聖書と仏教の意味するところ108

聖書のヨハネの黙示録第16章
第5の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり
、人々は苦痛のあまりに舌をかみ、その苦痛とでき物とのゆえに、
天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。
 第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水
は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてし
まった。また見ると、龍の口から、にせ預言者の口から、かえるの
ような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の
霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを招集したが、
それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(
見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、ま
た、裸の恥を見られないように、目を覚まし着物を身につけている
者は、幸いである。)
... 三つの霊は、ヘブライ語でハルマゲドンという所に、王たちを招集
した。
 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の
中から、御座から出て、「ことはすでになった」と言った。すると
、いなずまと、もろもろの声と、雷とが起こり、また激しい地震が
あった。

コメント
聖書と言えば、ハルマゲドンですが、現在はどの段階なのでしょう
か。
仏教でも終末論はあります。火によってこの世が終わると書かれて
います。聖書も火で焼き尽くすと書いてあるところもあります。そ
して、救いも書かれています。同じようなことの繰り返しなのです
ね。
聖書のこの文によると、王たちは汚れた霊を見分けることができな
いのでしょうかね。ほかの理由があるのでしょうか。
いずれにしても、徳を積んで裸のままでいないことですね。

(余談ですが、今日で人間の煩悩の数である108個まで書きまし
たので、このシリーズはいったん、打ち止めとさせて頂きます。読
んで下さった方々には、ありがとうございました。明日はまとめが
かけたら、書こうと思います。)