おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 トミーとベリーとるいとジョーは、4人で、真っ赤なスポーツカーに乗って、海までドライブデートだ。トミーは、本当に金持ちだね。彼らは、石原慎太郎の小説にあるような、戦後の自由と恋愛を、ヤケクソ気味にお謳歌する太陽族?、その出初めの人たちだね。太陽族は、自分の脱力と緩和だったんだね。まっ、俺は、「太陽族」?、「太陽の季節」?、(太陽へのキセル)?という小説も読んだことはないけどね。あの小説は、芥川賞を取っているのかな?。まっいいや。

 戦後の日本いる若者の、大敗感か、乱れか、自由か、・・ただ太陽はまぶしくて、それが、日の当たる道なのか?、、という系の小説だろうね。日本のジャズは、戦後の「大敗感と自由」みたいなもの、だったんだね。

 

 目的の海に着くと、ジョーは車に酔っていた。ベリーが介抱している。

 瓶ジュースの自動販売機が浜辺にあった。あの時代にもあったんだね。コカコーラだな。うん?。アメリカには自動販売機はないよね。自由でも、泥坊をしない日本人だね。

 トミーは砂浜を歩きながら、ジョーがトランペットの大会に出ない事を、るいに伝えた。

 車酔いから回復したジョーは、一人で海を見ているるいのところに来た。るいとジョーは、海の向こう国の話をしている。るいの母親とジャズの話だ。トランペットの大会の事については、話さなかった。

 トミーはベリーに、「ジョーとるいは共鳴し合っているから、二人の邪魔せんときー」、と話している。トミーは、「ベリー、僕と共鳴せいへんか」とも言った。ベリーは、断ったようだ。賢いトミーは、ああ見えて『ベリー、お前に価値が無いわけではないよ』と慰めていたのかも知れない。

 ベリーは海沿いの道を、スポーツカーに乗って、一人でドライブだ。風を切りながらのベリーの気分は、日本のジャズが広い海の向こうの国にまで届いて、認められて欲しいという「希望」を思っている感じだ。ベリー役の女優は、運転免許を持っていないな。あはは。ベリーも相当な金持ちのお嬢様だ。

 戦後の若者が、大敗感と自由を天秤にかける時、そりゃー、自由の方に行くしかないやな。自分らしきものを生きるためにね。こりゃー、アメリカ式の自由にも、負けたんだね。それが、明るい未来に見えたんだろうね。翻弄されている感じもあるね。

 四人でのドライブの終わりに、クリーニング店までるいを送って来たジョーは、「今度のトランペットの大会に出ることにした」と、るいに告げた。そして、「もし、優勝したら、一緒に東京に来て欲しい」とも言った。あらら、凄い展開だね。まー、そなるわな。

 優勝すれば、プロダクションには就職出来るしね。でも、曲が売れるかどうかは分からないからなぁ。いいジャズは、戦後の最新の流行りだろうから、需要はあるかもね。案配のいい新しい風のところかもね。そのテーマは、「人生の大敗と自由」、だね。

ただ、そこから何を作り出すかとかと言われてもねぇー。言ってしまえば、涙も出ない自由だから、本当の価値があるかどうかは、分からないやな。当時?、渥美清の「泣いてたまるか」というドラマに、そこそこの人気があったけど、大敗感を基にしているという意味では、それと同じかもね。「泣いてたまるか」は、「男はつらいよ」の前のドラマだね。貧乏人で集団就職の男の「泣いてたまるか」の時代に、一方で、金持ちの大敗と自由を感じている太陽族がいたんだろうね。時代が違うのかなぁ。どうだろうね。

第二次世界大戦は、アメリカの物量と金に負けたというのは、一面では事実でもあるけどね。

 あぁーん?。という事は、もしかして日本人は、敗戦による「人生の大敗と自由」によって、作りだすという創造性をも止められたのかな?。なるほどね、敗戦国の文化の否定って、こういう事かぁ。であるのならば、創造性に付随する「新鮮さ」の復活が、善き日本の復活になるのかもね。

