おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)

 

 カムカムエブリイバディ、見ていますか?。

 るいは、クリーニングの仕事で染み抜きをするたびに、自分の過去も掃除をしている気がしていた。それが好きだった。お清めが好きなんだね。自分を立てなおすための、るいの気分は順調のようだ。もう、一月が以上が経っていたんだね。

 そんな時、この前の男性が洗濯物を取りに来た。名前を聞き忘れた人だ。るいは、このマイペースの変わった奴が好きになれないようだ。名前は、宇宙人のままだ。ただ、トランペットのフキ口が洗濯物のポケットに入っていた。

 安子は、クリーニング店にも慣れて、丁寧に暮らしているようだ。それに、古本屋でアルバイトをしたせいか、文学少女になっているのかも知れない。外の環境が、あんまり面白いともいけないから、内観的な思考のある女子になったのかもね。

 そんな時、クリーニングを頼まれた客から、るいは、金目当ての言いがかりをつけられた。スーツの裾が破れていた、というクレームだ。るいが、騒ぎ立てる客に対応していると、時々来る二枚目の真面目そうな男性が、そのチンピラを追い払ってくれた。

その二枚目の彼はどうも弁護士の卵のようだ。でも、なんか、出来過ぎているな。大阪だからな、怪しいな。どうかな。このまま、るいは恋に落ちて、弁護士の卵と宇宙人の客の間で、恋に揺れるのかな。でもなんか、怪しいな。あの弁護士の卵と言う奴は、ぼう(小室)という名前かな?。俺にはスケコマシに見えるな。もしかして、その内に、るいは、風俗にでも売られるのかな?。あっ、でも額に傷があるからね。・・・、スケコマシは、早めに諦めるかもね。

 しかし、女子と女は、少し生活の流れが出来て来ると、いつも恋に恋して、男に恋なんだね。自分の脳内にオキシドシンとドーパミンを出したいんだね。しかしそれは、女子と女の根本的な寂しさの裏返し何だろうね。えーと、この寂しさについては、この前にも書いたけど、あれ?、なんの寂しさだったか・・・忘れた。あははは。まー、るいの気分は、天涯孤独だからね。スケコマシのヤクザには、引っかかりそうだよね。

 女子と女は、深い傷や寂しさを癒してくれる男よりも、忘れさせてくれる男が、好きなのかもね。癒すと次から次へと、小さい事から大きい事まで、あれやこれやが欲しくなって、愛を感じたくて、際限なく、汚ない自分になる感じもあるのかもね。「鬼滅の刃」の楼閣編の「女鬼」だね。その鬼になる前に、男が、何もかも忘れさせてくれれば、寂しがっている自分も全部、忘れさせてくれるからね。そんな男に金でも物でも愛でも尽くせば、男に愛を注いいでいる感じもするしね。愛の気の流れに燃えるよね。でもそれは自己陶酔なんだけどね。「アタシの無限の愛は凄い、きっと男も解ってくれるはず」みたいな感じでいるのかな。その後は、「かみさまーー、ワタシの運命は、なによぉーー」・・・だよね。

 しかし、るいの恋の相手は、音楽をやっている奴と、詐欺師のヤクザか、まー、そうは言ってもキジマのお嬢様だから仕方がないやな。

 となると、あれだな、るいが恋をしたとすると、服装が派手になって来るかもね。まー、良くなる訳はないやな。主人公が途中で良くなったら、ドラマにならないもんね。なんか、るいも幼い時から、いい子にしているのに、トラックとか自転車とかにぶつかって、傷が増えるという感じだね。いい子なのに、演歌なな女なんだね。五線譜のおんな、だね。るい役の女優が少し老け過ぎているけど、、というか、鳴らない風鈴が錆びている感じなんだろうね。だから、知らず知らずのうちに作り笑顔でやり過ごそうとして、そういう生き方が癖になっているのかもね。るいだね。

 だいたい、あのロバートがいけないんだろう。だけど、あれ?、安子もるいも、男は二枚目が好みなんだね。それも、しょぼい二枚目半が好きなんだね。神秘を感じるのかね。あっ、二枚目半だから少し足りないところが有って、その出会いに対して、余計に運命と神秘を自分の気づかないところで、感じてしまうのかもね。その出会いが、ヤクザとスケコマシが組んでいるような騙しでもね。るいに金があったら、そりゃーもう、コマされちゃって、大変だよね。あっ、えっ、キジマ制服は、大丈夫かな。勇は金があるし、るいを救ってくれそうだけどね。るいが、それをどう考えるかだよね。

 るいは安子が、自分を置いて、男とアメリカに行ったと思っているからね。その思いについては、半分は合っているけど、安子の二枚目半好きの血は、るいに受け付いている感じだしね。なんか、どこを取り上げても、幸せになれそうな要素が、ないやな。るいは、いい子なのにね。天涯孤独なのにね。この仕組みはなんなんだろうね??。

 だから、女自身が、深層意識の深い所で、自分を清浄な者だとは、思えてないんだろうね。男よりも女は、自己否定感が強いのかもね。『どこかで、自分が好きになれない』と感じているのかもね。それについて、いつもは見ないようにしているか、気づいてないかも知れないけどね。

 まー、聖書によるとだけど、女は、アダムのあばら骨から神様が作ったっ訳だし、どちらかと言うと、物質的な自分を、心の深い裏側で、女は感じいるんだろうね。それを、奇麗とか汚いかと言えば、女の返事は「奇麗にするわよ」になるのかも知れないね。でも、『ありのままの私も認めて、好きになってよ、なりなさいよ』だね。ここの心の、一瞬のターニングポイントが、天涯孤独感なんだろうね。一瞬だから、女の心も、すぐに通り過ぎるところだけどね。

