おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 るいには、初の給料が出た。少し色がついているみたいだ。大阪に来て、やっと一ヶ月だ。るいが、全部を貯金すると言っていたら、女将さんは「若い女の子なんだから、少しでいいからお金を使って、人生を楽しみなさい」と強く言った。女将さんは、忍んでいること自体に麻痺して真面目に仕事をしている、るいに、生きていることを、楽しませたいんだろうね。クリーニング屋の親父が女房役をして、「言い方がきついよねぇ」とかと言いながら、るいに気を使っている。それが、あの旦那には、ピッタリとしていい味だよね。あはは。

 るいが、給料を持って街中を歩いていると、偶然にも、ジョーとぶつかった。それで、ジョーにレコードを買う事を進められた。けど、プレーヤーが無いという事で、、止めた。

 すると、ジョーがコーヒーを飲もうと言い始めて、住家のジャズ喫茶に行くことになった。店に着くと、ジャズ演奏者のトミーとかという男も来て、るいというの名前の由来について、話がいろいろと進んだ。けど、るいは、本当のことは言わなかった。野球のベースの「塁(るい)」になってしまった。ルイアームストロングの「るい」だと、彼女は、口が裂けても言いたくなかったみたいだ。母親の安子との思い出は、捨てようともしているんだね。でも、いい思い出?の額の傷は残しているけどね。るいの中では、何も解決していないんだね。「忍」あるのみだね。

 店に居られない気分になって、るいが店を出ると、ジョーが追っかけて来て、クリーニング屋の女将さんが、「好きな事にお金を使いなさい」と言ったのは、女将さんが戦争中と戦後のどさくさの時期に欲しいものも買えなかった、そういう記憶があるからじゃないかと、るいに話した。るいは、その言葉を聞いて、初めて、ジョーに触れたような気がしたようだ。

 しかし、ジョーよ、それはどうだろうね。浅いかもね。そもそも戦中戦後は、食い物がなくて、民衆はいっつも腹が減っていたようだからね。好きなものを買うどころの話じゃなかったかもね。

 つまりは、悪くもない日本が、歴史に出て来ないところでの切り取り情報や自作自演のフェイク情報で、半島人や大陸型人に、騙されて、開戦となり、結局、日本人は地獄や餓鬼界へ落とされたんだろうからね。

 ただね、日本国中がそうだったから、まだ救われるところがあったよね。るいもそうだけど、何がどうで、どうゆう訳でも、そして、理不尽でも辛くても汚くても、それでも結局、全体として崩れなかったのが、日本なんだよね。全体としてだけどね。ゴミな奴は、いるけどね。今でもね。マスゴミだね。

 ジョーは、大月譲一郎と言うんだね。るいは、譲一郎の出演するコンサートに誘われた。彼女は、そのことをクリーニング店の夫婦に話そうとしている。勇気がいるんだね。

 だけど、るい役の女優さんも悪くはないけど、もう少し、若実のある人はいなかったのかな。深津絵里さんは、子供が二人ぐらいいるように見えるんだよね。20歳前後の感じというのをかもし出すには、さすがに、不安定になるよね。まっ、不安定な女の子役ではあるけどね。不安定の意味が違うか。

 30代で、誰かいないかったのかなぁ。元AKBの前田敦子あたりなら、ビジュアル的には何とかなりそうだけどね。彼女は、結婚して子供が居るよね。だとしたら違うな。俺は、子供が居ないほうがいいと思うんだけど、ぱっと、考えるのに、いないねーー。俺はテレビに出ている芸能人もよく分からないけど、適役がいそうにないやな。

 オーディションをしてみれば、面白かったかもね。最近の朝ドラは、名前の売れている人を使っているらしいからね。だけど、そもそも、るいの性格で、芸能人になろうとかと思う人は、いないやな。オーディションをしても無理かぁ。今のるい役の深津絵里さんには、凄い負担がかかっているのかもね。

 役者じゃなくて、一般のOLとかの中に、痩せていて、るいみたいな雰囲気の女子はいるには、いるよね。噂によると、結構、男好きらしい人だったんだよね。人との付き合いの少ない俺の耳に入るぐらいだから、相当だったんだろうね。たぶん、女子には男が必要なんだろうね。「こいつでも、いいかぁー。それでも男だからね」なんだろうね。可哀そう。あははは。でも、ある意味で真理だよね。そこの真理において、女に愛があるかよりも、男の愛があるか、そして、それが(女に)見えるか、というのが恋愛の境目なんだろうね。ここは難しいよね。

 男と女で、同じ物を見ていたり感じたりしていていも、微妙精妙に、その感じ方が違うからね。まっ、そういう癖のあるのが、人間の世界の性質なんだけどね。真っすぐ通じるのは、難しいよね。

 男と女が微妙精妙にずれているから、上手く流れて行く時もあるしね。それが寂しく思う時もあるしね。色々と心に溜まるよね。溜まり過ぎて、熟年離婚になるのかもね。

 女房にしてみれば、「義務は、果たしたわよ。ぬれ落ち葉さん。もう、可哀そうに思うことも、恨みに思うことも、憐れに思うことも、ないのよねぇーー」とかと言っちゃってさ。。。まっ、旦那は「お見事」と言うしかないやな。あははは。女房役の方からの捨て台詞があるとしたら「あなたが自分を捨てて働いたように、私も自分を捨てて、あげたわよ」かもね。凄いよね。なんか、朝ドラのクリーニング屋の亭主は、そういうのが似合いそうでもあるよね。あはははは。るいがジョーと結婚しても、なんかそんな感じになりそうな気がするな。

 漫談の公麿さんのように「あれから、40年」でございましょうかね。「たいしたことは、何もありませんでしたけど、あれから40年、夢も無くなり、愛もなくなり、寿命も少なくなくなりました。あとは亭主を無くすだけ」でございましょうかね。・・・「あら、まだ(生きて)いたの?。丈夫ねぇー」とか言われちゃうんでしょうね。あははは。

「頑張れーーー」、クリーニング屋の親父もどきさんたちーー。

 だから、だから、俺の言う、空気体瞑想でもしてみたらいいよ。きっと、人生のシワも染みも浄化されて、綺麗になるから。散りも積もれば山となるだからね。どおってことない低い山の人生でも、浄化して奇麗な俺の心の山にしたらいいよ。

 花咲か爺さんじゃないけど、灰になる前に、空気体瞑想をして、年の功で、現実においての心の中の山に、誰かの為の、小さな花を咲かせておきましょう。これを無相の徳を積むとも言います。どうせ、家の中では、居ても居なくてもいい空気みたいな存在になっているんでしょ。だったら、文字通り、空気体瞑想でしょう。あはははは。

 今日は、亀の甲より年の功、見ず知らずの誰かが持っている小さな善き華が枯れていたら、年の功の灰をかけて(空気体瞑想をして)、咲かせてあげましょう。「亀の好(こう)より、年の幸(こう)でございます。」の一席でした。

 あっ、るい役の深津絵里に必要なのは、今のままの芝居で、気分だけでいいんだけど、、演技にも出ても出なくていいから、心のベースに「亀の好より、年の幸」的なものを持てばいいのかもね。楽になるかもね。安子は、そういう女だったよね。深津絵里も、そういう気が流れているのかもね。どうだろうね。だから、配役に選ばれたのかもね。さて、修法だ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。