おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。明けまして、おめでとうございます。
るいは、宇宙人と呼んでいたあの男が、トランぺッターだという事を知った。その男が演奏しいているジャズ喫茶に、迷い込んだようだ。るいの気分は、何がどうなっているのか、自分ではよく分からないようだ。ジャズ喫茶の人々の、わざとらしい名前を、お互いに連呼する不自然な世界、それも、感覚に合わないようだ。
額の傷を、弁護士もどきの片桐に見られてから、るいは全部がみじめで、何がどうなったか、分からなくなってる。ただ、宇宙人と呼んでいた男は、仲間にジョーとかとと呼ばれていて、るいは、なぜか、ジャズ喫茶の席に座って、ジョージと話をしている。しかし、話は、合わない。
るいは、ジャズ喫茶の店長に、その店から出る洗濯物を大量に頼まれて、クリーニング店に帰って来た。その時のるいは、なぜか、少し明るく笑えるようになっていたようだ。クリーニング店の親父さんが、それに気づいている。るいは、ジョーのトランペットのジャズを聴いて、その脱力感と緩和で、少し癒されたのかもね。るいも、感情において、ギリギリだったんだろうね。
人生をかけているギリギリのツッパリや意地を、溶かして行くのが、ジャズなのかな???。俺には、どうもよく分からないんだよね。
ルイアームストロングのジャズは、その意図するところが、中身の範囲が広い演歌ように、俺には聞こえるんだよね。違うのかなぁ。まー、俺は、ルイアームストロングも、CMぐらいでしか、聞いたことはないんだけどね。あはははは。
ジャズとは、「嫌だねったら、やだね」の脱力演歌の緩和であって、しかも、「箱根八里」のこの世界を越えて行きたいもののように、俺には感じるんだよね。何かの夢を見て、その世界を生きているお芝居を、芝居と知りながら、生きていいたいのが、ジャズなのかもね?。俺には、そんな感じがするよね。つまり、自分の前にはどうしようもない現実があるだけ、なんだろうね。だから、そのジャズの意識範囲が広ければ、まだ夢を語っても、格好は着くけど、その意識範囲が、狭いと、ままごとだよね。マボロシを語っていることになるよね。
あれ?、日本のジャズが、捕まっているところはここかぁー。遠慮なく言ってしまえば、日本のジャズは、別な世界に憧れて、ままごとをしている感じなのかもね。あらー、日本は敗戦のショックとGHQの日本文化の破壊と、日本人をアメリカナイズするための洗脳(染脳)教育で、GHQにより、大衆は、その全てが混乱になって、現実というよりは別な世界に、癒しを求めるようになったのかも知れないね。るいもジョーたちも、そういう感じだな。
つまりるいは、ジャズ喫茶のディズニーランドに行った感じなんだろうね。俺は、ディズニーランドへ行ったことがないけど、むかし、男の保育士が、「一度、行ってみてください、ぶっ飛びますよーー」とかと言っていたからね。「別に、俺はこの世で飛んでるし・・行かなくてもいいや」。ジャズ喫茶にいる、るいも、生きたままごとに触れたというよりは、訳が分からなくなって、ぶっ飛んだんだろうね。
あらら、これは、るいが明るくなったと言いながらも、危ないなぁ。こりゃー、弁護士の片桐との失恋?もジョーとの恋も、このままま、半分ままごとの世界の恋になりそうだね。
あれなんだね、戦争に負けて、相手の事を考えるはずの恋愛までもが、恋の自由みたいな価値観へと、その心のバランス移行して、恋愛中も自分の事が主になる様に、各人の恋心の中身が移行たんだね。自分本位の恋が主流になったんだろうね。
だけど、るいの場合は、その自身の中身に、多くの悲しみをいわれなく背負わされていて、、、(もともと、性善説の善い文化のあった日本だけど、騙された始めさせられた戦争だったから、敗戦すればなおの事、その悲しみは深いよね)、、、そこに脱力と緩和のジャズがハマったんだね。るいもそれだ。しかも、恋愛が絡んでいる。その上に、クリーニング店の夫婦も、るいの人生をよく理解している風だから、あーぁ~、悩みは重いやな。純正日本人の能力だったら、そういうのは、普通に感じることだけどね。あらーーー。そういう事かぁ。
だとしたら、誰かが、バリバリの演歌道を生きるしかないやな。だから昭和は、演歌が主流だったんだね。「俺がやらなきゃ、誰がやる」だよね。渥美清の「泣いてたまるか」だよね。ピッタリ、時代にハマっているね。そいう事かぁ。
