聖書と仏教の意味するところ96

聖書のイザヤ書第35章
そこに大路があり
その道は聖なる道ととなえられる。
... 汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、
愚かなるものはそこに迷い入ることはない。
そこには、ししはおらず、
飢えた獣も、その道に登ることはなく、
その所でこれに会うことはない。
ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。
主にあがなわれた者は帰ってきて、
その頭に、とこしえの喜びをいだき、
歌うたいつつ、シオンに来る。
彼らは楽しみと喜びを得、
悲しみと嘆きとは逃げ去る。

コメント
どうしても宇宙自然の法則に従いきれないのが、人間の性質の中に
あるのかもしれませんね。それでも、あがなおうとする主なる神様
がいて、色々な教えがあるのですね。
仏教にも、聖なる広い道として、大乗仏教というのがあって、本来
は菩薩道を歩む人たちの道なんですね。あがなわれた者となり、聖
なる道を歩むことは大切ですね。
聖書はこの事も言っているのでしょうね。

(余談ですが、いくら清めても、結局は聖なる者と汚れた者の二種
類に分かれていくのでしょうね。そして、天国も地獄もあるのです
ね。)