おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。
大阪では、映画が、娯楽として庶民の中で大ブームのようだ。剣術の映画がヒットしているんだね。
クリーニング店へ洗濯物を取りに来た弁護士の卵の青年と、るいは、オーヘンリーが書いた本のストーリなどの話を、するようになった。その本の主人公の女性は、女の思い込みが理由で、失恋したみたいだ。女の思い込みは、確認をすれば間違わないのに、どういう訳か、その女の行動の方が、いつも先にあるよね。好きな男に対して慣れてくると、言わなくてもいい事を言ったり、しなくてもいい事を、よくするよね。好きな男を取り込みたいのだろうね。でも男は、女が思うところと似たような、違うところを生きていることが多いいんだよね。賢い女にならにと、悩みが増えるな。・・・合掌。
その青年は片桐というらしい、彼が洗濯物として預けて帰ったスーツのポケットの中に、映画の切符があって、るいに一緒に行けませんか?とメッセージが書いてある。るいは、運良くそれを見つけた。
さっそく、るいは、片桐とデートだ。彼は、弁護士になるというのが自慢らしい。二人で、歩きながら話をしていると、風が吹いて、るいの額の傷が露わになった。青年は平静を装ったが、るいは「すいません」と言って、その場を走って逃げた。どうもその後、るいは惨め感でいっぱいだったようだ。
これは、どう言ったらいいのかな?。まー、「鬼滅の刃」だったら、額の傷は、タンジロウにもあるし、キメツ隊の親方にもあるよね。剣術師の月形半平太にもあるけどね。でも、るいは、女の子だからね。剣術師じゃないやな。
るいが、びくびくして生きているのが、どうも、なんか、不幸癖だよね。安子が、ロバートとの恋へ走った時に、るいは自分の存在価値がよく分からなくなったかもね。その上、女の顔として、額の傷は気になるしね。悪い事もしていないのに、びくびくして生きるようになるよね。
デートがみじめな結末になった帰り道に、るいは、バンド演奏している店へ一人で、立ち寄った。まっ直ぐ帰れないやな。そこに、トランペットを演奏している若者がいて、るいが宇宙人と呼んでいる、あの若い男だった。じゃぁ、るいは、恋の相手をこっちにするのかな?。まーとりあえず、自分の存在価値があやふやで、びくびくしているるいは、恋をして、ドーパミンとオキシドシンを脳内に出しておかないと、やっぱし、生きて行くのが寂しいやな。
そう考えると、恋愛結婚でも、見合い結婚でも、生きて行く条件として、脳内にドーパミンとオキシドシンが出れば、夫婦生活が上手く行くのかな。生活に関する金銭的な面は別だけどね。まー、人生には、事故も病気もあるし浮気もあるから、脳内物質だけを取り上げるのはどうかと思うけど、とりあえず、脳内で、ドーパミンとオキシドシンが作られる量を、何かで計測できれば、人生の役に立つかもね。スマホでも計測できる、そんなアプリが開発されれば面白いかもね。
男と女で、お互いの額に、スマホのセンサーをあてて、「キャーー、ドーパミン、メガ出ェー」とかと言って、合コンで楽しむ奴らはいるだろうね。恋愛も、機械というセンサーからの時代になるのかな?。じゃぁ、ドーパミンやオキシドシンが出なくなったら、別れるのかな。ふーーん。あははは。あーぁ~、だね。
あっ、でも、たいして好きでもないのに、遊びで付き合おうとしてる奴は、よく判明するかまもね。違うかなぁ。
男と女の間では、遊びの恋のつもりが、本気になるというのもあるらしいし、だいたい、セロトニン系の人間だったら、ドーパミンやオキシドシンが出るとは限らないしね。逆に、惚れやすくて、脳内物質が出やすい人もいるだろうし、センサーの恋自体が、遊びかな?。恋の遊びをしては、その時々の脳内物質の量を測るのは、面白そうだけどね。心拍数もデーターに入れたらいいね。
