聖書と仏教の意味するところ97

聖書のイザヤ書第31章
それにもかかわらず、主もまた賢くいらせられ、
必ず災いをくだし、その言葉を取り消すことなく、
... 立って悪をなす者の家を攻め、
また不義を行う者を助ける者を攻められる。
かのエジプトびとは人であって、神ではない。
その馬は肉であって、霊ではない。
主がみ手を伸ばされるとき、
助ける者はつまずき、
助けられる者も倒れて、みなともに滅びる。

コメント
宇宙自然の法則との調和率が一定以上ない者を、悪というのでしょ
うね。一定以上の共鳴調和率のある者を善というのでしょうね。
世の中を見る目として、馬は馬でしかないように、自然法上当たり
前のことがあって、その上で悪を助ける者は滅びるのでしょうね。
仏教にも、人間の魂の進化や解脱のために八正道というのがあって
、八つの正しいことをしなさいと、説かれています。これをあえて
簡単に言うと、正しくものを見て、正しく行動しなさいというわけ
ですが、その前に宇宙自然の法則となるべく多く意識が調和しない
と正しくならないのですね。

(余談ですが、善と悪は、エネルギーの種類の上で、どこかで必ず
線が引かれれるようです。陰と陽のように、もともと宇宙にある二
種類のエネルギーとは違って、善悪のエネルギーは陰と陽などの種
類の違うエネルギーを両方とも受け入れたうえで、善悪の境界線が
出てくるようです。私はそのように思います。これは主なる神様の
さばきなのでしょうね。)