聖書と仏教の意味するところ105

聖書の詩篇第37章
悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。
不義を行う者のゆえに、ねたみを起こすな。
...彼らはやがて草のように衰え、
青菜のようにしおれるからである。
主に信頼をして善を行え。
そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
主によって喜びをなせ。
主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
あなたの義を光のように明らかにし、
あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。

コメント
個の詩篇37章の全文は、善き者にとってはとても心地よいものか
もしれませんね。単純に希望ですね。
仏教にも、十善戒というのがあって、殺すなとか、盗むなとか、嘘
を言うなとか、などなど、十カ条の「善」なること、が書かれてい
ます。今の道徳の元と言ってもいいでしょう。これを真面目に一つ
一つ理解するのは、なかなか難しいのですが、十善戒は八正道と関
係してきます。八正道とは、八つの正しい歩み、ということですが
、「正しい」というのがまた理解するのが難しいですね。
なので、聖書が言うように、「あなたの道を主にゆだねよ」という
ことになるのですね。これは主に責任を押し付けるのとは違います
ね。自分が善を行うということなのですね。仏教も宇宙自然の法則
に従って、善を行うように十善戒を説いていますね。
宗教は素直に勉強をすると同じ心地よさがありますね。

(余談ですが、キリスト教でも仏教でも、とどのつまりは忍耐もい
るわけですが、ここが理解できないと進化しませんね。バカで無駄
な忍耐にならないように、天国に入ることも視野に入れながら、生
きたいものですね。悪に協力出来ないですね。主なる神様に協力し
て善を行いたいものですね。)