おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

るいはクリーニング店の夫婦に、ジャズ喫茶主催のナイト&ディコンサートに行きたいので、休みが欲しいと申し出た。勇気を出した。しかし、ジョーに誘われたことは、言えなかった。

 夫婦は休みを快諾してくれた。そして、女将さんはるいを連れて、コンサートに行く為の洋服を買いに行った。二人は、とても楽しそうだ。夫婦には子供が居ないらしい。るいは、家族の暖かさを少し感じたのかもしれない。家族って、上手く行けば楽しいものなんだね。

 ジャズ喫茶では、トランぺッターのトミーが荒れている。渡辺貞夫という人が、ジャズの為に自分より先に渡米するのが、勘に触るらしい。トミーは、かまってちゃんかもね。

 さて、コンサートの夜だ。ナイト&ディ・サマーフェスティバルだ。トミーは、るいがキジマ制服のお嬢様だと気づいているようだ。会場で、るいの横に座つているのは、昔からのジョーのファンの女性だ。るいに、いろいろと言って、ジョーの事については引き下がれと言っている感じだ。そういう風に言われたら、るいは、女として引き下がれないよね。

 るいはジョーのトランペットを聞いて、幼いころに安子と仲良く頑張っていた時のことを、思い出していた。忘れられないんだね。るいにとっての暖かいところは、そのころの思い出しかないからね。もう、誰かれなく譲ってる自分だけど、それを言ってもしょうがないから、とりあえずもう100歩譲って、今この時だけ、ジャズの音色に脱力と緩和すれば、誰が悪いわけでもないよな気分でもあるし、、ただね、なんか微かな暖かさが欲しいんだろうよね。

 るいは、大人だね。本当の自分の気持ちみたいなのを言うには、いつも安子の気持ちやその時々の事情があるから、黙るか、その場を逃げ出すか、軽い嘘で誤魔化すかしかなかったけど、それでも、汚くなくなることだけは避けてきた、という感じの大人になっていたのかもね。るいは、19歳か、二十歳だね。

 ジョーのジャズトランペットの音が、あの時に封じ込めた幼くて暖かかった安子の面影と思い出を、反芻させているようだ。るいは、座ったまま、半分だけパニックだ。鳴らなくなった風鈴へ、風が、音になって、吹いて、行く。

 しかし、あらためて見ると、なんか、日本人にはジャズが似合わないね。なんであんなに構えるのかね。日本人の癖だよね。ジャズは、「こうだ」と思いたいんだろうね。芯のところが、誰がなんと言おうと「俺のジャズ」。。・・じゃないんだよね。

 つらつらと考えるのに、日本人は、枠や規則が好きなんだね。音楽も七音の規則だしね。だとしたら、ジャズの持つ脱力と規則が、ぶつかるだろう・・・。そうすると、日本人のジャズマンは、舞台の上にいるわけだし、構えるしかないやな。困ったねーー。日本人には、「俺のジャズ」と言っても、その意図が通じないだろうよね。困ったねー。

 アメリカ人のジャズ気分は、たぶん、義務から、このひと時の自由へなんだろうね。ただし、その義務が正しいかどうかは、別の問題なんだけどね。とりあえず、「自由」へ行けばいいや、ということなんだろうね。もしかしたら、アメリカ人は義務の前に、「何かを守っていないとか、やるべき何かをやってない」、というのが、心の根本のところであるのかもね。だから、そこを見るよりも、義務を遂行するよりも、夢が有ったり、奇麗な自由のある所へ、早く入った方がいいと思っている感じかもね。つまり、途中の行いが少しぐらい汚くても、アメリカンドリームが先になるんだろうね。そのままだな。

 日本人のジャズは、、、義務だろうが、なんだろうが、自分を無いものにしてまで、目いっぱいにいろいろやって形にして来たんだよ、、、・・・だからあとは、脱力と緩和なんだよ、みたいなところが有って、どちらかと言うと、夢や自由へ行くというよりは、許しや諦めに近い「情」に入るんだね。ジョーの「情」だね。あはは。「ジョーのトランペットは、ネタの上等な寿司だ」と音楽の英才教育を受けたトミーが、言っていたな。その意味は「味だけだ」ってね。そういう事かぁ。

