聖書と仏教の意味するところ94

聖書のマラキ書第4章
万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。そのとき
すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る
日は、彼らを焼き尽くして、根も枝も残さな。しかしわが名を恐れ
るあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備
えている。あなたがた牛舎から出る子牛のように外に出て、とびは
ねる。また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に
、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万
軍の主は言われる。

... コメント
仏教でも、永遠性のないものが滅びるのは当然のことわりですね。
物質は絶えず変化しないと現実には存在することが出来ないと、現
代の物理学は言っています。それは分子レベルでも素粒子レベルで
も色々な変化が常に物質内で起こっているから、言われることなの
ですね。その変化を止めようとすると、高ぶることになるのですね
。やがて悪になるのですね。
変わらないものは、主なる神と宇宙自然の原則的な法則のみなので
すね。この義を行なったものは、永遠性を保つので、救われるので
しょうね。
聖書はこの事も言っているのでしょうね。

(余談ですが、何が義か分からない人が多いから、混乱するのです
けどね。)