 浅い深いは有っても、少女と女は、それを何回か繰り返すんだろうね。そして、傷の浅い深いもありながら、それでも、気分が上がったり下がったりしながら、年を取るにつれて、天涯孤独感に対する耐性が出来て来るのかもね。いやーー、大変ですね。

 だから、女子の上がったり下がったりの気分は、、女の中のホルモンのせいにもよるけど、、男としてはよく観察して、ほっておくしかないやな。あはははは。だけど、よく観察して、ほっておくって、とても難しいよね。女子という生き物には、賞味期限みたいな時間的限界感も内在しているようだしね。早く気づかないといけないんだからね。「あの時、なんで気づかなかったのよ。私を見てないんでしょ」になるからね。男、「えっとー。観てます。。。瞳の奥だけ」。。。二枚目だねーー。

 そう考えると、元宝塚の天海祐希(54歳)ような、「天涯孤独感を越えました」みたな女性には、女子と女からの人気が集まるもね。彼女は、「女子、女子」としていなからね。宝塚歌劇団で男役をしていたから、天海さんの中で、女の天涯孤独感が、男のそれに変わってきたんだろうね。孤独感に二種類あることに気づいているのかもね。

 もともと主なる神様(創造主)が天地創造のあと、アダム(人・男)に対して、エバ(人・女)を作った目的は、「人(男)が一人でいるのは良くない、彼の為にふさわしい助けを作ろう」と思われたり、感じられたりしたからだからね。つまり、アダムも天涯孤独で、あったんだろうね。

 土のチリで作られたけど神様から命の息吹を入れられた男の天涯孤独感と、その男の骨で作られた女の天涯孤独感は精妙微妙に違うんだろうね。男は、霊的(精神的)な天涯孤独だし、ほっておけば、やがて慣れるしかないんだよね。女は、聖書の中で、男のあばら骨から作ったと例えられているように、物質から出来ている天涯孤独感なんだろうから、男みたいにほっておいても、天涯孤独の寂しさに、慣れないんだろうね。命の息吹の問題だね。

 だから、その症状として、プレゼントとかの物質によるもので、それを愛に感じるし、近くに居る人(子供や男)が、自分の天涯孤独を埋める「愛」に感じやすいんだろうね。もちろん、症状は、その女の意識の進化レベルにもよるけどね。切なさも、胸キュンも、胸ジンもあるけどね。恋だね、愛だね。ドーパミンだぁ。

 天海祐希さんあたりは、男役をやっているうちに、女の天涯孤独感を振り切ったというか、超越したのかもね。。。「だから、何?」とか言われても、どうだろうねぇ。

 天涯孤独感に二種類あって、それに慣れたら、男と女として、二人が自立をしているけれども、やがて、その男と女は、二人でいる本当の幸せ感を見つけ出す、かも知れないと、という事かもね。

 これは、今の人間の男と女の集合意識から考えると、全体として、かなり難しい話のような気もするけどね。集合意識の進化のレベルがまだ低いからね。男と女で、お互いに依存してる方が、多いいやな。身体も心もお金や物質においてもね。それもいいんだけどね。そこに、絶望しないで、その次の段階に行けばいいんだけど、清い精神までは、ほど遠いよね。あははは。

 天涯孤独を乗り越えてない大衆に対して、そんな清い聖なる精神の事をのたまっていたら、バカじゃないかと思われちゃうよね。馬鹿じゃないんだけどね。

 まー、まずは、男と女の天涯孤独感というのは、違うという事を、恋人同士や夫婦間で気づかないといけないやな。そこの天涯孤独感に同情するか、愛情するかは、その人たちの問題だけどね。天海祐希さんは、「もう、一人でも自由でいいかなぁ」とかとテレビで言っていたかもね。

 男も女も、人生の舞台で、歌ってしまえば、演じてしまえば、「にんげんなんて、らっらっらーらららっらー」なんだろうね。そういう歌があったよね。吉田拓郎の「人間なんて」だったかな。るいも一度、聞いていみるといいよね。って、吉田拓郎は、昭和21年生まれなんだね。ほぼるいと同じ年だね。なるほどね。そいう事か。戦後すぐの時に生まれた赤ちゃんは、天涯孤独な者が多いいのかもね。男も女もね。彼らは、戦争孤児も孤児、世間の価値観も崩れてしまっていたし、赤ちゃんの時から敗戦孤児だったんだね。るいも拓郎もそれに近いんだね。こりゃー、るいは、今の若い者には演じられないやな。はぁーー~~。

 言ってしまえば、るいも吉田拓郎も、救われるためには、種類の違う天涯孤独感を知って、それを超えて、人間を越えるしかないんだろうね。そうしないと、「敗戦の赤ちゃん孤児」である自分にまた、敗戦だね。うーーーーーん。

 でも、天海祐希が現代において、男と女の2種類の天涯孤独感を、期せずして超えているから、そのこと自体が集合意識に一撃を与えていて、いい希望でございましょうね。あとは、いつ人間を越える時が来るのでございましょうかね。それはまた別な人でございましょうかね。

 今日は、「この世なんて、らっらっらーらららっらー」で、ございますね、の一席でした。さて、修法だよ。

今日の修法は、お前の分の福徳円満商売繫盛、技芸上達、千客万来、増長福寿収入増加の弁財天尊様の修法だよ。

 可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気のようなものに包まれている事を思い、そして、そこで透明な息をしている感じになって、、、そのようにして行う空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。その後、雑念が出て来たら、雑念のなかで雑念自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。

透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。