日本の善き文化が崩れたから、そこで突っ張って、いい意地を張って、みんな頑張っていたんだね。企業戦士だね。それがちょうど、戦後の復興から高度成長期なんだね。るいは、戦中に生まれたんだから、その初めの人なんだね。だから、団塊の世代とも少し違って、その一つ前の世代の価値観なんだね。
とどのつまりは、GHQは、日本の壊しちゃいけない物を、壊したという事だね。まー「ドブに落ちても、根の有る奴は、いつかは蓮の花と咲く」という、寅さんの主題歌もあるけど、バリバリの演歌の作詞だよね。真理で頑張ろう!という事だったのかもね。
演歌は、どうしようもない事に対しての、許しのような脱力と
緩和のあるジャズの世界とかとも違うし、正義の世界を夢見ようとするディズニーの世界とかとも、違う感じだね。
こりゃー、るいは、これからの恋愛も含めて、複雑だな。でも、一つ救いがあるとしたら、クリーニング店で汚れを落とす仕事をしているからね。そこで、なんとか人格が、保てるかもね。地道に、世の中や人の汚したものを、とりあえず、元のように綺麗にしているんだからね。そこは精神が保てるところだろうよね。GHQにアメリカナイズされながらもね。全体、この事に関して、GHQとアメリカの業は深いね。責任は、大きいね。善を壊したんだからね。自分たちが善だと思ってね。お粗末だね。考えたようで、言ったもん勝ち、やったもん勝ちの大陸型人らしい、雑さだよね。
とどのつまり、結局、大陸型人は壊すことしかできないんだろうね。その破壊の業が、最後に自分たちにかかって来て、その厄を別な世界の人に押し付けるのだろうけど、力及ばず、聖書やイスラム教のような、全体的な終末論になるんだろうね。それでも、善き者は最期に救われるという教えだけどね。
もちろん、なんかね、その辺のやりくりが、人生のドラマだと言えば、そうだけど、今一つ、一周廻って頑張ってやっている割には、人生という時間の無駄遣いのような気もするけどね。もういいでしょう。考えただけで分かることでしょう、と俺は思うけど、現実は、やってみて、取り返しのつかない痛い目に会わないと、みんなも分からないんだろうね。現実だね。
そして、この世にある、マボロシのような別な世界に憧れるんだろうね。ジャズだね。ままごとだね。
という事は、脱力と緩和とままごとの中で、綺麗になるか、清浄になるか、成長は出来るか、というところが、ミソなんだろうね。ままごとで成長する為には、何が必要なのかね。ここだね。
だからーー、まず、本物かままごとかを見分ける目が必要だよね。理屈と屁理屈が多いい世の中だからね。ままごとだって、本物のように見せちゃうからね。言ってしまえば、本物を見る目も偽物を見る目も、その目は、どちらもこの世界の中で見ているわけだから、そこが、堂々巡りになる所縁だよね。同じようなことを繰り返しているところだろうね。業が焦げ付いてしまうところだよね。上塗りを繰り返すこの世という油絵だね。
だから、現実とままごとを見分ける目が、この世界にあるままだったら、ダメなんだろうね。たとえ、アホな繰り返しだけには気づいていても、堂々巡りから抜け出せないんだろうね。
その見分ける目をどう身に付けるかだろうね。聖書で言うと、主なる神様の世界から観た目が、一番いいんだろうね。空や空性(くうやくうせい)の世界から観る目、という事だね。じゃぁ、まず、空や空性を知らないといけないやな。これが、とても難しいやな。まっ、とりあえず、俺の言う、空気体瞑想でもしてください、という答えでございましょうかね。今どき、難行苦行なんて、誰もしないやな。好きな事なら、みんな頑張るけどね。まして、現実問題とかは、解決したとしても、姑息な成就が多いいからね。汚れだよね。
今日は、進化の為に、本物とままごとのを見分ける目をもちましょう。そのためには空気体瞑想をして、空や空性を身体で体感できるようになり、善き目を開花させましょう、の一席でした。さて、修法だよ。
今日は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素という空気)のようなものに包まれている事を思い、その後、そこで透明な息をしている感じになり、、そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。そこで雑念が出て来たら、雑念のなかで、雑念自体に気づいた時に、いつもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。