聖書と仏教の意味するところ106

聖書のイザヤ書第33章
わざわいなるかな、
おのれ自ら滅ぼさないのに、人を滅ぼし、
... 誰も欺かないのに人を欺く者よ。
あなたが滅ぼすことをやめたとき、
あなたは滅ぼされ、
あなたが欺くことを終えたとき、
あなたは欺かれる。

主よ、われわれをお恵みください、
われわれはあなたを待ち望む。
朝ごとに、われわれの腕となり、
悩みのときに、救いとなって下さい。

コメント
仏教でも、自業自得、因果応報と、いいますが、人間は反省反省の
毎日かもしれませんね。懲りない人たちというのがいるよですが、
彼らは止めたら終わることを知っているのでしょうね。でもいつか
疲れ果てて終わるのかも知れませんね。でもまた新しいのが出てく
るのでしょうか。面白いですね。理屈やへ理屈や理論などではなく
て、主なる神様、宇宙自然の法則において、救われるものにならな
いといけませんね。
聖書はこのことも言っているのでしょうね。

(余談ですが、おためごかしでは、救われないでしょうね。主なる
神様や宇宙自然の喜びがないと偽物ですね。偽物は欺きますね。本
物は苦労させられますね。もうそろそろ気付いて、終わりにしたい
ものですね。)