 日本のジャズは、義務も自由も関係なんだね。だから、脱力と緩和をすると、グダグダになり安いんだね。へーーーっ、そこかぁーー。参ったね。

 敗戦の後の日本人が欲しかったのは、脱力と緩和だけだったんだね。必死で戦ったからね。分かるよね。でもそれって、たちばなの安子のぼた餅だよね。なるほどね、そういう事かぁ。

 そりゃー、るいも安子とのことを思い出すわなぁ。ジョーのトランペットの音が、るいにとってのぼた餅だ。あらら、るいは、ジョーにハマってしまいそうだね。金がかかるねーー。あらーー。

 まー、それでも、るいの中の思い出と精神が、何かの解決を見て、回復するのならいいけどね。しかし、ジョーで、大ジョーぶかよ、という感じもするね。ジョーに音楽の基礎はなさそうだから、センスを間違えると、腐ったぼた餅になりそうだよね。難しいところだね。

 まっ、るいが、男も含めて、その男以外で、自分の人生に何を求めて歩むかだろうね。るいには、結婚すれば子育てもあるだろうし、家事もあるだろうし、仕事もあるだろうし、することがいっぱいあるなぁ。

 女子と女は、自分を返り観るのが、性質的に苦手なんだと思っていたけど、これじゃぁ、忙しくて自分の心を平静にして、自分を観ている暇はないやな。刹那においてでもね。せいぜい、化粧をする時に鏡を見るぐらいだね。だから、女子は「今日もかわいい、がんばってるぅ」だけで、あとは、自分については、たいしたものを観ないようになるんだろうね。ついでに、周りの事も、見たり、観なかったりなんだろうね。ある思いというか、恋に燃えている時は特にそうなんだろうね。相手の男に、少しでもいいところが有れば、突き進んじゃうんだろうね。

 るいはジョーに惚れちゃう感じだな。まー、でも、るいは安子に対する思いを、安子の為を思って、バリバリに押さえていたわけで、、その押さえていたタガが外れて、るいの魂が復活するのなら、それはそれでいいとこだよね。その後は、別にジョーでなくても、いいやな。

 ジョーよ、ヤサッ、譲一郎ヨ、お前は上等なネタを使う寿司屋の、千切り大根だな。早い話が、刺身のツマだな。この場合、刺身は、るいだな。あははは。

 まーな、譲一郎の役の、オダギリジョーはそういう男だよ。つまり、白い千切り大根なんだけど刺身のツマな訳で、自身では「本物とは、現実的に考えて、いったい何なんだろう。掴んでいる気もするんだけど・・・」とか思いながら、一生を過ごしそうな男かもね。「心配すんな、オダギリジョー」、転機はあるよ。この事については、全く、本人も自覚していると、俺は思うけどね。あはははは。

 あえて、俺が余計なことを言うと、オダギリジョーは、刺身のツマになった千切り大根で、悩むよりは、おでんで言うところの、味のしみた大根になった方が、モテると思うな。秋から冬のころだけだけどね。ジョーという名前は、イメージとして秋から冬だよね。春ではないわな。・・・合掌。

 漫画の「あしたの(ない)、ジョー」なんだね。「立つんだ、ジョーー」「とっつぁん、真っ白だぜ」。←、しかし、白いけど刺身のツマの大根じゃ、格好がつかないやな。やっぱ、ジョー、おでんの大根に成れ。以上。

 今日は、るいより、ジョー、の一席でした。あっ、大根役者という意味じゃないよ。

 オダギリジョーーーぉ、あのね、部屋を暗くして、小学校の理科室にあるような骸骨を見ながら、ウヰスキーを舐めて、やすらいでいる場合じゃねーぞ。物質的にも本物を知りたかったら、骨から出汁を取ってでも、自分を煮ろ。美味しいおでんになれば、誰かが喜んでくれるかもよ。本物としてモテるかもよ。それから、立ち上がればいいさね。明日のジョーの団平のおちゃんが言っていたな、「ジョーー、立つんだジョーー」。。。俺の言う、空気体瞑想でもしてみたらどうですか?。さて、修法だよ。

今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。