聖書と仏教の意味するところ87

聖書の歴代志上第24章
(ダビデの時代の事です)
エレアザルの子孫のうちにはイタマルの子孫のうちよりも長たる人
々が多かった。それでエレアザルの子孫で氏族の長である十六人と
、イタマルの子孫で氏族の長である者八人にこれを分けた。このよ
うに彼らは皆ひとしく、くじによって分けられた。
... ・・・中略・・・・
第一のくじはヨアリブに当たり、第二はエダヤに当たり、第三はハ
リムに、・・・・・・・・・第二十四はマアジヤに当たった。これ
は、彼らの先祖アロンによって設けられた定めにしたがい、主の家
に入って務めをなす順序であって、イスラエルの神、主の彼に命じ
られたおとりである。

コメント
ダビデ王が老いたとき、くじが引かれたんですね。あの頃は法則が
あったのか、イスラエルの神の命じられた通りになったのですね。
仏教にも、法則的に絶対というのがありますが、お釈迦様の教えで
は、今は末法の世なので、法則通りにはいかないのかも知れません
ね。でもそれも、時の流れの中の法則ですけどね。新しい良き時代
が早く来ないかなぁ、というところですね。

(余談ですが、法則が働いて、金銭欲物質欲ではなくて、宝くじで
も当たると、スカッとして面白いのにね。)