聖書と仏教の意味するところ107

聖書のヨハネによる福音書第16章
わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなた
がたは今はそれに堪えられない。
けれども、真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に
導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞く
ことを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊
はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それ
をあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているもの
はみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それ
をあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためで
ある。
...
コメント
やっぱり、いくら話をしようと思っても、聞く人の魂の浄化が進ん
でいないと、耐えられないのかもしれませんね。
仏教でも、お釈迦様の弟子が、間違った教え(外道)を歩む者に対
して、流れ出るような説法をしたとき、その間違った教えを歩む者
は鼻血を出して倒れた(死んだ)、とお経に書かれていました。良
き教えには、力(法力)があるものなのですね。
その力(法力)のある御霊が、やがて来られる時が来て、真理を語
って下さるのですね。有り難いことです。仏教にもやがて来る大日
弥勒の衆生救済がが書かれていますね。早く来てほしいものですね
。聖書はこのことも言っているのですね。

(余談ですが、主なる神様も仏様も、この世の人々の進化も消滅も
含めて、どこまでも救われようとされているのですね。いつもこの
繰り返しですね。でも、そこに真理が絡んでくるのですね。ここは
重要ですね。真理とは、「まことのことわり」ですから、法則です
ね。この法則は進化や消滅を含んだ救済になるのでしょうね。面白
くも大変なところですね。(本当は知っていますけど)現代はどの
時点なのでしょうか。覚悟をする毎日ですね。)