聖書と仏教の意味するところ85
聖書のイザヤ書第31章
「アッスリヤびとはつるぎによってたおれる、
人のつるぎではない。
... つるぎが彼らを滅ぼす、
人のつるぎではない。
彼らはつるぎの前から逃げ去り、
その若い者は奴隷の働きをしいられる。
彼らの岩は恐れによって過ぎ去り、
その君たちはあわて、旗を捨てて逃げ去る」。
これは主の言葉である。
主の火はシオンにあり、その炉はエルサレムにある。
コメント
仏教にも、お不動様の利剣というのがあります。形としては「剣(
つるぎ)」ですが、宇宙自然の法則の理(ことわり)の象徴です。
特に煩悩を摧破する意があります。
聖書にも同じよなたとえが載っているのですね。
人間は、研ぎ澄まされた宇宙自然の法則の理(ことわり)を、剣の
ように感じるのでしょうね。
(余談ですが、ヨガでは人間の背骨のところにスシュムナカンとい
う真っ直ぐな管があって、そこをプラーナ(気)が流れるというの
ですが、わたしはこれが、利剣にあたるのかと思います。また、利
剣にはその方向性で何種類かあるように思います。ただ、一理を主
張して全利を失うようなものは利剣とは言いません。それは滅びま
す。)
聖書のイザヤ書第31章
「アッスリヤびとはつるぎによってたおれる、
人のつるぎではない。
... つるぎが彼らを滅ぼす、
人のつるぎではない。
彼らはつるぎの前から逃げ去り、
その若い者は奴隷の働きをしいられる。
彼らの岩は恐れによって過ぎ去り、
その君たちはあわて、旗を捨てて逃げ去る」。
これは主の言葉である。
主の火はシオンにあり、その炉はエルサレムにある。
コメント
仏教にも、お不動様の利剣というのがあります。形としては「剣(
つるぎ)」ですが、宇宙自然の法則の理(ことわり)の象徴です。
特に煩悩を摧破する意があります。
聖書にも同じよなたとえが載っているのですね。
人間は、研ぎ澄まされた宇宙自然の法則の理(ことわり)を、剣の
ように感じるのでしょうね。
(余談ですが、ヨガでは人間の背骨のところにスシュムナカンとい
う真っ直ぐな管があって、そこをプラーナ(気)が流れるというの
ですが、わたしはこれが、利剣にあたるのかと思います。また、利
剣にはその方向性で何種類かあるように思います。ただ、一理を主
張して全利を失うようなものは利剣とは言いません。それは滅びま
す。)