましょう。共鳴率5.1以上の人間なら、正しい有益さに染まっていきます。それを支配というのなら、「勝手に言ってろ」でございますね。さて、修法だよ。
今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の為の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしな