おはようございます。以下は、空気体瞑想を広めようと思って、書いています。書き間違いもあるかも。空気体瞑想の創始者です。まだ一人です。あははは。空気=(酸素・二酸化炭素・プラナエネルギーなどの意味です)
カムカムエブリイバディ、見ていますか?。
数年が過ぎて、キジマの社長は病気で入院しているようだ。安子は本当にアメリカに行ってしまった。るいは、明るくは笑わない女子として成長したようだ。いくつになったのかな。ユキエは勇と結婚したようだ。男の子も産んでいる。中学生かな?。社長のセンキチは勇に、自分の思いと感謝と後悔を伝えて、死んだ。
センキチの葬式の日に、るいは勇に、岡山を出て大阪へ行く決意をしていることを伝えた。勇は反対はしなかった。いろいろと思うところがあるみたいだ。全部、解って上げるしかないやな。
ユキエは、どうも、るいと安子が再び廻り合う事を、ひそかに願っているみたいだ。ユキエは、るいの母親には成れなかったようだ。勇は、相変わらず、女という生き物とその心のひだの部分が分かってないようだ。勇は、仕事も出来て、会社の業績も順調にしたんだけどね。何処までも、勇だな。フーテンの寅さんではないやな。
大阪に着いたるいは、自由な気分を楽しんで、就職の面接の為に、洋服も新調した。しかしうかれていたら、クリーニング店の親父が運転する自転車とぶつかった。るいの服が汚れたので、クリーニング店の店主は、るいを強引に店に連れて帰って、女将さんの洋服を借り、るいに着させて、ホテル会社の面接に向かわせた。
しかし面接の部屋で、面接官がるいへ、「おでこを出して、清潔感を示してください」とかと言うので、るいはその場を走って逃げた。るいは、センキチのいう事を聞いて、額の傷を治すための手術をしなかったようだ。安子が自分を捨て置いた家、そのキジマ家のお世話に、るいはなりたくなかったようだ。それでも、自分の額の傷が、逆に、るいと母親の安子とキジマの家を縛っていることになっているのかもと、考えたりしているようだ。
額の傷は、ある意味では、るいと安子の関係であって、その心の裏側の繋がりの証だったのかもね。安子とるいの間には、いろいろな事情と、微か見え隠れする深い思いやり?のすれ違いがあったにしても、お互いに自分の気持ちを捨てて、大きく誰かを傷つけないように生きて来た、その安子とるいではあるだろうから、、、他人様がひと時でも笑顔になってくれようなぼた餅を安く売って、生きていたあの時の二人の人生だったのだろうから、、、額の傷を治して、その時代を「無」にするのは、るいにとって、辛い事なのかもね。安子とキジマを捨てるよりも、天涯孤独だと思って女の意地を張って日々を生きてきたことよりも、るいにとって、辛い事なのかもね。鳴らない風鈴になって、それでも、あの大阪の、幼いいると安子が一緒に生きた時代を捨てることは、るいにとって、嫌なことなんだろうね。女は、今と思い出を生きるからね。額の傷が心の支えなんだね。
しかし、るい役の女優の芝居が、少し浅いかな。どうかな?。女子は、表向きの表面では、分からないからね。自分でもハッキリとした自覚のない、そんなところのあるのが、女子みたいだからね。知っていて、自分で自分を隠すからね。るいも安子と再び廻り合うまでは、そこのところには気づかないかもね。
安子もるいも、それなりにいい人に囲まれてはいるんだけど、「女子と女が感じるところの天涯孤独」が、やっぱり鈍くうずいて辛いんだろうね。微妙だけどね。
もともと女子と女には、周りに誰かが居ても居なくても、自身の深層意識のとても深いところに「ただ恐れている天涯孤独」が存在してるようなんだよね。つまり、それがこのドラマで言うと、安子の子供を犠牲にしてキジマに置いて来たという心のひだの、深いところの傷だし、るいの額の傷なんだろうね。
この「女子と女が感じるところの天涯孤独」はねぇー、見えて隠れて難しいやなぁ。男から見ると、女子と女の中の、気分と希望と欲望と女性ホルモンの為せる反応?による、わがままにしか見えないかもね。甘えに見える時もあるかもね。あらーー。困ったなぁ。まーねー、うーん。
この女子と女の中の天涯孤独というのは、アダムとイブ(エバ)が、命の木のリンゴを食べた時に、彼らは自分の肉体があることに気づいたんだけど、その後、主なる神様がそこに来られたて、その気配を感じただけで、アダムとイブは凄く恐れて木陰に隠れたんだよね。その時の恐れの具合と天涯孤独恐れの具合が、同じ程度なんだと、俺は思うんだよね。だから、あからさまに言ってしまえば、絶対的な主なる神様を最も深い所で恐れているという、その天涯孤独なんだろうね。
それで、自分が心や額に傷を負ってでも、その圧倒的な恐怖と共にある天涯孤独だけは避けたいと感じながら、女子と女は、女子と女という生き物として存在している、そんな今現在なんだろうね。ややこしいね。あははは。あーぁ~、だね。
つらつらと考えてみるのに、そりゃーさー、女子と女は、男と子供は欲しいやな。それが居れば、俺のここで言っているところの女子と女の天涯孤独の恐怖は、ある程度は感じないで済むからね。それがどんな男でも子供でも、女子と女としては、自分の天涯孤独の恐怖を、半分だけは感じなくて済むからね。あとの半分は、自分の彼氏や旦那や子供に、文句を言っていればいいんだからね。時にはヒステリックなる時も、めそめそと一人で泣くときもあるだろうけど、そこは、ほら、女子と女の中の気分とホルモンのせいだから、許して欲しいよね。それに、女子と女は、「自分としては、そんなに悪くない」と意味なく思える訳だからね。その悪くない理由は、自分が女という生き物のせいだし、ホルモンの流れのせいだし、いずれにしても、全体の半分だし、、だね。