となると、脳内物質と脳波と心拍数と呼吸数を測れる装置が、家庭用としてあればいいんだね。健康も夫婦の生活においての気分も、診断できるよね。あと、今日の占いも判断基準として、入れたらいいね。あははは。毎朝、夫婦と子供でチェックだね。
診断結果が不調だと、「何か心配事でもあるの?」とかと聞けるもんね。夫婦の思いやりには繋がるわな。愛にも繋がるかな?。
「お前、今日は調子が悪いんだな、しめしめ」とかと、相手の不幸を喜んでいたら、信頼関係は覚めるよね。相手がわがままに見えたり、自分を解ってくれなかったりする時には、そういう気分の時はあるけどね。
いずれにしても、数値が見えて、夫婦で話が出来れば、まー、無難なところに治まる可能性は、大きいよね。DV対策にも、効果があるかもね。DVとかは、お互いに、もうギリギリまで来ていて、反射的に手が出たり、言葉が出たりするんだろうからね。危ないと思ったら「ちょっと待って、測定してみよう、お互いの存在価値の確認をしよう」とかと言えば、治まったりしてね。あははは。夢かな。
あとは、アダムとエバの関係みたいに、どうせ足りないんだから、その足りないところをどう贖うかについての話し合いをすればいいかもね。まっ、当然、いいアイデアは出てこないだろうけど、何かが分かるかもしれないしね。とりあえず、自分の思い込みだけは、脳内物質の動きとして、見える化が出来るかも知れないしね。結果は、自分の出来の悪さに、余計にみじめになったりしてね。でもまー、検査結果が全てじゃないから、それはそれで、みじめなところが良くなればいい訳で、調べる価値は、ありそうだよね。自分の為にね。
哲学の答えや自己認識も、センサーを利用して計測する時代になって来たんだね。
そう考えると、自由だ平等だとかと、世間では、エセリベラルが騒いでいるけど、それとは別に、どこに居ても、規則しかない刑務所に居ても、戎しかない修行場に居ても、街中で楽しんで居ても、結局、自由は主観だし、不自由は規制だし、、平等は、「ある基盤や普遍的基盤からの測定値による」、自己認識だろうし、、不平等や差別は・・・なんだろう・・・正しい自己認識からの歪みかな?、良くても悪くても歪み自体を、自他の間でコネているのが不平等や差別かもね。
「平等」を言うのなら、個人個人について、より精度の高い何かの測定値を出して、受け入れるしかないやな。ただね、テストの点数が全てではないように、測定値が全てでもないだろうけどね。じゃぁ、その全てではない測定値、そこの不完全を突いて、みんなで、ゴネ廻してみますか。エセリベラルみたいにね。あははは。
そこを突き詰めると、「存在と生存の価値は有るのか」という事になるだろうね。世の中は、お前ら、早く消滅しろよ」とかと言うところまで来ているよね。
存在は、そこに存在しているんだから、しょうがないと言えば、しょうがないやな。しょうもない存在なら、生存するより、死んでくれよ、消えてくれよ、と思うけどね。こいつらがなかなか死なない。そうこうしていたら、泥坊や犯罪をした奴らでも「俺にも生きる権利がある、平等だぁーー」とか、言い始めるんだよね。
だとしたら、要は、全体、大切にされたいという事だよね。
クリーニング店の奥さんは、一番初めに、るいの額の傷の話を聞いて、旦那へ向けて「あの子は、大切にしてあげようね」と魂から言っていたよね。稔が戦死して、安子とるいの成り行きの事情もあったしね。安子とるいは、生き方という生存の価値において、いい事はしても、悪い事はしてなかったからね。大切にしたいと思うよね。いい人間ならね。
じゃぁ、みんな、そのように大切にされたいわけだから、この世で最も大切にされたり、しなければいけない事や生き物は、なんですか?と聞きたくなるよね。
普通に何となくだけど、それらの本質を知っているつもりで言っている、「愛」ですか?「神」ですか?「お金や物」ですか?「権力や権威や地位」ですか?と聞きたくなるわな。人それぞれだよね。その時々に、都合のいい価値観を引っ張りだしているだけだよね。あとは、もっともらしく言ったもん勝ちにすればいいんだよね。人間は、これを議論と呼んでいるのかな?話し合いと言うのかな?、イヤ、これらの全体を、自由というのかな、支配というのかな。「自由に議論する」なのかな、話し合いの上での支配なのかな、まー、とりあえず、ご苦労様です。あははは。