 新鮮さって、創造性には付き物だからね。つまりは、何かを作りだす時の「新鮮さ」を復活させればいいんだね。性能のいいゼロ戦を作った日本人だからできるだろうね。そりゃー、新しいものを作りだすのがいいけど、特に新しいものでなくても、作り出す時の新鮮さを意識して、何かを考えれば用は足りるだろうね。それが、日本の復活に繋がるのかもね。

閃いたり、考えたりしたアイデアやシステムやパターンに、新鮮さを感じるか、どうかという事を、それらの中から選択す時の判断基準として、付け加ええるだけでいいと思うな。ここだな。

大敗感と自由と太陽族に、プラスして新鮮感を加えることが出来れば、それが、今までにあったアイデアやシステムやパターンであっても、日の当たる道にさす(太陽の)光の受け取ることにおいて、その人の主観が、光のエネルギーを多く受け取ることになるんだろうね。それが新鮮感だね。

 最近では断捨離という方法あるけど、それは、ワクワクしないものは捨てるというのが基本になっていたけど、アイデアやシステムやパターンでも、同じ種類の事が言えて、アイデアやシステムやパターンがほとんど同じで物でも、新鮮さの感じるものを選べばいいのかもね。まー、新しいアイデアやシステムやパターンは新鮮なものなんだけど、だいたいは没にする上司が多いいよね。だから、新鮮さがあるかどうかを、まずは見極めるシステムが欲しいやな。どうしたらいいんだろうね。

あっ、成長率を見ればいいのかなぁ。例えば、一回目のアイデアから、変更を入れた二回目のアイデア、そして、3回目のアイデアと、提出してもらい、その成長率を観察すれはいいのかなぁ。いや、大器晩成ともいうし、本当にいいアイデアはゆっくり成長するものもあるかも知れないしね。そのアイデアが使えて、成長も新鮮感もあるというところ見れば、いいのかなぁ。

 聖書のヨハネの黙示録では、主なる神様が、「私はωでありαである。初めであり終わりでる」また「私はすべてを新しくする」とかと言われているんだよね。それはつまり、一周廻って新鮮という事なんだと思うんだよね。この宇宙は繰り返しでもあるからね。永遠の命もあるけどね。

アイデアを一周廻すというのはどうしたら、いいのかなぁ。あっ、シュミレーションか。そのアイデアがどうなるかを、富岳みたいな大型コンピューターで、先行きはどうなるのかをシュミレーションしてみればいいのかな。シュミレーション用のAIとかは、作れないのかな?。

そして、アイデアが、生まれて進化して破壊した時の、つまり、一周した時の気分が良ければ、新鮮さや新鮮感を感じるのじゃないのかな。だって、魚の刺身でもとれたて野菜でも、食べてみて、気分がいいから新鮮なんでしょ。それは、熟成のうま味とは違って、新鮮で気分がいいという事でしょ。気分がいいという感じは、f分の1の揺らぎが持っている性質だよね。だから、f分の1の揺らぎによって、その何かが進歩を示している時において、新鮮感があるんだろうね。

 という事は、物づくりの新鮮さや新鮮感というのは、アイデアがシュミレーションによって一周する時に、f分の1の揺らぎがあって、その揺らぎが、堕落ではなくて、進歩に繋がる時に、それを感じるものなんだろうね。それか。。。生命力みたいなもんだね。

 じゃー、アイデアを、シュミレーションの出来るAIに投入して、人間がその変化の様子を見て、「これって、生命力を感じるよね」というアイデアを選べば、いいという事かもね。人間に審美眼が必要になって来るね。でも、だいたいの人間は、蛙を見ても猫を見ても、生きているか死んでいるかぐらいは、分かるからね。あははは。

問題は、あるアイデアをシュミレーション出来るAIを作ることだろうね。それが出来るまでは、新鮮さや新鮮感を、人間のセンサーで感じるしかないやな。とりあえず、役に立つ審美眼を持った人材を、数人ほど探すことでございましょうかね。

 今日は、人生の大敗と自由と創造性と新鮮感と役に立つ審美眼は、大敗感と自由感の太陽族を越えて、日本と純正日本人の人生を復興させる、という一席でした。もう、海は渡った、空を渡れ、日本、だね。さて、修法だよ。

  可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。