もちろん、愛はあるんだから、半分は男のせいだし、子どもせいだし、世間のせいなんだからね。。。
「あはは、そりゃそうだ」
『女子と女の感情的理論は、頑張って生きてる私は、悪くないんです。そうなんです。そこは理屈じゃないんです。感情的理論なんです。完全です』。。。。えーと、男と男子は、「ハイ、解りました」だね。それ以上は逆らってはいけません。強い男ですから。
もし、そのあとがあるとしたら、家庭内DVかな?。不幸な現実だわな。感覚的理論は話して分かり合える問題ではないかもね。やれやれ、だね。
となると、あれだね、女子と女が、この世で幸せになるためには、とりあえずの目先では、お手伝いのユキエさんみたいに、気の利いた女子力で、男と子供を上手く捕まえておかないといけないわけで(←これで、天涯孤独を埋めるための幸せの半分は確保)、問題はその後の、天涯孤独の残りの半分のところをどうするかになるだろうね。
そこについては、彼女たちは、女と女子の満たされない感情や気分を男や旦那や子供に、その天涯孤独の半分だけの範囲で、ぶつけたり、埋め合わせを求めたりしているのかもね。「私の彼しがさー。とか、うちの旦那がさー」になるんだろうね。
たまに「いいの、私は、あなたが居てくれるだけで」とか言う女たちもいるだろうね。もしかして、その彼女たちの男も旦那も子供も、付け上がっている?、こともあるかもね。まっ、そのような甘えを許して、ユキエは、安子に失恋して傷ついた勇と寝て、勇を捕まえたんだけどね。うーーーん。考えるね。でも、跡継ぎの子供も出来たしね。あははは。
とどのつまりは、女子と女が普通程度の幸せになるためには、自分の中の天涯孤独の半分を、自分の中で許して神様と一緒に受け入れることかもね。その後、男か旦那か子供に親切にすることだろうね。小さな親切でいいんだね。なんか悲しみと諦めのある小さな親切でもいいんだけどね。男と旦那と子供は、それを「愛」に感じるんですね。それは、付け上がった奴たちでも、感じると俺は思うけどね。ただその付け上がりが我慢でいなければ、あんまり面白くない人でも、誠意のある真面目な男を初めから選んだ方がいいね。間違えて、面白いと思って不真面目な男や旦那を選んだ場合は、静かな冷ややかな目で、温かく(生温かく)同情してあげればいいんじゃないかな。普通の男は、それを相当恐がると思うよ。あははは。
なにせ、そこに居る相手は、アダムとイブの時代からの天涯孤独、その半分を、自力で乗り越えた人という事になりますからね。つまり、肉体を持ったアダムとイブが、主なる神様を恐れた時の、あの恐怖を半分以上乗り越えた人が、そこに立っているんですからね。その女子と女の「愛?」と「くそ度胸」に、男子と男はたじたじでしょうね。あはは。女房は、家の中の山の神になりました、だね。全体、そういことが分からない男は、汚れているから見込みがないだろうね。男を選ぶのならば、中身のいい男が、いいね。
さて、面接の現場から逃げ出した安子は、クリーニング店に顔を出した。自分の服を受け取るためだ。そうしたら、そこの女将さんと親父さんがテレビで漫才を見ていて、大笑いをしている。るいは女将さんに誘われて、クリーニング店の茶の間に上がった。
るいの育った家庭とは違って、店の夫婦の屈託ない、ある意味で何がどうでもいい笑いに、るいの目に涙が流れ始めた。るいの知らない世界だ。るいは鳴らない風鈴になって、意地で生きて来ただけだからね。
しかし、るいは老け過ぎだな。たぶん十代だよね。勇の子供が、中学生か、小学生高学年だからね。10数年たっているわけだよね。るいは6歳だったから、16歳以上だろうね。働きには出られる年齢だよね。時代は昭和36年ぐらいかな。中卒が、集団就職する時代だね。
考えてみるのに、るい役の芝居は相当難しいよね。あのるい役の女優に出来るのかなぁ。二十代・三十代の女優たちじゃ、演じきれないでございましょうね。幼い時からか、女になってからか、女の天涯孤独を、男無しに一人で乗り越える癖のある女優じゃないと、演じきれないでございましょうね。るいは、中年になって、ヒョウ柄を着ている大阪のおばちゃんになるのでございましょうかね?。
今日は、女子も女も、男子も男も、二人で居ても、家族で居ても、女の中の天涯孤独、その半分の扱いを間違えないようにすると、どうにか普通の幸せぐらいには、たどり着けるかもね、の一席でした。さて、修法だよ。
可能なら、静かに座って、、まず、透明な空気のようなものに包まれている事を思い、そして、そこで透明な息をしている感じになって、、、そのようにして行う空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしようね。その後、雑念が出て来たら、雑念のなかで雑念自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、透明な空に戻ればいいからね。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分と、その向こう側からの、空性に基づいた自然の反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れの中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出して、浄化して清らかに、昇華して強く、進化して綺麗になって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝、して行こうね。この気の流れは何者にも止められないからね。聖への道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。