で?、相変わらず、ピンからキリまで、大切にされたいんだよね。大切なものを知らないで、粗末にしていた時も多くあるくせに、大切にされたいんだよね。・・無理でしょ。
だって「この世で、最も大切にされたり、大切にしなければいけないものは、なんですか?」と聞いているという事自体が、自分は知らないということの証拠でしょ。わざと試して聞いたのなら別だけどね。だから、いつも誰もが大切にされたくても、大切にしにくくなちゃうんだよね。ここだよね。
お釈迦様は、この世とあの世を通して、最も大切なものは、「普遍的基盤・透明な空(くう)」だと説かれていますね。「空(くう)=シューニアタァー」ですね、お釈迦さんの時代の発音、シューニアタァー、だね。サトワという大調和の響きなんだね。天然のダルマエネルギーと調和した時の意識の響きかもね。
ただね、このシューニアタァーの響きは、汚れた人たちにとっては、その消滅を要求しているのと同じですからね。汚れている人は嫌ったり、からかったりしますね。
つまり、この世とあの世を通して最も大切なものを嫌って、自分は大切にされたいんですね。で、理屈や屁理屈をコネて焦げ付かせて、全部を破壊に陥れようとしている感じですね。口では、新しい世界へとか、改革とか言っているような、エセリベラルがそれですね。バレてますけどね。しかも、上手く行かないし。
シューニアタァーとの共鳴率の高い人にとっては、シューニアタァーという普遍的基盤は、進化を促進する善いもですから、黙っていても大切にしますね。つまり、透明な空や空性(くうやくうせい)を大切にするわけです。
だから、善き人達や神様や聖者に大切にされたいと思うのなら、自分の深層意識の一番深いところが、透明な空や空性と良く共鳴するようにすることが、まずは必要ですよね。その先もありますけどね。今みたいな汚れが焦げ付いた世の中では、いろいろと抵抗も多いですけど、それでも、人間たちが透明な空や空性との共鳴率を増やすという事は、普遍的に価値があると言えますけどね。大切にされる方向へ向かうんですから、永遠の命の生き方にも繋がりますし、重要でしょ。生存価値が出て来るでしょ。なので、私は、空気体瞑想を広めています。
まっ、世の中の汚れは激しいですから、空気体瞑想を始めても、なかなかすぐに善きことが起きるというのは、厳しいかも知れませんけどね。そこは、何事も真っすぐにコツコツとコツをわきまえることでしょうね。あとは、その人の意識範囲のレベルと広さで違ってきますね。松は松、竹は竹でございますね。差別ではありません。区別です。これが本当の多様性です。
今日は、大切にされたり、大切にしたりしたければ、この世とあの世通して、最も大切な基盤の透明な空や空性であるシューニアタァーを、意識と身体に取り入れるように、保持するように、刻み付けるように、静かに空気体瞑想をしましょう、の一席でした。
ただね、これは、自分で気づいてよく解るまでは、自分の中や外にある汚れ、その抵抗も多いいですよ。天涯孤独の一人歩きです。でも、やがて大切にされるかもね。さて、修法だよ。
今日の修法は、恐れ多くも賢くも日本国と日本国民の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気のようなものに包まれている事を思い、そして、そこで透明な息をしている感じになって、、、そのようにして行う空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。その後、雑念が出て来たら、雑念のなかで雑念自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。