聖書と仏教の意味するところ89

聖書のヨハネによる福音書第9章
すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
 そこでイエスは言われた「わたしがこの世に来たのは、さばくた
めである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える
人たちが見えないようになるためである」。
...  そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人(びと)たちが、それ
を聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでし
ょうか」。イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であ
ったなら、罪はなかったであろう。しかし、あなたがたが『見える
』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

コメント
仏教では、お釈迦様が入滅後の五百年を正法の時代、その後、似た
様な法がはびこる時代があって、末法の時代が来るとされています
。私は宇宙自然の法則や主なる神様がなくなることなないと思いま
すので、これは人間の方が正しく理解できない時代が来るというこ
とだと思います。
イエスの活動された時代も世間に正法がなくなっていたんでしょう
ね。お釈迦様が入滅後、五・六百年経っていますから。
正法がないという理由で、イエス様は、さばきに来たと、言われた
のかもしれませんね。人々に分からせるために来られたということ
でしょうね。
お釈迦様も人々に分からせようとされましたね。
同じよなことの繰り返しですね。

(余談ですが、いつも分からないのは人間の方なのですね。当たり
前ですよね。ここが重要ですよね。)