おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

るいは、ジョーの吹く「サニーサイド・ストリー」のトランペットを聞きながら、安子とのいろいろな成り行きの事を思い出し、苦しくなり、コンサートの途中で会場を出て行った。

 るいが橋の上で、安子との別れの記憶と共に、ボーっとしていると、ジョーが来た。るいは、「あなたのせいです。あなたのせいで、忘れようとしていることを思い出してしまったんです。忘れるために岡山を出たのに」とジョーに言った。そして、帰って行った。

 サニーサイド・ストリー?という曲は、るいにとってもジョーにとっても、特別な曲だったようだ。善くも悪くもね。

 それでも、るいは、自分の思いをぶつけたジョーの事が気になっているみたいだ。るいは、安子との思い出と共に、恋についてもやもやとしながら、日々を過ごしているようだ。なかなか整理が出来ないから、忘れようとするんだろうけど、仕方のない事でもあるし、どこをどうひっくり返しても、どうにもならないよね。そういう事なんだからね。

 まー、それでも生かされているから、とりあえず、生きて行くかどうかだけだね。鳴らない風鈴になった時から、るいの居るところは、ずっと、そこなんだよね。

 だから、それに慣れてくると、透明な「愛」を感じないことはないんだよね。人間の愛じゃないけどね。生かされている命の愛だけ、感じていると言えば感じているんだけど、それは上手く説明できることでもないしね。でもそれが、ジョーとかトミーとかの廻りの男には、るいの魅力に見えるんだろうね。るい自身は、「鳴りたくても、鳴れないんだよぉーー」「静かにしていようとしていたのに、ジョーのトランペットの風が吹くから、静かにしていることすらも、出来ないじゃないかぁーー。いじわるぅーー」と、もがいている感じだよね。るいも、そうだけど、もう人生に、もがきたくないんだよね。るいヨ、こりゃー、ジョーもダメかもね。

 るいは、自分の廻りにおいて、どこかで誰かに、自分のもがきを理解してもらいたいと思うがゆえに、ジョーがなぜ、特別なサニーサイドの曲を演奏したかまで、理解しようとしてしまっているけど、るいがいくら理解しても、そのカルマが自分への理解として、帰ってくることは、無いかもね。俺は、そんな気がするな。

 るいは、もうしばらくの間、自分の事を理解されたいとか、その為に人の事を理解したいとか、そういうのを、横に置いておいた方がいいのかもね。いずれにしても、鳴れない(人の気持ちが見えて文句の言えない)風鈴なんだからね。人に食い潰される可能性が高いやな。じっとして死んでいくか、動けるようになるのを待しかないやな。生かされているんだしね。あとは、自身の気持ちが、持つかどうかだけだよね。

 そんな時、町内会では地蔵盆の日が来た。お地蔵様は、救いの手を差し伸べてくれるのかな?。子供たちが屋台のまえで、にぎやかにしている。その中にジョーもいた。ジョーを見つけたるいは、動けないでクリーニング店の二階から、その様子を見ている。

 ブキッチョなジョーが、タコ焼きを食べようとして、服の胸のところを汚したので、それを見たるいは、ジョーのところ走って行って、ジョーの服の汚れを拭いた。何というか、ささやかな女としての?クリーニング屋としての?、恋する女の使命感だね。

 るいは、整理のつかない自分の事を考えても、安子の事を考えても、どうしょうもないから、小さなことで、与えるところ生きるしかないのかもね。恋心のようで恋心じゃないやな。ジョーには、それはー、分からないだろうねぇ。まー、ジョーは、意地悪と言われながら、るいの鳴らない風鈴が鳴るまで、トランペットで風の音を吹かせるしかないかもね。ジョーよ、お前は損な男の役なんだよ。あはははは。

 やっぱ、ホットドックとたこ焼きぐらいは、服を汚さないで食べないといけないよね。器用さが必要だよ。もし、るいと結婚して、子供が出来たら、母性なんて子供の方に行くだけだからね。

あとは、るいという女の、遺伝子意識が、ジョーの種を良しとするかどうかだよね。

 もうねー、どうしようもない事は、どうしようもない事だから、どうやっても理解できないんだけど、あれねー、静かにしていると、風鈴の短冊が鳴らないように揺れて、気が流れることもあるんだよね。やがて、それが感情を越えた振動(←これが、センセーションね)になるから、そこまでは、静かにしているしかないかもね。センセーションは、肉体において、しびれのような振動を明らかに感じるからね。脳卒中のしびれとは違うよ。あははは。

 初めて座禅とかをして、動きだす時に、足がしびれるというのがあるけど、あの感じも似ているけどね。そのしびれに慣れてくれば、座禅の場合は、そういう振動が微細になって安楽に感じるんだけどね。座禅を始めて3年~20年ぐらいはかかるわな。そうなってくると、行の成就も近いけどね。まー、そこから先もあるしね。

 ざっくり言ってしまえば、音楽だって空気の振動だからね。いい気の流れとか魂がこもっている音や声とか、いろいろとあって、その音程とリズムの振動が、身体に及ぼす影響はあるだろうね。癒しになる音楽や、ストレスになる音楽だってあるしね。

 るいも、しばらくの間は、振動とタイミングで生きて行くしかないのかもね。感情を押さえないで、感情を超えてないといけないやな。それが、センセーションだね。感情を、まともに受けて立つとしても、個人の記憶については、理解してもらうのも、理解するのも難しい事だからね。そういう風になっちまったんだからね。

 るいは、上手く説明しても結論は同じだといつも思っていて、その場を逃げるけど、それは、消えるしかないと直感的に解っているという、るいのサインかもね。でも、消えないから、一人になって橋の上に立っているわけだからね。

 ジョーは、まだ、そんなるいの上っ面を舐めているところが有るから、深くは理解できてないだろうね。それとも、明日のジョーみたいに、まっ白になるまで、るいへトランペットを吹くつもりなのかね。仮にそうだとして、それは女という生き物に通じるかね?。胸キュンはあるかも知れないけど、その立場は、キュンとして過ぎて行った男、ジョーだろうね。まー、それはそれでいいけどね。トランペットの風だから。「よっ、ジョー、カッコイイ」あはははは。まっ、冷静に見ると微妙にしょぼいけど、それは、愛嬌という事にした方がよろしゅうございますね。

 今日は、「鳴らぬなら、捨ててしまえ、風鈴ちゃん」「鳴らぬなら、鳴らせてみよう、風鈴ちゃん」「鳴らぬなら、鳴るまで待とう、風鈴ちゃん」、ジョーはどうするんでしょうか、の一席でした。時間切れはありますからね。。。

 ところで、今日の初めのところあった、ジョーのトランペットの吹き替えは、やっぱり、ランディ・ブレッカーだろう。グラミー賞を何回か取っている人だよね。違うかなぁ。俺は、そうだと思うけどね。ランディ・ブレッカーは、真っ白になったのかね。それとも、アメリカだから薬物に走ったのかなぁ。どうだろうねぇ。とりあえず、お前のジャズCDの演奏をした時は、生きていたよね。どうしているんだろうね。悠々自適に暮らしているのかなぁ。さて、修法だ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。